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はるはあけぼの ヨガDiary

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働き

先日、インド大使館で行われた「バガヴァッド・ギーター」の講義の中で、
スワミ・メダサーナンダ・ジは『何の準備もなく、急に識別の道には入れない』
と話されました。
識別の道とはギャーナ・ヨーガと言い、「何が実在で 何が非実在か」を自分に問いかけていく実践です。
この時、ラマナ・マハルシとクリシュナムルティの名前がスワミジの口から出ました。
この識別は、心が清らかにならないと実践が出来ないと言うのです。

人の内的世界は沢山の矛盾を抱えています。
それを少しずつ清めていくには、働きのヨーガ=カルマ・ヨーガが必要であること、
また人は1秒も働きから離れていることは出来ないこと、
そして、働いてお金を稼がないと人は生活していくことが出来ないこと、
ゆえに『働き』はとても大事だということです。
心の浄化は瞑想だけでは不可能で、それだけですとプライドだけが高くなるからとても危険だそうです。
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ・ジが放浪中に、
世間から離れて洞窟の中で瞑想だけしているサンニャシンに出会ったときのことが例に出ました。
そのサンニャシンは、瞑想せずに世間で働く人を自分より低く見るようになったそうです。

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世間は、自分は誰かを教えてくれる場所なのですが、
勘違いが起きると、世間は清らかでないから、
世間の俗な考えの人からは距離をおき、清らかな人とだけ付き合っていこうと考えるヨーギーや
ヨーギニーが出てきます。
これではなんのためのヨーガの実践なのかわかりません。

今読んでいるクリシュナムルティの「四季の瞑想」には、『自己知』という言葉が出てきます。
世間の他者、友人、家族との関係で自分はどのように反応しているか、
どんな態度をとっているかに気づくことが『自己知』で、
人が抱えている数限りない問題を理解するためにはこの『自己知』が必要だと言うのです。
これは、自分と対している他者を眺め審判することではありません。
自分の反応を自分で知ることで、それはあるがままを見るのであって、
理想の自分として見ることではありません。
これを実践するためには、やはり世間から離れては出来ないのです。
世間の中で活動しないと出来ないのです。

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by haru-ha-akebono | 2012-07-17 23:30 | 聖典を学ぶ