5年前の夏、リシケシからハタ・ヨーガの師であるスワミ・ヴィシュワルーパナンダジを
日本にお招きしました。
自分の住まう地域でのヨーガクラスが多かったのですが、
スワミジの大ファンのヨーガの先生をしている女性Rさんが、
ご自分の地元に招いて下さいました。
ご自身のヨーガ教室の生徒さんを集めて、地域センターで2回ほどクラスがありました。
生徒さんは概ね年配、または高齢者と言われる方々でしたが、
まだ若いインド人のスワミの話と実践を、ほとんど抵抗なく受け容れて下さったのが、
今も印象に残っています。
Rさんの自宅の近くには有名な大きな湖があり、
また車でドライブに行った山は開放感に溢れる場所でした。
リシケシがヨーガを学ぶ世界の人たちを受け容れて都会化してるとはいえ、
東京に比べたらずっと田舎。
久々に見る田園的風景に、スワミジはとてもリラックスしていました。
また、スワミジの大ファンで、毎年リシケシを訪れているRさんは、いつもご機嫌でした。
つい先日、ラーマクリシュナミッション日本支部で、会報の発送作業を手伝っていると、
Rさんの宛名がありました。
「どうしているかしら?」
彼女が一人で暮らしていた大きな日本の昔ながらの家を思い出しました。
それから2週間ほど後、例会の手伝いに支部に行った際、
Rさん宛の会報が返送されてきました。
『宛名人死亡のため、受け取る人がいません』
という付箋が貼られたいました。
メール便配達のあった時、支部で働いている人が出掛けていて、
私が直接受け取ったのですが、そうでなければ知らないままだったでしょう。
リシケシでゲストハウスを営む、Rさんと私を結ぶ友人に、その夜メールをしました。
「自分より7~8歳年上だったRさん。自分に残された時間も、そう長くはない」
メールを書き終えて、そう実感しました。
ヒシ、と胸に迫るものがありました。
翌日、例会はクリシュナの生誕祭でした。
クリシュナの話の後、午後の講話では、『死を意識して、いかにより良く生きるか』という
テーマも、協会長のマハーラージからありました。
まるで、前日の出来事と思いがシンクロしていると驚きました。
そして、今年前半にあった苦しい自分の気持ちを振り返って、
死を意識したら、好きだとか嫌いだとか、人の言動に傷ついたとか、
それはとっても小さなエゴに過ぎないことだと理解出来たのです。
そんな自分の小さな気持ちに、いつも引きずられて生きていたら、
真に大事なことは何もなすことは出来ない・・・。
多くの人が、自分も含めて、このような好き・嫌いや善悪の感情に囚われて、
生きていると言うよりも流されて目的もなく、死までの日々を過ごしてるのだと、気づいたのです。
私が今しなくてはならないこと、それは自分は誰かを明らかにするために必要な実践。
瞑想やジャパ、カルマ・ヨーガとしてラーマクリシュナの仕事をすること。
そのためには、小さい自分は捨てなくては、と思いました。
あの日、Rさんとリシケシの友人とスワミジと4人で見た、青空が目に浮かびました。