はるはあけぼの ヨガDiary

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あなたは行為者ではない

「あなたは行為者ではなく、その行いを観る者です」
その教えを実際に体験するために、プラーナーヤーマやアーサナを使う
スワミ・ヴィスワルーパナンダジのクラスを、日本で再び受けることが出来ました。

何度もわたしたちに、「Who am I?=わたしは誰か?」と問いかけるスワミジ。
この世界の顕われについての教え、つまりヨーガ哲学のレクチャーの後、実際に身体を動かし、
クラスは進行していきました。

わたしの本性は何か?
そのようなことを考える機会に遭遇する方は本当に少なく、出逢えた方は恵まれた方と言えます。

ハタ・ヨーガ(肉体を使うヨーガ)は、健康になるツールではなく、
まして綺麗なBodyを手に入れるためのものでもありません。
気持ちよさを味わうものでもありません。
アーサナをした後、気持ちが良くスッキリする、けれどそれはただ一時的なもので、肉体の上に起こる快楽に過ぎません。
少し時間が経てばあっけなく消えてしまいます。
それが、ヨーガの教えと矛盾した体験となってしまわないためにも、ヨーガ哲学の勉強は重要です。
また、ヨーガの瞑想も、ヨーガ哲学の知識がないと、その結果を得ることは難しいのです。
ただ座っても、それは瞑想とは言えません。
よく聞こえてくる、「瞑想状態」という言葉はなんなのでしょう?

「わたしは行為者ではない」としっかり頭に入れて、観る者になる…。
最初は努力が必要です。
でも、それが徐々に理解でき、また、実感できると、「苦」というものが減ってくるのは事実です。
また、多くの方が望む、ストレスのない状態もやってきます。

でも、真の目的は、もっと高いところにあります。
「悟り」
瞬間瞬間を観る者として生き続けたら、
わたしたちを支配している「3つのグナ」のサットワだけとなり、
それさも超えていくことになるのです。





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# by haru-ha-akebono | 2017-09-16 18:54 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)

虎の中にもブラフマンが・・・

「誰とでも仲良くしなさい」
このように幼稚園や学校で、大人たちから言われて育ちます。
それが、学校教育というものです。
でも、この通りにしていたら、生活は大変なものになってしまうでしょう。
現実は甘くはなく、悪い人というのはいるものです。
ヴェーダーンタを学んでいくと、全ては神の顕れ、
全てにアートマンが宿っていると知ります。
そこで、悩む・・・。
或る人をよろしからぬ人物だと避けている自分は、
その教えを実践出来ていないと。
その辺のことを、先日、聖典の勉強会で学ぶ機会がありました。

わかり易い例え話があります。
『虎や象の中にも神様=アートマンはいる。
 けれども、抱き着いたら、
 噛み殺されたり、踏みつけられたりして、死傷する。
 だから、遠くから見ているだけ、挨拶するだけでいい』

そう、このようにして、相手を悪く思う感情は持たないようにすれば、
何の問題もありません。
悪い人だからと憎んだり嫌悪したりすると、
自分の気持ちが汚れてしまいますから。

世間に暮らす家住者だろうと、出家した僧侶だろうと、
真剣に求道している人は、付き合う人に気をつけねばなりません。
日本には、『朱に交われば赤くなる』ということわざがありますが、
人は案外簡単に影響を受けるものです。
よこしまなものは良い波動より強力で、また一見魅力的な表情をしています。
もし堕落すると、戻ることには多大なエネルギーを必要とします。
戻れなかったら、それまでの求道はすべて無駄になるのです。

流行の断捨離をする時、もったいなくて捨てられないけれど、
本当はもう必要ないものが沢山あることを知るでしょう。
人を避けることに罪悪感を持ったり、未練を持ったりするのも同じです。
その人と自分の関係をよく識別し、本当に自分を高める人か、
共に歩める人か、嘘や裏表のない人(これは自分も実践が必要)か、
断捨離しなくては先へ進むことは出来ません。

ここで、一つ、悪い人=嫌いな人ではありません。
また、好きな人が=いい人とは限りません。
世の中、そんなに単純ではなく、悪い人だけれど好きにもなるのです。
だから、問題が起こります。
悪い人だとわかっていて付き合っている、
その自分の愚かさに気付き、関係を断ち切る勇気が必要になります。



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# by haru-ha-akebono | 2017-06-08 15:06 | 聖典を学ぶ | Comments(0)

一切は神の顕れ

「一切のものの中に、神をごらんなさい。
 生の中に、そして死の中に、幸福の中に、不幸の中に、
 主はひとしく、宿っておられます。
 全世界は、主で満たされているのです。
 目を開いて、彼をごらんなさい。」  ~スワミ・ヴィヴェーカーナンダ~


今の政情を見て、こう思える人がいたら、その人は聖者。
わたしにはとても出来ません。

スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、真の聖者、真の勇者、近代の預言者。
今、スワミジーがいらしたら・・・、
世界は一変してしまうに違いありません。

スワミ・ヴィヴェーカーナンダの154回目の生誕を祝って、
5月28日(日)、インド大使館にて祝賀会が行われます。
詳細はこちらから。



 
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# by haru-ha-akebono | 2017-04-25 12:51 | 祈りの言葉 | Comments(0)

シュリー・ラーマクリシュナからの伝言

『何世紀も続いた暗闇でさえ、一つの灯りが部屋に運び込まれるやいなや、
 たちまち消えてしまう。
 同様に、数えきれない転生の間に積もった無知と悪事も、
 慈悲深い神の一瞥で、ただちに消滅してしまう。』 ~シュリー・ラーマクリシュナ~

3月19日(日)、現代の聖者シュリー・ラーマクリシュナの生誕を祝う祝賀会が、
日本ヴェーダーンタ協会で行われます。




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# by haru-ha-akebono | 2017-03-16 17:40 | 祈りの言葉 | Comments(0)

思いが形になる

『大きな行為ができないのであれば、せめて1ルピーを乞うて
 素焼きの水差しを買い、道端に座って喉の渇いた通行人に飲み水を差し上げなさい。
 喉の渇いた人に飲み水を差し出すことも偉大な行為だよ』
スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、弟子のニスチャヤ―ナンダに、
施しだけを受け続けることは、サードゥの堕落につながると、こう言ったのです。
このようにして始まる、スワミ・ニスチャヤ―ナンダの生涯の話を、昨年の夏、
日本ヴェーダーンタ協会発行の雑誌「不滅の言葉・特別号」で読みました。
ニスチャヤ―ナンダが、師のこの言葉を受け、
兄弟弟子のスワミ・カリヤ―ナーナンダと共に活動をし、発展していったという
ハリドワール カンカルにある
ラーマクリシュナミッション・セバアシュラムを訪れてみたい、
と思うようになりました。
その願いは案外早く、4か月後には実現したのです。

最初、『ラーマクリシュナ奉仕の家』としてスタートした時は、
3つの小屋だったというこのアシュラマは、
スワミ・ヴィヴェーカーナンダの
「リシケシやハリドワールで修行す僧たちが病気になった時に何かしたい」
という願いを、弟子のカリヤ―ナーナンダに託し開設されたのだということです。

わたしがそこを訪れたのは、インドで一番気候のいいとされる11月中旬の朝。
一刻も時間を無駄にしたくなかったので、早朝ではなかったけれど
朝食もそこそこリシケシを発ったのです。
車がアシュラムのゲートを入って、びっくりしたのは、
張り巡らされた塀の外側からは想像もつかないほど
広大な敷地が広がっていたからです。
早かったため、宿泊手続きを取るためのオフィスには、
担当のスワミジはまだ出てきていませんでした。
外のベンチで待つこと数分。
ほどなくスワミジが現れ、アシュラムで働くヒンディー語しか話せない女性が
部屋に案内してくれました。
宿泊手続きもない、あまりにあっさりした応対に、ちょっと拍子抜け。
自分の部屋となった室内も広かったのですが、
敷地内が広くて、その建物まで道に迷わないように
目印を見つけておく必要がありました。

「まずホットシャワーを浴びてゆっくりしなさい」と言われ、
また、朝食を食べていないわたしのために、
部屋にはチャイの入ったポットと、
ケーキやチョコレートを載せたお皿が運ばれてきました。
シャワーはすぐお湯が出るように、電熱スイッチが入っていました。
なんだか至れり尽くせりで、あっさりした応対とは反対の温かい心遣いに、
ラーマクリシュナの家に来た、という実感が湧きました。

ほどなく、ここのアシュラムの長のお坊様にご挨拶に行きました。
まるで子供のような眼を持っていらしゃるのに、
周囲を圧倒してしまうような存在感に、一歩後ろに引いてしまったほどです。
「何か聞きたいことはありますか?」と言われ、
「今は特にありません」としか返す言葉が出ませんでした。
その後、この方と会話をする機会はなかったのですが、
敷地内でお姿を見かけるたびに、遠くからでも自然に合掌をしていました。

それから、昼食までの時間、
ここで仕事をしている若い男性に、アシュラム内を案内してもらいました。

ラーマクリシュナ、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ、
カリヤーナ―ナンダとニスチャヤ―ナンダの名を冠したプレートを掲げた、
6階建ての大病院。
救急センターに薬局、売店。
病院の医師や看護婦、職員が住まう何棟ものアパートメント。
食堂とキッチン。
すべて自給なのか、野菜畑と牛を飼う牧場。
そして、沢山の花を植えた花畑と芝生。
僧侶の住まう建物。
車寄せの前には、ヴィヴェーカーナンダの胸像が花に囲まれて建っています。
勿論、敷地の中央には、
シュリー・ラーマクリシュナをお祀りする寺院が建っていて、
朝晩にはアラティが行われています。
牧場を抜けてさらに行くと、
スワミジー(ヴィヴェーカーナンダのこと)が沐浴し瞑想したという、
ガンガーのガートに行き当たります。
その水のきれいなこと!!
コルカタの方では澱んでいる河の水が、
太陽の光を反射して輝いているほど、透明なのです。


病院内もすべて案内してもらうと、もう昼食の時間でした。
流石に疲れた・・・。
院内には、サドゥが入院する部屋もありましたし、
ミッションのお坊様の医師も何人かいて、
普通の病院とはそこが違うところでしょうか。

昼食には、牧場の牛から採れたミルクで作ったと思われるヨーグルトが出ました。
今まで行った、ミッションの食堂と違って、
アシュラムや病院で働く人と一緒の食事です。
お坊様たちは壁を隔てた隣の部屋で摂っておられました。

午後、寺院と病院が昼休みになって、わたしも部屋で休みましたが、
雑誌で読んだ『奉仕の家』から、
この巨大なアシュラムにどうやって発展していったのか・・・。
考えるものの、想像もつきません。
ラーマクリシュナの力が背後に働いていなければ、
到底あり得ないのではないだろうか・・・。
多くの人々を動かし働かせる、神の力。
また、自分は一体、雑誌のあの話のどこに惹かれたのか?
ここに来るまで、何度も読み返し、読むたびに感動で
涙が溢れてしまうのでした。

西洋でのヴェーダーンタの講演から帰国したスワミジーに一目会いたいがため、
南インドの村からマドラス(チェンナイ)まで、
何日も歩いて行った(汽車賃がないために)というニスチャヤ―ナンダ。
(当時はまだ出家していなかった)
初めて会ったスワミジーの弟子になりたいと願い、
叶ってからは、スワミジーの肉体がこの世を去るまで、そばでお仕えした。
その後、ベルルマトを離れ、
遊行の途中に『奉仕の家』とスワミ・カリヤーナ―ナンダに遭遇し、
そこで生涯を終えるまで、
『人間の中に神を見て、その神に奉仕をする』
という、スワミジーの教えを実践することになったのです。
この一途な思いを持続できる純粋さは、
スワミジーの力なのか、ニスチャヤ―ナンダの並外れた霊性の力なのか。
或いはその両方なのかもしれません。

『奉仕の家』で働く間、
リシケシまで、街道の僧たちのために物資や薬を運び、
治療を施し、28Kmの道を毎日往復したというニスチャヤーナンダ。
その、強靭な愛と信仰心は肉体を忘れさせてしまうのだろうかと、
感嘆するばかりです。

翌日も、その翌日も、
この大病院には、やって来る患者さんが後を絶ちませんでした。
コーヒーやチャイを飲みに行っていた入り口にある小さな売店のおじさんは、
いつもニコニコして親切でした。
帰る朝、ご挨拶に行くと、
オフィスのスワミジは「またおいで!」と、笑って一言。
来た時と同じ、やっぱりあっさりとした応対でしたが、
思わず「はい、また来ます!」と応えるほど、優しい笑顔でした。
リシケシまで行く車の中で、
「自分は到底、この道を歩いてリシケシまで行けない」
と、またすぐ、ニスチャヤ―ナンダのことを思い返していました。





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    コルカタの街中に建つ、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの像













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# by haru-ha-akebono | 2017-01-31 17:57 | シャクティの力 | Comments(0)