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はるはあけぼの ヨガDiary

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考え続けること

シュラヴァナ、マナナ、ニディディヤーサナ。
これは、グルの話(教え)を聴くーシュラヴァナ
    聴いたことを熟考するーマナナ
    瞑想してそれを考え続けるーニディディヤーサナ
という、ヴェーダーンタの修行です。

このどれもが、集中力が必要で、ということは体力が必要だということです。
わたしもそんなに体力がある方ではありませんが、集中力はあります。
これは、ひとえにハタ・ヨーガを続けてきたからだと信じています。
以前、身体が丈夫でない方が、
ハタ・ヨーガをイライラしながら行っている場面に、二度遭遇したことがあります。
思うように動かせないから、イライラするようでしたが、
動かした時の身体の痛みに向き合えないでいるように見えました。

一つのことを考え続けるには、集中力の他に、執念深さが必要だと思います。
ずっと前に、ヨーガを始める前に、心理学を学んでいたことがあります。
人の問題は、悩みがあることではなく、悩みを深く悩めないことだと
或る本に書いてありました。
深く悩めることが、人間の自己成長につながるのだそうです。
禅でも、グルから出された課題を考え続ける修行があります。
もう、考え尽くして手放した時に、答えが顕れるのです。
マナナ、ニディディヤーサナ、も同じではないでしょうか。

少しかじった聖者の言葉を、深く考えたり、自分には出来ないと悩んだりせず、
「とりあえず、そこに逃げていく」、つまりわかった気になるだけですと、
いつまでも自分の内面は成長しません。

なんでこんなことを書いているかと言うと、
悩んだ甲斐があったことが、あったからです。
悩みを持ち続けていると、どこかに答えが顕れてきます。
人の言葉、本の言葉、様々なところにあります。
答えが得られなくても考え続け、
得られた時には、悩んだことがあっという間に消失していくのです。
「そういうことだったのか」という、納得が実感として得られたら
なぜ、悩むような出来事に出逢ったかも理解できるのです。

少しずつ、階段を昇っていくしかないのがヨーガの修行です。
昇ったのに、少しまたは大分、転げ落ちて後退することもあります。
諦めないのも、集中力と執念深さです。
本を読んで頭で理解しただけでは、何も得られないのです。





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by haru-ha-akebono | 2015-05-31 00:09 | わたしは誰か?Who am I?