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松橋登、原啓一 朗読の会 at ひねもすのたり
明日から、阿佐ヶ谷のひねもすのたりで、松橋登さん の朗読会が始まります。
以前、ブログに書きましたが、中学生の頃に松橋さんをTVで観て大ファンになりました。
その時の透き通るような印象とは裏腹の役柄がその後は続き、内心納得がいかなかったのです。
昨年末、ひねもすのたりのブログを見ていて、オーナーのMさんが松橋さんのファンだと知りました。
ひねもすのたりにもお茶を飲みに来たことがあると聞き、
そして朗読会の企画を考えていることも聞きました。
Mさんの実行力に、感謝しています。
松橋さんは、声も素敵です。
天は二物を与えたのですね!!














# by haru-ha-akebono | 2012-05-17 23:47 | アートの時間 | Trackback | Comments(0)
出来ることをすればいいのです
4月、日本ヴェーダーンタ協会のナラ・ナーラヤン活動に初めて参加しました。
これは、横浜寿町での、ホームレスへの配食活動です。
ヴェーダーンタ協会以外に、「炊き出しの会」、キリスト教会、横浜の大学生などが参加して
何百人というホームレスの人たちに昼食を作り配っています。
奉仕やそれに類する行為は、本当は人には知られないようにするものだそうです。
自分の修行もです。
でも、このような活動を行っている団体があることを知って欲しくて、書きました。
わたしがこの活動に参加するとき、「奉仕をしてもホームレスは減らないよ」と言った人がいました。
もちろん、そんなことはわかっています。
ホームレスへの奉仕は、ホームレスを社会復帰させることではないし、
配食したくらいでホームレスが減るなんて、ありえないことです。
それでも、何もしないよりいいのです。
今、必要なことをすればいいのです。
ご飯を食べるチャンスが1回でもあれば、多くなれば、それでいいのです。
相手に対しても、自分に対しても、何も期待していません。

週に1回ほど通っている、高齢者施設でのアートセラピー(臨床美術)も同じです。
それを行って、高齢者の状態や持病が良くなるかどうか、それはわかりません。
それでも、絵を描くことでその時間、高齢者の方の心が開放され、
その絵画を制作することで生活の質が少しでも向上すれば、それでいいのです。
人から褒められる機会が少なくなった高齢者の方たちは、アートセラピーの時間、
とても活き活きしています。絵を認めてくれる人たちがいるからです。
感情の起伏が激しくなる認知症の方は、症状がそれによって少しでも緩和されれば、
ご本人にとっても家族にとっても、生活の質が上がったことになります。

向上心が強い人は、高齢者やホームレスなどの社会的弱者と接するのは、嫌なのかもしれません。
自分が行った行為で、『向上』という目に見えた結果は出ないのです。
だから、奉仕活動をする年配の男性は、圧倒的に少ないようです。
「どこか前方に進んで行って、なんらかの結果になる」ということはない・・・そういう活動です。
それでも、それを必要とする人はいるのです。

20日(日)日本ヴェーダーンタ協会例会に、「炊き出しの会」会長の近藤さんがみえて、
ホームレス支援の活動経験を話されます。






# by haru-ha-akebono | 2012-05-17 00:03 | 祈りの言葉 | Trackback | Comments(2)
東京で学ぶ、ヨーガスートラ
今度の土曜日の「ヨーガスートラを学ぶ会」は、第1章『サマーディ・パーダ』の山場だそうです。
「ヨーガスートラ」と言うと、どうしても第2章の中の『ヨーガの8支則』の講義が中心になってしまいます。
が、「ヨーガスートラ」は様々な聖者の解説を読むと、本当に面白いのです。
中には日常生活の中で活かすことが出来ることにも出会えます。
勿論、ヨーガの実践にも!!
ゴールデンウィークに行った「広島ヨガピース」の坐学は、「ヨーガスートラ」でした。
それがきっかけで、「ヨーガスートラ」をもっと深く学びたい人が増えると嬉しいです。
実践=アーサナと哲学が、どこかで結びつきますように。


ヨーガスートラを学ぶ会 No.8 のお知らせ
日時 5月19日(土) 開場 2:30p.m.  開講 3:00p.m.~5:00p.m.
場所 沙羅舎2F こころとからだ塾   講師 抱一
参加費 2,000円
今回は、ヨーガスートラ第一章17節18節を学びます。
今回の主題は、一般的に有想三昧と無想三昧と呼ばれている三昧の内容の解説です。
有想三昧のサンスクリット語は、サムプラギャータ・サマーディで、字義的意味は「高度な認識を伴う三昧」です。
この種の三昧には、推理(ヴィタルカ)、識別(ヴィチャーラ)、至福(アーナンダ)、私意識(アスミター)の三昧があり、それぞれの三昧の対象は、粗大領域、精妙領域、至福の感情、私意識であり、三昧の内容は段階的により微細で深くなって行きます。
無想三昧のサンスクリット語は、アサムプラギャータ・サマーディで、字義的意味は「高度な認識を超越した三昧」です。
そこでは有想三昧の対象は消滅し、対象の無い超越領域への没入があり、同時に潜在領域では過去の印象(サムスカーラ)が意識化されずに活動している状態です。
サマーデイ(三昧)も多様であり、その多様性とその階梯をパタンジャリは段階的に明確に解説しています。
皆さんのお気軽なご参加をお待ちしております。

抱一









# by haru-ha-akebono | 2012-05-16 20:07 | 聖典を学ぶ | Trackback | Comments(0)
観察すること
≪識別する力が育っていないと、ヤマ・ニヤマを行うことは困難です。≫
と、以前ブログに書きました。
識別力は、アーサナを行うことで育てることが出来る、と思っています。
アーサナを行うとき、肉体や心に起きることを観察すればいいのです。
その観察する行為が識別力を養います。
まずは分かり易い、自分の身体が対象です。



日常生活では、外側の事象に感覚が向かい、心は絶えずその刺激を受けて判断を下しています。
ヨーガ・アーサナを行うときは、自分の身体と静かに向き合うことが出来るのです。
アーサナは完成させたり、美しく行うことが目的ではありません。
人と比べるものでもありません。
アーサナを行うことで、自分の肉体の中にどんな感じ=刺激が起きているのかを眺めるのです。
ある一点に強い刺激があったとして、それが何処へ向かって伸びて行くか、
あるいは発生しているのか。
それらを、意識化するのです。
アーサナを緩めた時、今度はどんなことが起きているのか、これも丁寧に観察します。
加えた刺激が何処へ向かって消失していくのか、完全に緩まっていくのも見届けます。
アーサナの形を造ることに気を取られていると、これらがおろそかになります。
また、ゆっくりと動かないと、観察することは不可能です。
この一連の行為は、またプラティヤーハーラやダーラナーの練習にもなります。

私たちの日常生活が、いかに朦朧と行われているか、
肉体や心の意識化が進んでくると、良く理解できるようになります。
朦朧としているうちは、サティヤ(=真実を話す)にはなれません。
また、意識しながら動くことで肉体の深い開放感が生まれます。
それは心の開放感も伴っています。
心理の深いところまで開放感が及ぶと、自分は一つの全体であると実感できることでしょう。
私たちの日常生活の問題は、自分の全体が意識出来ず、
肉体・心・感情・思考が分裂しているために発生しているのです。





# by haru-ha-akebono | 2012-05-15 16:55 | わたしは誰か?Who am I? | Trackback | Comments(2)
ハタ・ヨーガ~月と太陽のヨーガ
身体を使うヨーガ、ハタ・ヨーガについて、
度々このブログにも登場いただいている友人のMiwakoさんが
「ハ・タ・ヨガとは」と題して①~⑥まで、彼女のブログで紹介しています。

先日、広島ヨガピースで、≪アーサナと哲学がどう結びつくのですか?≫
という率直で正直な質問をされた方がいました。
わたしもハタ・ヨーガを始めた頃、それが疑問でした。
人間中心療法というカウンセリングに行き詰って、
ジョーン・ボリセンコさんが書いた「身体に聴いて心を調える」という本に出会い、
すぐヨーガを始めました。
でも、身体を使うヨーガの場で、今度は心の問題はあまり出てこなくて戸惑いました。
しばらくすると、リシケシのシバナンダ・アシュラムからスワミ・ジが来て、
サットサンガがありました。
今思うと、ヴェーダーンタ哲学の話しがあったのですが、
それが毎週行っているアーサナとどう関係があるのか?理解出来ませんでした。


     アーサナをするスワミ・ヴィシュワルーパナンダ・ジ


「パタンジャリのヨーガ・スートラ」第2章のアシュターンガ・ヨーガの中に「アーサナ」が出てきますが、
これは瞑想のための坐り方のことです。
ヤマ・ニヤマから瞑想の三昧までが書かれています。
しかし、これは当時のヨーギたちにもなかなか難しかったらしく、
それでハタ・ヨーガが生まれたと、聞いたことがあります。
身体を使うと具体的。
身体を色々に動かして、心身が爽快かつ浄化されれば、
自然とヤマ・ニヤマにあるようなことが出来るようになる・・・。
そう、気が付いたヨーギたちがいたのでしょう。
身体を使わないヨーガの人たちからは、一段も何段も低く見られながらも、
ハタ・ヨーガは衰退するどころか、今日は主流となっています。


  リシケシのシバナナンダ・アシュラムの前総長スワミ・チダナンダ・ジが太陽礼拝をしている小さな像


今、ヨーガの世界ではカリユガの時代(鉄の時代)と言われていますが、
このカリユガの時代は人間が肉体に依存する時代と言われているそうです。
スポーツクラブやエステなどが流行っているのもそのせいなのでしょうか。
その真偽はともかく、どの人も、身体を使うことは魅力的な自然な行為だと
無意識にわかっているのだと思います。

さて、ハタ・ヨーガにもきちんとした理論と思想の世界があるのです。
それは、タントラ。
アーサナをして、いきなりヴェーダーンタ哲学やアシュターンガ・ヨーガの思想(ヤマ・ニヤマなど)
に飛んでしまわなくてもいいのです。 




















# by haru-ha-akebono | 2012-05-15 00:39 | シャクティの力 | Trackback | Comments(2)

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