今日、「ラーマクリシュナ・シャラナム」、ラーマクリシュナの賛歌を歌う機会がありました。
歌の和訳では、「ラーマクリシュナは私の心の避難所」という言葉が出てきます。
そう、ラーマクリシュナはわたしの避難所なのですが、
ふと何から避難するか?と一瞬考え、「自分の心」からだと気付きました。
インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」に、『心は自分の友であり、また敵である』という
有名な節(シュローカ―)があります。
普通、私たちは、敵はいつも外にいると思っています。
聖典の学習や実践が進まないと、やはりその考えのままです。
この、『友と敵』という二元性は、『好きと嫌い』に通じます。
どちらも、心の産物なのですが、
「嫌い」は、その相手に落ち度があって自分が嫌悪感を持つ結果だと、
無意識に自分を納得させているのです。
相手に人から嫌われる要素があるから、自分は相手を嫌っていると思うのが、
多くの「嫌い」の構造だと思います。
でも、本当にそうでしょうか?
私たちの心の中に、「嫌う」という感情があるから、「嫌う」のです。
私たちは、自分の快適さや遂げたい欲望が阻害された時、
その原因となったものや人を「嫌い」ます。
「好き」はその反対です。
でも、この「好きと嫌い」はいつ反転してもおかしくありません。
「光と影」のようなものだからです。
このいつ反転してもおかしくない流転のような生活を続けていては、
真の幸福に到達できる日はいつまで経ってもやっては来ません。
ずっと続く幸福を願っていながら、
「不幸」を生む心をなんとかしようとは思わないのです。
相反する感情を超える方法はないのでしょうか?
まず初めに、全ての原因は自分の内側にあることを認めることです。
「敵」は自分の心だということ・・・。
外の世界に敵がいないとわかれば、恐怖や怒りが少しずつ減っていくはずです。
自分の心の制御だけが自分のすべきことで、
他者はすべて自分と同様の要素を持つ人。
共感が生まれてくるのではないでしょうか?
やがて、それは「愛」になっていくはずです。