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はるはあけぼの ヨガDiary

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ラマナ・マハリシと共に過ごす時間

今日、シュリ・ラマナ・マハリシを愛する人たちの集まり(サット・サンガ)がありました。
サット・サンガは2ヶ月に1回ですので、何があっても行きます。
参加した人たちで「シュリ・ラマナ・マハリシとの対話」を読み、わからないところを話し合ったり、
「ラマナ・マハリシの教えの精髄」という唄を歌ったりします。
次第に心は静かになっていきます。
あっという間に4時間が過ぎます。
この6月で、会に参加するようになって1年になりました。

ラマナ・マハリシの本を読んでその教えに出会ったのは、一昨年の秋です。
前にもブログに書きましたが、その夏招へいしたリシケシでのヨーガの師である
スワミ・ヴシュワルーパナンダ・ジが、帰国したら冬にはティルバンナーマライにある
ラマナ・マハリシのアシュラムに修行に行くと言ったのです。
マハリシのことは知っていましたが、本を読んだことはなく早速本屋に走りました。
読んでみると、その言葉・教えがわたしの意識の中に吸い込まれていくような
不思議な懐かしさをおぼえました。
ラマナの言葉が静かに寄り添ってくるように感じられました。

来日するよりもっと前に、スワミジが「いつも自分は誰かを問いなさい。それがヨーガの練習だ。」
と言ったのは、おそらくこのラマナの教えから出た言葉だったのでしょう。

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「あるがままに」という本の帯には
『心が静まれば、世界全体が静まる。』
と書かれています。
その通りなのです。
でも、心を静めるのは容易ではありません。

例えば、ある事柄について思考をやめれば、そのある事柄は存在しなくなります。
その事について思考するから、ある事柄は自分にとって存在をはじめるのです。
「その思考は、『わたし』という思考に連なっている」と、ラマナは語ります。
この『わたし』という『自我=エゴ』が消滅すると『真我』が顕れるのです。
しかし、自我=エゴは悪いものではなく、
強い自我がなければ真我の探求は出来ないという話が、サット・サンガでありました。
ほっと、安心しました。
by haru-ha-akebono | 2012-06-10 00:27 | わたしは誰か?Who am I?