はるはあけぼの ヨガDiary

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カテゴリ:シャクティの力( 64 )

思いが形になる

『大きな行為ができないのであれば、せめて1ルピーを乞うて
 素焼きの水差しを買い、道端に座って喉の渇いた通行人に飲み水を差し上げなさい。
 喉の渇いた人に飲み水を差し出すことも偉大な行為だよ』
スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、弟子のニスチャヤ―ナンダに、
施しだけを受け続けることは、サードゥの堕落につながると、こう言ったのです。
このようにして始まる、スワミ・ニスチャヤ―ナンダの生涯の話を、昨年の夏、
日本ヴェーダーンタ協会発行の雑誌「不滅の言葉・特別号」で読みました。
ニスチャヤ―ナンダが、師のこの言葉を受け、
兄弟弟子のスワミ・カリヤ―ナーナンダと共に活動をし、発展していったという
ハリドワール カンカルにある
ラーマクリシュナミッション・セバアシュラムを訪れてみたい、
と思うようになりました。
その願いは案外早く、4か月後には実現したのです。

最初、『ラーマクリシュナ奉仕の家』としてスタートした時は、
3つの小屋だったというこのアシュラマは、
スワミ・ヴィヴェーカーナンダの
「リシケシやハリドワールで修行す僧たちが病気になった時に何かしたい」
という願いを、弟子のカリヤ―ナーナンダに託し開設されたのだということです。

わたしがそこを訪れたのは、インドで一番気候のいいとされる11月中旬の朝。
一刻も時間を無駄にしたくなかったので、早朝ではなかったけれど
朝食もそこそこリシケシを発ったのです。
車がアシュラムのゲートを入って、びっくりしたのは、
張り巡らされた塀の外側からは想像もつかないほど
広大な敷地が広がっていたからです。
早かったため、宿泊手続きを取るためのオフィスには、
担当のスワミジはまだ出てきていませんでした。
外のベンチで待つこと数分。
ほどなくスワミジが現れ、アシュラムで働くヒンディー語しか話せない女性が
部屋に案内してくれました。
宿泊手続きもない、あまりにあっさりした応対に、ちょっと拍子抜け。
自分の部屋となった室内も広かったのですが、
敷地内が広くて、その建物まで道に迷わないように
目印を見つけておく必要がありました。

「まずホットシャワーを浴びてゆっくりしなさい」と言われ、
また、朝食を食べていないわたしのために、
部屋にはチャイの入ったポットと、
ケーキやチョコレートを載せたお皿が運ばれてきました。
シャワーはすぐお湯が出るように、電熱スイッチが入っていました。
なんだか至れり尽くせりで、あっさりした応対とは反対の温かい心遣いに、
ラーマクリシュナの家に来た、という実感が湧きました。

ほどなく、ここのアシュラムの長のお坊様にご挨拶に行きました。
まるで子供のような眼を持っていらしゃるのに、
周囲を圧倒してしまうような存在感に、一歩後ろに引いてしまったほどです。
「何か聞きたいことはありますか?」と言われ、
「今は特にありません」としか返す言葉が出ませんでした。
その後、この方と会話をする機会はなかったのですが、
敷地内でお姿を見かけるたびに、遠くからでも自然に合掌をしていました。

それから、昼食までの時間、
ここで仕事をしている若い男性に、アシュラム内を案内してもらいました。

ラーマクリシュナ、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ、
カリヤーナ―ナンダとニスチャヤ―ナンダの名を冠したプレートを掲げた、
6階建ての大病院。
救急センターに薬局、売店。
病院の医師や看護婦、職員が住まう何棟ものアパートメント。
食堂とキッチン。
すべて自給なのか、野菜畑と牛を飼う牧場。
そして、沢山の花を植えた花畑と芝生。
僧侶の住まう建物。
車寄せの前には、ヴィヴェーカーナンダの胸像が花に囲まれて建っています。
勿論、敷地の中央には、
シュリー・ラーマクリシュナをお祀りする寺院が建っていて、
朝晩にはアラティが行われています。
牧場を抜けてさらに行くと、
スワミジー(ヴィヴェーカーナンダのこと)が沐浴し瞑想したという、
ガンガーのガートに行き当たります。
その水のきれいなこと!!
コルカタの方では澱んでいる河の水が、
太陽の光を反射して輝いているほど、透明なのです。


病院内もすべて案内してもらうと、もう昼食の時間でした。
流石に疲れた・・・。
院内には、サドゥが入院する部屋もありましたし、
ミッションのお坊様の医師も何人かいて、
普通の病院とはそこが違うところでしょうか。

昼食には、牧場の牛から採れたミルクで作ったと思われるヨーグルトが出ました。
今まで行った、ミッションの食堂と違って、
アシュラムや病院で働く人と一緒の食事です。
お坊様たちは壁を隔てた隣の部屋で摂っておられました。

午後、寺院と病院が昼休みになって、わたしも部屋で休みましたが、
雑誌で読んだ『奉仕の家』から、
この巨大なアシュラムにどうやって発展していったのか・・・。
考えるものの、想像もつきません。
ラーマクリシュナの力が背後に働いていなければ、
到底あり得ないのではないだろうか・・・。
多くの人々を動かし働かせる、神の力。
また、自分は一体、雑誌のあの話のどこに惹かれたのか?
ここに来るまで、何度も読み返し、読むたびに感動で
涙が溢れてしまうのでした。

西洋でのヴェーダーンタの講演から帰国したスワミジーに一目会いたいがため、
南インドの村からマドラス(チェンナイ)まで、
何日も歩いて行った(汽車賃がないために)というニスチャヤ―ナンダ。
(当時はまだ出家していなかった)
初めて会ったスワミジーの弟子になりたいと願い、
叶ってからは、スワミジーの肉体がこの世を去るまで、そばでお仕えした。
その後、ベルルマトを離れ、
遊行の途中に『奉仕の家』とスワミ・カリヤーナ―ナンダに遭遇し、
そこで生涯を終えるまで、
『人間の中に神を見て、その神に奉仕をする』
という、スワミジーの教えを実践することになったのです。
この一途な思いを持続できる純粋さは、
スワミジーの力なのか、ニスチャヤ―ナンダの並外れた霊性の力なのか。
或いはその両方なのかもしれません。

『奉仕の家』で働く間、
リシケシまで、街道の僧たちのために物資や薬を運び、
治療を施し、28Kmの道を毎日往復したというニスチャヤーナンダ。
その、強靭な愛と信仰心は肉体を忘れさせてしまうのだろうかと、
感嘆するばかりです。

翌日も、その翌日も、
この大病院には、やって来る患者さんが後を絶ちませんでした。
コーヒーやチャイを飲みに行っていた入り口にある小さな売店のおじさんは、
いつもニコニコして親切でした。
帰る朝、ご挨拶に行くと、
オフィスのスワミジは「またおいで!」と、笑って一言。
来た時と同じ、やっぱりあっさりとした応対でしたが、
思わず「はい、また来ます!」と応えるほど、優しい笑顔でした。
リシケシまで行く車の中で、
「自分は到底、この道を歩いてリシケシまで行けない」
と、またすぐ、ニスチャヤ―ナンダのことを思い返していました。





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    コルカタの街中に建つ、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの像













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by haru-ha-akebono | 2017-01-31 17:57 | シャクティの力 | Comments(0)

ドゥルガープージャ 2016

8日(土) 大田区大田文化の森で、ドゥルガープージャが行われます。
在日ベンガル人協会=BATJが主催する、
この女神のお祭りに行くようになって今年で4回目です。

初めてその人が踊るのを観た時からの大ファン、
バラタナティヤムのシュバ小久保チャクラバティさんが踊るそうです。

ドゥルガープージャはベンガル地方では一番大きなお祭りです。
インドではお祭りの最後の日に、ガンガーにドゥルガーを流します。
清らかな心の方には、土の像の中に、神が見えるそうです。

BATJのホームページはこちら



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by haru-ha-akebono | 2016-10-06 23:54 | シャクティの力 | Comments(0)

宇宙の聖なる母

今日は母の日。
自宅の祭壇のホリーマザーに、カーネーションの飾りが付いたお菓子を
お供えしました。
ホーリーマザーは「宇宙の聖母」。
先日観たパラマハンサ・ヨガナンダの映画では、
母親を亡くし悲しむムクンダ(ヨガナンダの俗名)に、
宇宙の母が語りかけるシーンがありました。
『何人もの母親となって、お前の沢山の生涯をずっと見守ってきました』

それが、わたしにとってはホーリーマザーだと気が付いたのはこの映画の影響か、
それとももう少しまえだったか・・・。
自分のことなのに無責任な言い方ですが。
女性だからか、ラーマクリシュナよりもマザーに親しみを感じます。
(二人は一つなのですが、別な姿をとっておられるところに意味があるのです。)

ホーリーマザーの愛は、執着のない愛だった、そうです。
おおよそ、生きた人間の母は「愛」という名の下に、子供を支配する執着の塊でしょう。
執着を持たない愛を、お坊様方は身をもって示されます。
執着のない愛、に慣れていない俗人のわたしには、
時に拍子抜けすることもありますが、深く考えるとそれはすごいことなのです。

『苦労はみな、彼の思し召しなのですよ
 彼がわたしたちに何をおさせになろうとしていらっしゃるのか、
 彼だけがご存知です』 ~ホーリーマザー・サーラダ・デヴィ




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        コルカタ ベルルマト近くのホーリーマザーのお寺 
















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by haru-ha-akebono | 2016-05-08 18:39 | シャクティの力 | Comments(2)

めでたきその日

今度の日曜日は、ラーマクリシュナ生誕祭。
逗子にある、ラーマクリシュナミッション日本支部、日本ヴェーダーンタ協会
行われます。

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by haru-ha-akebono | 2016-03-17 00:43 | シャクティの力 | Comments(0)

ドゥルガープージャのこと

明日は、大田区大森にある大田文化の森という区の施設で、
ドゥルガープージャが行われます。
インドの女神ドゥルガーは、
娘である女神たちと息子であるガネーシャ、及びカーティケヤを従えた女神です。
それから、乗り物である虎も・・・。
毎年、在日ベンガル人の会で行われているこのお祭りは、
明日で26回目になるようです。
インドのベンガル地方では、何日も続くお祭りで、
最後の日はドゥルガーの像をガンガーに流します。
しかし、在日ベンガル人の友人Mさんは、日本ではそれは出来ないので、
祭典が済んだら女神像はトランクルームに仕舞って、何年か使う、と言っていました。
数年使用されたドゥルガーは、
新潟県十日町市にあるミトゥラ美術館に奉納されるそうです。

内にいる神を顕現されたお方には、女神は土の像ではなく魂を持つ女神に見えるのを、ヴェーダーンタ協会の会報「不滅の言葉」で読みました。



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ドゥルガープージャは、batjiapn@gmail.comから申し込みが出来ます。
日本人はどなたも、参加費1500円です。

ヴェーダーンタ協会のサイトはこちら




                           



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by haru-ha-akebono | 2015-10-16 14:33 | シャクティの力 | Comments(0)

聖母を讃える日

昨夜、『カーリープージャ』でネットを検索していたところ、
昨年の日本ヴェーダーンタ協会のカーリープージャについて
書かれているブログに行き当たりました。
時折、協会を訪問される日本の宗派の僧侶の方が書かれたものです。
読んでいますと、
気持ちが静かになって、無駄なものが消えていくようでした。
こんな風に事象や人をとらえることが出来るのは、
書く人の気持ちが澄んで清らかだからなのだろうと思いました。

続けて読み進むと、
前回、このブログに書いたスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの言葉と同じ
ものを載せていらっしゃいます。
私は、今年はラーマクリシュナミッション本部で迎えた
スワーミージーの生誕祭の日本支部での祝賀会のことを書かれています。
心洗われる内容に、思わず引き込まれていました。

カーリープージャは2014年10月24日
スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕祭は2015年1月20日に書かれています。




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by haru-ha-akebono | 2015-10-16 00:06 | シャクティの力 | Comments(0)

1001回目の挑戦

「失敗を恐れてはいけません。
 人間が失敗をするのはごく、自然なことなことであり、
 人生の面白いところなのです、失敗のない人生とは一体どんなものなのでしょう。
 苦しみもがくことのない人生なんて、
 まことに味気ないものに違いありません。
 ・・・苦しみや間違いを避けてはいけません。
 ・・・なんべんでも理想を掲げ、もし1000回失敗したら、
 1001回目をもう一度挑戦しなさい」~スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの言葉~

 昨日、インド人の友人と谷中の方へ出掛けました。
 ランチをしたお店にあった観光用のイラストマップに、
 『岡倉天心旧居跡地』とあったので、
 話はスワーミー・ヴィヴェーカーナンダと岡倉天心の交流のことになりました。
 帰宅後、スワーミージーと日本との関係を書いた本を読み直しますと、
 スワーミージーの言葉集が巻末にあり、上に記した言葉が載っていました。

失敗を恐れてやりたいことをあきらめる人は多いのではないでしょうか?
失敗すると変?
間違うと取り返しが効かない?
そんなこと、この言葉で吹き飛んでしまうでしょう。




 
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by haru-ha-akebono | 2015-10-14 21:35 | シャクティの力 | Comments(0)

この葉のように生きる


「風の中の落ち葉のようにこの世に生きなさい。
 そのような葉は、ある時は家の中に、ある時はごみの山に吹きやられる。
 木の葉は風の吹くままに飛んで行く・・・ときには良い場所に、  
 ときには悪い場所に。
 いまや、神がお前をこの世におおきになったのだ。
 結構なことだ。ここにいなさい。」  『ラーマクリシュナの福音』第33章から

人は、ここに置かれたり、そこに置かれたりしているだけ。
何一つ、自分の意思でしていることなどない。
置かれた場所で、その方の意思のまま、道具になればよい。

  
 
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by haru-ha-akebono | 2015-10-10 22:23 | シャクティの力 | Comments(0)

普遍の愛 2

ラーマクリシュナは、宗教の教師に3つの型があると言っています。
 下級の教師は、弟子あるいは生徒たちに教えを与えるが、彼らの進歩のほどはたずねない。
 中級の教師は、生徒の利益を思って、彼がその教えになじむように繰り返し努力し、
        よく理解するよう彼に頼み、さまざまのやり方で愛を示す。
 上級の教師は、生徒がいつまでも言うことをきかないとみると、腕力まで行使する。
この上級の教師を、ラーマクリシュナは最上の師であると言いました。

宗教の教師は、知識だけを教えても教えたことにはなりません。
それなら、学者にも出来ます。
宗教の教師は、教えを自ら行動して見せることで、
生徒あるいは信者を導くことが出来るのです。
また、進歩のほどをたずねるためには、
近くにいて、生徒をいつも愛を持ってみていなくてはなりません。




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by haru-ha-akebono | 2015-06-23 22:23 | シャクティの力 | Comments(0)

普遍的な愛

アヨーッデャー(聖者ラーマの生誕地)から、
若い僧侶がドッキネシッョルに到着した時、既にラーマクリシュナは肉体を捨てていました。
僧は、東方に神が降臨したという幻を見、
ベンガルに辿り着いた時に、ラーマクリシュナの名前と住いを知ったのです。
カーリー寺院まで、1600キロの道を歩いて来た彼の嘆きは大きいものでした。
今なら飛行機で何時間、それとは違うそれは、想像を絶します。
落胆のあまり、カーリー寺院の支配人が差し出す食事も拒んで、
パンチャバティで瞑想する彼の下に、ある晩ラーマクリシュナが現れたのです。
ラーマクリシュナはプディングを彼に食べさせるために持っていました。
僧の喜びは、計り知れないほど深いものでした。

わたしがラーマクリシュナへの信仰を持つ大きなきっかけとなったのは、
この逸話を読んでからです。
この話は、難しい知識も、ラーマクリシュナの高い霊性についても、
触れていません。
在るのは、唯「愛」だけです。
ラーマクリシュナが人への「愛」のために、肉体がこの世から無くなっても、
このように出現してきた話は他にもあります。

弟子のスワミ・ヴィヴェーカーナンダも、
最も大事なのは愛であって、霊性の高さや沢山の知識にそれは優ると話しています。

沢山の深い知識を誇ることは、行動との矛盾を生みます。
自惚れに結びついた時には、何段か、登って来た階段を転げ落ちることは確かです。
清らかな行いや風貌に、一点のシミを付けるだけなのです。

他者の心に、真理や永遠へのあこがれを植え付けるのは、
普遍的な「愛」の力以外にはありません。




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by haru-ha-akebono | 2015-06-14 13:11 | シャクティの力 | Comments(0)