はるはあけぼの ヨガDiary

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思いが形になる

『大きな行為ができないのであれば、せめて1ルピーを乞うて
 素焼きの水差しを買い、道端に座って喉の渇いた通行人に飲み水を差し上げなさい。
 喉の渇いた人に飲み水を差し出すことも偉大な行為だよ』
スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、弟子のニスチャヤ―ナンダに、
施しだけを受け続けることは、サードゥの堕落につながると、こう言ったのです。
このようにして始まる、スワミ・ニスチャヤ―ナンダの生涯の話を、昨年の夏、
日本ヴェーダーンタ協会発行の雑誌「不滅の言葉・特別号」で読みました。
ニスチャヤ―ナンダが、師のこの言葉を受け、
兄弟弟子のスワミ・カリヤ―ナーナンダと共に活動をし、発展していったという
ハリドワール カンカルにある
ラーマクリシュナミッション・セバアシュラムを訪れてみたい、
と思うようになりました。
その願いは案外早く、4か月後には実現したのです。

最初、『ラーマクリシュナ奉仕の家』としてスタートした時は、
3つの小屋だったというこのアシュラマは、
スワミ・ヴィヴェーカーナンダの
「リシケシやハリドワールで修行す僧たちが病気になった時に何かしたい」
という願いを、弟子のカリヤ―ナーナンダに託し開設されたのだということです。

わたしがそこを訪れたのは、インドで一番気候のいいとされる11月中旬の朝。
一刻も時間を無駄にしたくなかったので、早朝ではなかったけれど
朝食もそこそこリシケシを発ったのです。
車がアシュラムのゲートを入って、びっくりしたのは、
張り巡らされた塀の外側からは想像もつかないほど
広大な敷地が広がっていたからです。
早かったため、宿泊手続きを取るためのオフィスには、
担当のスワミジはまだ出てきていませんでした。
外のベンチで待つこと数分。
ほどなくスワミジが現れ、アシュラムで働くヒンディー語しか話せない女性が
部屋に案内してくれました。
宿泊手続きもない、あまりにあっさりした応対に、ちょっと拍子抜け。
自分の部屋となった室内も広かったのですが、
敷地内が広くて、その建物まで道に迷わないように
目印を見つけておく必要がありました。

「まずホットシャワーを浴びてゆっくりしなさい」と言われ、
また、朝食を食べていないわたしのために、
部屋にはチャイの入ったポットと、
ケーキやチョコレートを載せたお皿が運ばれてきました。
シャワーはすぐお湯が出るように、電熱スイッチが入っていました。
なんだか至れり尽くせりで、あっさりした応対とは反対の温かい心遣いに、
ラーマクリシュナの家に来た、という実感が湧きました。

ほどなく、ここのアシュラムの長のお坊様にご挨拶に行きました。
まるで子供のような眼を持っていらしゃるのに、
周囲を圧倒してしまうような存在感に、一歩後ろに引いてしまったほどです。
「何か聞きたいことはありますか?」と言われ、
「今は特にありません」としか返す言葉が出ませんでした。
その後、この方と会話をする機会はなかったのですが、
敷地内でお姿を見かけるたびに、遠くからでも自然に合掌をしていました。

それから、昼食までの時間、
ここで仕事をしている若い男性に、アシュラム内を案内してもらいました。

ラーマクリシュナ、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ、
カリヤーナ―ナンダとニスチャヤ―ナンダの名を冠したプレートを掲げた、
6階建ての大病院。
救急センターに薬局、売店。
病院の医師や看護婦、職員が住まう何棟ものアパートメント。
食堂とキッチン。
すべて自給なのか、野菜畑と牛を飼う牧場。
そして、沢山の花を植えた花畑と芝生。
僧侶の住まう建物。
車寄せの前には、ヴィヴェーカーナンダの胸像が花に囲まれて建っています。
勿論、敷地の中央には、
シュリー・ラーマクリシュナをお祀りする寺院が建っていて、
朝晩にはアラティが行われています。
牧場を抜けてさらに行くと、
スワミジー(ヴィヴェーカーナンダのこと)が沐浴し瞑想したという、
ガンガーのガートに行き当たります。
その水のきれいなこと!!
コルカタの方では澱んでいる河の水が、
太陽の光を反射して輝いているほど、透明なのです。


病院内もすべて案内してもらうと、もう昼食の時間でした。
流石に疲れた・・・。
院内には、サドゥが入院する部屋もありましたし、
ミッションのお坊様の医師も何人かいて、
普通の病院とはそこが違うところでしょうか。

昼食には、牧場の牛から採れたミルクで作ったと思われるヨーグルトが出ました。
今まで行った、ミッションの食堂と違って、
アシュラムや病院で働く人と一緒の食事です。
お坊様たちは壁を隔てた隣の部屋で摂っておられました。

午後、寺院と病院が昼休みになって、わたしも部屋で休みましたが、
雑誌で読んだ『奉仕の家』から、
この巨大なアシュラムにどうやって発展していったのか・・・。
考えるものの、想像もつきません。
ラーマクリシュナの力が背後に働いていなければ、
到底あり得ないのではないだろうか・・・。
多くの人々を動かし働かせる、神の力。
また、自分は一体、雑誌のあの話のどこに惹かれたのか?
ここに来るまで、何度も読み返し、読むたびに感動で
涙が溢れてしまうのでした。

西洋でのヴェーダーンタの講演から帰国したスワミジーに一目会いたいがため、
南インドの村からマドラス(チェンナイ)まで、
何日も歩いて行った(汽車賃がないために)というニスチャヤ―ナンダ。
(当時はまだ出家していなかった)
初めて会ったスワミジーの弟子になりたいと願い、
叶ってからは、スワミジーの肉体がこの世を去るまで、そばでお仕えした。
その後、ベルルマトを離れ、
遊行の途中に『奉仕の家』とスワミ・カリヤーナ―ナンダに遭遇し、
そこで生涯を終えるまで、
『人間の中に神を見て、その神に奉仕をする』
という、スワミジーの教えを実践することになったのです。
この一途な思いを持続できる純粋さは、
スワミジーの力なのか、ニスチャヤ―ナンダの並外れた霊性の力なのか。
或いはその両方なのかもしれません。

『奉仕の家』で働く間、
リシケシまで、街道の僧たちのために物資や薬を運び、
治療を施し、28Kmの道を毎日往復したというニスチャヤーナンダ。
その、強靭な愛と信仰心は肉体を忘れさせてしまうのだろうかと、
感嘆するばかりです。

翌日も、その翌日も、
この大病院には、やって来る患者さんが後を絶ちませんでした。
コーヒーやチャイを飲みに行っていた入り口にある小さな売店のおじさんは、
いつもニコニコして親切でした。
帰る朝、ご挨拶に行くと、
オフィスのスワミジは「またおいで!」と、笑って一言。
来た時と同じ、やっぱりあっさりとした応対でしたが、
思わず「はい、また来ます!」と応えるほど、優しい笑顔でした。
リシケシまで行く車の中で、
「自分は到底、この道を歩いてリシケシまで行けない」
と、またすぐ、ニスチャヤ―ナンダのことを思い返していました。





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    コルカタの街中に建つ、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの像













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by haru-ha-akebono | 2017-01-31 17:57 | シャクティの力 | Comments(0)