はるはあけぼの ヨガDiary

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エゴは悪ものではありません

ヨーガを学んでいる人に、エゴは良くないものだと考えている人が多いのではないでしょうか。
エゴは悪いものではありませんし、エゴのない人はいません。
エゴがきれいさっぱりとなくなった時は、その人は覚醒した人になります。
覚醒、つまり悟るまでは大なり小なりエゴはあります。
また、エゴがあるから生きていられるとも言えます。
問題なのは、エゴを悪者扱いすることと、
自分のエゴが行うことを観察しないことです。

たいていの人は、「エゴ」という言葉を使う時は他人に向けているのです。
自分のエゴを話題にする人は、あまり多くはないようです。
自分のエゴもわからずに、他人のエゴがわかるのでしょうか?
他人、つまり自分と相対する関係を持つ人のエゴが強いという時、
実は自分のエゴが強くなっている時なのです。
だって、相手を見ているのは、自分と言う世界=エゴの世界からなのですから。
もし、エゴが存在しない状態なら、相手と自分は一体=Onenessです。
相手と自分は違うと思う時は、自分のエゴが創る境界線があるのです。

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さて、再度言いますがエゴは悪くはありません。
エゴは観察対象です。
誰にとって?
本当の自分である、観る者にとってです。
だから、はっきりと強烈なエゴがあるほど見やすいということなのです。
他人をエゴが強いと審判せずに、自分のエゴを観察対象とするのが、
正しいエゴの使い方です。これが、タパスです。
自分の行いは、すべて心というエゴが創り出し、体という心の出先機関がします。

さて、エゴの観察ですが、真の観察者は観るだけで、エゴのわたしに何ら影響は与えません。
でも、人間は行いが悪かったとか、自分のとった行動が自分にとって不快だったとか、
色々思って改善を図ろうとし、実際そうして成長していきます。
その時、改善したくなるような行いを観て、そうしようとするのは何かと言えば、高い心です。
心の中は一つではありません。
高い心が低い心を教育するのです。これがヨーガの実践です。
この教育は、やはり自分を観察していないと出来ません。
ヨーガをしていない人でも、これは行っている人はいるのではないでしょうか?
反対に、ヨーガをしていても、目的が体の健康止まりですと、なかなかここまではいかないでしょう。

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では、どうやって観察をするのか?
 観察をするという決意が必要かもしれません。
 ヨーガの実践とはそういうものだと覚悟して、観察をしようと努力するのです。
そして、観察を妨げているものは何か?
 やはり、すぐに行為と密着するエゴです。あきらめずに何度でも、観察に戻るのです。
 または、自分を置き去りにしている、つまりいつも目が他人の方を向いていて、
 自分の方を向いていないということです。
 人間はそういう習性があると認識して、他人ではなく自分を観るようにします。
 その時、好き・嫌い、快・不快がどっと押し寄せてくるでしょうが、そこに捕らわれないようにします。
 なぜなら、それは一時的なものだからです。

好き・嫌いや快・不快は自分を知るために役に立ちますが、分析をしないことです。 
今は唯そうである。それは変化するのです。
自分とは固定したものではないからです。
例えば、好きだと思ったものが、次は嫌いに変化する。
例えば、ヨーガアーサナをして気持ち良いと感じた体は、
徐々に変化し、特に気持ちの良い状態ではなくなる。
水が流れるように変化していくのがエゴの自分なのですから。
好きが嫌いになったからと言って、自分を責めることはありません。
快感が不快感になったからと言って、おかしいのかと分析をする必要はありません。
自分はこういうものだと決めないことです。
自己評価もエゴですが、決定してしまうとここで止まってしまう恐れがあるからです。
そういった行動をしている自分を観察しましょう。
観る者が自分、それその者であることを知ることが生まれてきた目的です。
そのためにヨーガの実践があるのです。


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by haru-ha-akebono | 2012-07-01 01:40 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)