「あるがままに・ラマナ・マハルシの教え」の中に、
ラマナは、「彼の帰依者たちが、瞑想的生活のために世間的な仕事や義務を放棄することを、
一貫して拒んできた」、そうです。
ヨーガを始めてスピリチュアルなことに触れ、急に自分のいるところが色褪せて見えるのか、
出家するわけでもないのに、仕事を辞めてしまう人がいます。
きっと、世間の仕事をしていては、霊性の道に入れないと思うのでしょうね。
でもラマナは、「身体が行う行為の責任を受け入れて、その行為に従事する個人的な『私』は存在
しないという自覚とともに通常の義務や責任を果たすことの方が、霊的により大きな成果がある」
と、帰依者たちに語ったそうです。
ラマナ・マハルシは、少年と言ってもよい年齢で急にサマーディに入り、
そのまま家を出て、アルナーチャラへ向かいました。
この経歴から、ラマナがカルマ・ヨーガを善しとしてるとは、夢にも思っていない人もいるようです。
私は思う。自分に与えられた仕事は、果たす仕事なのだと。
ヨーガは、世間からドロップ・アウトするためのツールではありません。
「私は誰か?」を問うのは、自分に与えられた仕事の真っ只中で出来るのです。
★ラマナ・マハルシの教えを歌にした「ウパデーシャ・サーラム」を、You Tubeで聴くことが出来ます。
アルナーチャラに捧げられた歌も素敵です。