はるはあけぼの ヨガDiary

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腕を骨折~観る者と観られる者、そしてシャクティの力

8月の終わりに、左手首を骨折した。
あるところで、ファブリック・アート(布で絵を制作するもの)のワークショップが行われ、
友人に誘われて参加していた。
制作が終わって、もう帰るという時に、会場にあった大きくて重い跳び箱みたいな形の椅子に
足を引っ掛けて、バランスを崩し、左後方に転倒した。
何とか体制を立て直そうとしていたので、倒れるまでにうんと時間があった気がする。
でも、一瞬だったのだろう、体が床に倒れた時に、すごく大きな音がした。
どこにも痛みはなかったので、立ち上がろうとしてふと左手を見て、すぐに手首が折れているとわかった。
手首が太くなって、アコーディオンのようになっていたから。
皮膚の色も赤味がかっている。
まず思った。
3日後に、趣味で行っているヴァイオリンの発表会があるのだが、出られない・・・。
暗い所に突き落とされた気分。何ヶ月かの猛練習が水の泡だ。
それから、救急車で総合病院みたいなところに行くのかな?と考えた。
今度は気持ちがヒンヤリとしてきた。
幸い(?)、その会場の同じフロアに整形外科があって、すぐに診てもらうことが出来た。
なんだか、気持ちの一部がとても冷静になって、自分の気持ちや体調の変化をじっと観ている。
整形外科で聞くまでもなく、歩いて移動する間、右手で支えないと左手は自立行動が出来なかった。
皮膚の中で、骨がガシャガシャと音をたてるのが感じられた。
レントゲンを撮って、それから麻酔を打って、ギブスを巻く。
肘を直角にして、肘上10センチくらいまでギブスを巻いた。
気分が悪くなっていたが、麻酔を打ったらすぐに治った。
痛みで気分が悪いのだと、医師に言われた。
しかし、折れた場所が痛いという感覚はほとんどなかった。
三角巾で首から腕を吊った。まだ暑いのに、重装備。
説明を受けて、鎮痛剤を貰って、帰った。
今思うと、骨折と言う緊急事態で、何も余計なことは考えられなかったのかもしれない。
でも、やはり冷静だったのだ。
自分の観察者の存在を感じていた。
これが観る者?観られているのは、私の体と心。
その存在を感じていたから、安心していられた。
友人が家まで送ってくれて、戸締りもしてくれた。感謝。


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この時から、片腕で一人で生活をしていかなければならなくなった。
今までにない経験ばかりだ。
成長する中で、自然と身についた両手で行う生活動作のすべてが、根底から覆された。
新しく、すべてを習得しなければならない。
動作は常にゆっくりと行わないと、何一つまともに出来ない。
一つずつ確認しないと、意識しないと、何も前に進めることが出来なかった。
外に出ると、片腕のためバランスが悪くて、階段やエスカレーターの昇降が怖かった。
周りを良く見渡してから、動く。
他人の動きの速さと、全然違う自分。
自分だけがスローモーションで動いている。
日常生活の些細な動作を、こんなに丁寧に意識して行ったことが、かつてあったろうか?
こんなに気づき続けていたことが、あったろうか?

そして、ずっと1年あまり、自分の中で堂々巡りをしていた出来事の想念、
それが、骨折した瞬間に消えた。
非常事態だから?そうかもしれない。
非常事態の時は目の前のことで手一杯だから、ゆとりがないから、だから?
でも、そうではないと直感した。
怪我が快復しても、もう二度とその想念はやって来なかった。

インドの女神に、美を象徴するトリプラスンダリという神様がいる。
宇宙のエネルギーである、シャクティを象徴する女神の一人だ。
彼女は、醜いエゴを持つ者を破壊し、結果その者を苦しいエゴから解放する、という話しがある。
私の骨折は、このシャクティの力、まさに恩恵なのだ。
骨折は大変なことだけれど、あの心の苦しみはかなり凄まじかった。
その心の闘いは、わたしのエゴが生み出した一人芝居なのだが、そう分っていても、
どうにも出来なかった。
心が瓦礫になっていくようだ。この瓦礫をなんとかしたい・・・・。
思えば思うほどに、瓦礫の量は増えていった。

シャクティの力で、すべてのことは起きている。
この全宇宙の出来事は、シャクティの活動による。
それがインドのタントラ。
シャクティなくしては、この世界は何もなく、何も動かず、
誰もが生きることはおろか、まばたきさえも出来ないと言う。

この骨折は、トリプラスンダリ(シャクティ)の慈悲なのだ。
救われたのだ、私は。

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by haru-ha-akebono | 2011-12-25 01:05 | シャクティの力 | Comments(0)