はるはあけぼの ヨガDiary

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永遠の幸福

『生と死、善と悪、人知と無知のこの混じり合いは、
 いわゆるマーヤー、あるいは普遍的現象と呼ばれるものである。
 君たちは永遠にこの網の内側で幸福を探し求め続け、
 幾多の悪に出会うことになろう。
 悪いことには会わず、良いことだけを経験するなどというのは、
 子供っぽいたわごとだ。』  スワミ・ヴィヴェーカーナンダの言葉

自分の幸せを望むのは、人間の常でしょう。
今ある状況よりももっと良いところへ、
或いはなにがしかの不幸が訪れた時には、
そこより脱出して良いと思える地点に行きたいと思う・・・。
望む幸福が大きければ大きいほど、不幸も大きく返ってくるとは誰も思わないのですが、
それはスワミジーの言うように、現象界の摂理なのです。

「自分探し」という言葉が一時流行りましたが、今もそのためのツールが
立派な商売として成り立っていることを、つい最近知りました。
自分を探すってなんじゃ?と思うのですが、
これも今よりも幸福になりたい人がとる、行動なのでしょう。
そもそも、「自分」を探すことって可能なのでしょうか?
スワミジーの言葉を借りれば、マーヤーの外へ出ない限り、
わたしたちは全員もれなく、自分で自分を探すことは不可能なのです。
「探されたつもりの自分」は「一時的なもの」で「永遠」ではありませんから、
不幸に必ず出遭って、それに対した時の自分の反応は以前とほぼ同じ・・・。
と感じたら、また、探さなくてはなりません、もっと違う自分を。
そのからくりを理解しない限り、
「自分探し」に膨大な時間とお金を注ぎ込む必要が出てくるでしょう。
注ぎ込む人がいる限り、いただく人が存在します。
自分が商売の道具になってる間は、
真の幸せを手に入れることは出来ないでしょう。

今は、何でもお金を払うと手に入れることが出来る(あるいはそう思われてい)
時代です。自分の姿(実相)も、お金を払えば手に入ると思う、
それも「マーヤー」です。
今の自分より仮に良くなったとしても、
また生まれ変わってくる、輪廻の輪から逃れたわけではありません。
「仮に良くなった自分」から来世がスタートするわけではありません。
人間に生まれてくるかどうかも定かではありません。
この繰り返し、つまり輪廻を繰り返すことが、全ての苦しみの源なのです。
スワミジーの説くヴェーダーンタは、
その輪から抜け出ることを目的にしています。
ヴェーダーンタは、スワミジーの生まれるはるか昔からインドに伝わる
哲学で、思想で、宗教です。
輪廻から抜け出ることが、マーヤーの外に行くこと。
すなわち悟り、解脱です。
そこは永遠不滅の命、幸福の住処なのです。

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by haru-ha-akebono | 2016-02-24 18:13 | 聖典を学ぶ | Comments(2)
Commented by Who-ku at 2016-02-25 19:20 x
もっと素晴らしい真理、深い真理があるのに、それを識った方があの人も幸いなのに。そう思う場面が、たくさんたくさんあります。けれど、霊的世界に足を踏み入れることが、まず大切だと、今は思っています。
その人が、もっと高いレベルのものを求めるときに助けられるように、自ら修行するのみ。
Commented by haru-ha-akebono at 2016-02-26 00:31
本当に人を助けられるのは、ラーマクリシュナのような真のアバターラ(化身)だけと思います。人の人生はカルマで決まっているので、なるものはそのようになるしかないのですが・・・。ここに書いたものは、「高くない初歩の霊的世界」ではなく、単に金儲けのツールに「霊的=スピリチュアル」の看板を掲げたもので、そこに気を付けて欲しいと思ったのです。「金」は世俗に人を縛り付ける物でしかありません。金が絡まってる限り、スピリチュアルは遥か遠いのです。