はるはあけぼの ヨガDiary

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カテゴリ:アートの時間( 35 )

目的がないもの

用途も目的もないもの。
アートの世界ではこれを「オブジェ」と呼びます。
オブジェは立体的なものに対して使うことが多く、
絵画でなんだかわからないものを描いたものは、「抽象画」と言います。

今月初旬、『段ボールで創る世界』と題するものを創りました。
「オブジェ」というジャンルに入るのでしょう。
何人かの参加者、全員が黙々と取り組んだ段ボールの世界。
題は、創作が終了してからみんなでがやがやと決めました。


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色は段ボールに着色されていた文字や柄。
その手触りやウェーブに触発されて出来上がったものは、世界に一つ。
高価な材料や道具はなくても、
ゆとりある時間と何をしてもOKな空間があれば、
満足いく作品を生むことが出来るのです。








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by haru-ha-akebono | 2015-12-18 00:26 | アートの時間 | Comments(0)

理由のないもの

誰もが見てわかる形になっていないと、受け入れらない?
見た人が、「これは、これこれだ」と納得するものが、いいもの?
今まで、誰も見たことがないものが、アートじゃないのかな。
何かに見えなくても、すぐにわからなくても、
見て、心地よいとか、面白いとか、創った人と見た人が、
何かを共有出来たら、それが、アートじゃないのかな。

創る人が、どんどん創作の時間と空間に入り込めたら、
そこで開放される体験があったら、
出来上がった物を見て、共感する人がきっといるはず。

へんてこな形や、なんだかわからないものから出来上がっていると、
「これは何?」
「何のためにこれを創ったの?」と聞かれたことがあるけれど、
何も目的がない物事が、存在したっていいじゃない。
そういう物がない世界は、殺伐としていると思う。


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   自然の蔓、流木と超軽量紙粘土で創ったクリスマスのオブジェ













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by haru-ha-akebono | 2015-12-06 23:45 | アートの時間 | Comments(0)

向き合って、受け止める

昨日、美術のお手伝いに、保育園に行きました。
先日、ブログに書いた美術を重要なカリキュラムとして取り組んでいる保育園です。
朝、9:30から夕方の5:00過ぎまで美術の時間があります。
しかし、一日に行うのは、たった1つのクラスだけです。
美術担当の先生は、私が6年ほど前に、
介護や障害児童の方々を対象とする美術を学んだ時の先生でした。
今は、先生も私も、その時の学び舎や資格を離れ、
プログラムの枠も自由に展開して、活動をしています。

昨日も、2時間の子供たちの美術の時間には、
様々なことが起こり、さながら、映画を観るようでした。
2時間といっても、早く終わった子は、まだ描き続けている子たちが
絵具で汚す床を雑巾で拭いたり、好きな遊びを始めたりします。
先生方は、何かを強制はしません。
掃除も自主的に始め、遊びも自由に始めます。
ここでは、先生方は、決して子供を叱りません。
話し合いで解決していきます。

子供たちの制作は、プログラム通りにならなくて良い、
どの様に発展しても受け止めていきます。
『今日のテーマ』に無理に引き戻しません。
美術は、子供たちにとって、遊びと同じであり、また大切な自己表現であるのです。

先日、カリキュラムの勉強に先生のアトリエに伺った時に
話題に出た、『おごり』ということがずっと頭に残っていました。

この園のように自由にさせていると、
大人の言うことを聞かなくなるのではないかとか、
歯止めが効かなくなるのではないか、
と思うのが一般の大人や世間と言われるものの考えではないでしょうか?
また、子供とは大人が『教え』ないと何も出来ない、知らないと思いこんでいる・・・。
自分が子供だった時、そうでしたか?
私は違いました。
幼稚園がつまらなくて、よく休みました。
あまり行かないので、親は心配したようです。
或る日幼稚園に行くと、担任の先生が、
「1カ月休まないで来たら、出席手帳の最後に金色の星のシールを貼ってあげる」
と言いました。
その月は、記憶では7月で、出席すると手帳に星のシールを貼ってくれて、皆勤だと、シールを貼る最後のスペースに金色のシールを貼ることになっていました。
でも私は、
「こんな小さな紙ぺら1枚なんか欲しくない。家で遊んでいるほうが楽しい。
 こんなシールで子供が喜ぶと思ってるの? 不思議」
と思ったのです。
ですから、その後も幼稚園をよく休みました。
また、この先生の言ったことは取引ではありませんか、子供を相手に!!
親が自由を認めてくれたおかげ(?)で、私は優等生にはなりませんでしたが、
でも、何かに歯止めの効かない人間にはなりませんでした。

ここの園で行っている教育は、特殊なのではなく、
保育の教科書に載っていて、保育士が学ぶことをそのまま
実践しているだけです、と園長先生から伺ったことがあります。

美術の時間の子供たち一人ずつの様子を振り返り、
今後の日常にどう活かしていくか?
そこには、子供たちは大人が『教える』存在ではなく、
私たち大人に『教えてくれる』存在だということが、
はっきりと表れていました。
そこには、『おごり』は存在しませんでした。


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by haru-ha-akebono | 2015-10-30 23:48 | アートの時間 | Comments(0)

海を背にして

先週の火曜日、異国の美術の仕事から帰って初めて、
東京のある保育園に行きました。
今年初めに、異国の某幼稚園で美術の先生をするチャンスが得られて、
その勉強のために、昨年夏からお手伝いに行かせてもらうことになった保育園です。
保育園の美術の担当は、わたしがクリニカル・アートなるものを始めた時からのお付き合いの、
その頃の先生で、今はフリーの造形作家として活躍されている方なのです。
わたしは、見学者という身分で行くのですが、保育園の美術の時間中助手を務めます。

美術の時間は、1日に1つのクラスの実施で、1回の時間は概ね2時間強です。
午前10時から始まって、早く終わった子は他の遊びをするし、
続けている子は心行くまで創作をします。
大体、お昼ご飯の頃には終わる子が多いのですが、
こんなに自由に美術に取り組める園は日本で他にはほとんどないそうです。
時間で区切ってしまうと、子供(に限りませんが)のエネルギーはそこで
断ち切られてしまいます。
不満足感が残ります。
それを繰り返すと、フラストレーションが溜まって、いつか爆発するかもしれません。
それは、いじめだったり不登校だったり、様々な事件へと発展していく・・・。

子供は、本来完全な姿を内包しているのだと思います。
それを、教育という名の下に強制して、
完全を不完全なものへと歪めているのではないでしょうか。
わたしは教育の勉強をしたことがありません。
でも、自分が経てきた、幼稚園や学校(特に小学校や中学校)時代の惨めさを思うと、
勉強しなくともわかることはあります。
その頃の美術の授業のお粗末さの思い出がそうさせていることが多いのです。

異国での暮らしはたった2ヶ月でしたが、
ほぼすべてが、わたしには苦痛でした。
正味40分程度の美術の時間が、1日に6クラスもあるのです。
ここの国の若い美術の先生は、まだ幼稚園の先生の資格もなく夜学で勉強中。
美術の専門の勉強の経験もないので、毎日が大変な労働のように思えました。
しかし、美術のための贅沢なスタジオがあるのです。
子供たちは、美術の時間になると担任の先生とここにやって来ます。
わたしは最初は見てるだけのオブザーバーでしたが、
短時間で大勢の子供が美術を行うので、
手伝わずにいられないほど混乱するのです。
修行に行ってたその東京の保育園とは正反対の状況に、
2~3日で疲労困憊しました。
手伝っていて、自分が楽しいとか面白いとか、全く思えないのです。
参加してる子たちは、何が起こっているのか、自分が何をしているのか
わかっているのだろうか? わたしには、わかっているとは思えませんでした。
すぐ課題をやめてしまう子がほとんどでした。

すぐやめてしまうのは、飽きてしまうから。
それを、大人は(先生たちは)、子供は集中力がないからと言います。
でも、取り組むものが面白ければ、何時間でもやるのです。
それを、昨年半年近く見てきたから・・・。
「すぐ飽きてやめてしまうのは、課題がつまらないものだからです」
と、幼稚園のマネージャーに思わず言ってしまって、
それからお互いに気まずくなっていきました。

この幼稚園が特殊ではなく、日本のほぼ大多数の幼稚園や保育園もこのように
時間で区切って、すべてを運営しているそうです。
自由な時間、遊びと同じ美術の時間は、ごく小さいこの時期にしか
体験出来ないものだと思うのですが、
その時でさえ、まるで軍隊みたいに二列に並んで歩かせて、
時間が来たら楽しくても何でも、おしまい。
こんな環境に、美術は似合わない。
わたし自身が心身の健康を崩して帰国しました。

帰国してしばらくは、保育園に行く機会がありながら、行くことが出来ませんでした。
体調が悪くて・・・。
会いたかった昨年の年長さんたちは、その間に卒園してしまいました。

異国の幼稚園でのわたしの仕事は、先生方ほぼ全員参加のワークショップの講師でした。
一見楽しんでいるような先生方でしたが、
わたしが提供しているものの、その根本にあるものは
全く理解して貰えていないのが、感じられました。
今でもそれを思い出すと、悲しくなります。
「子供のエネルギーをコントロール出来るのが、いい先生だ」
と言った、前述のマネージャーの言葉が蘇ると、今でも胸が痛くなってしまうのです。
エネルギーを開放する場が美術の時間なのに、
そこでもコントロールが始まってしまう、その矛盾。
「子供って、大人の都合でコントロールされる存在なの?」
深い疑問が残りました。

今週の半ばに、再び訪れた保育園の美術の時間は、野外スケッチ。
間近に海が見える公園の芝の上に、ブルーシートを敷き、
ハガキサイズの紙にオイルクレパスで描くのは、風。
でも、そのうち、描くものは無限の広がりを見せて、
恐竜になったり、夏に家族と行った沖縄の風景になったり・・・。
「子供たちの中には、どんな世界が展開してるのだろう?」
そのクリエイションの源を、この目で見てみたくなります。

一人で何枚描いてもいいのです。
2時間半ほど描き続けた男の子は、最後の一枚の紙を手に取って、
「世界の全部を描く」
と言って、描いたのです。
まるで、マチスかピカソの素描のような、シンプルな線の絵を。
午後の鑑賞会でも、何十枚も描いた作品の中からそれを選び、額に入れました。

わたしは、こんなたっぷりとゆっくりとした時間なら、
何時間やっても、子供と一緒にいても、疲労することはないのです。



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by haru-ha-akebono | 2015-09-18 01:39 | アートの時間 | Comments(0)

今年の「成長する絵画展」のお知らせ

昨年、ブログで紹介させていただいた「成長する絵画」展が、
今年も10月10日~18日、文京区根津のGallery okarinaBで開催されます。
わたしは、この会の主催者であるアトリエ・ルマタンの生徒です。
そして、協力の箇所に載っている、アトリエ・ルマタンアーティストネットワークの中の
一人でもあります。

詳しくは、ここをクリック

また、今年は、インターネットを通じて、
不特定多数の方から資金(支援金)を集めるグランドファンディングを利用しています。
そちらも是非、ご覧になって下さい。
成長する絵画のグランドファンディングのページはこちら。



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by haru-ha-akebono | 2015-09-18 00:23 | アートの時間 | Comments(0)

Grow

是非、観てください!!
エネルギーに満ち溢れた空間です。
そこにいると、時間が経つのを忘れてしまう・・・・。


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「成長する絵画」展2014
文京区根津のギャラリー オカリナBで、10月5日まで
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by haru-ha-akebono | 2014-10-02 00:15 | アートの時間 | Comments(0)

楽しいことは嫌い?

今月の初め、ヴァイオリンの発表会がありました。
始めて8年くらい経ちますが、ちょっとした事情で
発表会を機に、しばらくの間お休みすることにしました。
家の開かずの押入れから古いヴァイオリンが出てこなかったら、
一生弾かなかっただろう憧れの楽器です。
しかし、大人になって始めたのを言い訳に、
上達はしない、と決め込んで、練習もあまり熱心ではありませんでした。
ところが、一年に2回ほどある発表会(1回は年末の、ヴァイオリンを弾いた後にケーキを食べる会)に
毎回来てくれている友人が、
『昨年より音が力強くなった気がする』と言ってくれました。

習い始めて間もなく、先生が『上手に弾く必要はないのよ』と、
音楽は楽しむものだと教えてくれました。
みんながプロの演奏家になるために音楽を学ぶのではなく、
上手く弾くために練習するのではなく、
家族や友人と演奏し楽しむことが『音楽』であると知ったのです。


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わたしは美術の学校を出てデザインの仕事をしたり、
今は誰もが楽しめる美術の現場にかかわっています。
でも、学校時代、絵を描くことが苦手でした。
学校では絵に点数が付けられ、
本物そっくりにデッサン画を描ける人は「優秀」な生徒と言われるからでした。
美術の学校に行きたいと思ったのは、
絵を描くことや、物を創ることが好きで、
学校でもそれをずっとやっていたかったからです。
でも、学校は、プロの絵描きやデザイナーを養成するところで、
美術を楽しむところではありませんでした。

美術や音楽は、とかく仕事に結びつける、つまりプロになるものだという
固定観念が蔓延していることに気が付いたのは、
ヴァイオリンの先生の言葉を聞いた時でした。
自分の思考の中にも、その観念は育っていました。

音楽も美術も、誰もが楽しむためにあり、
上手・下手は関係ないものだと思います。
何かをクリエイトすることは、楽しむことは、
人間の生きる力を生み出すのではないでしょうか。
その中で、プロになる人は自然になるでしょう。
「稼げないから、そんなものは子供にやらせない」
と言った方がいます。
でも、そうじゃなくて・・・・・。


高齢者施設での、誰もが楽しめる造形のプログラムの時間に
お手伝いに行くようになってから5年が経ち、息苦しさを感じるようになりました。
「プログラム」という制約は描くきっかけには必要ですから問題はそこではありません。
施設で造形を提供する側から参加する方々への、ある種「上から目線」や、
このプログラムを実施するための人を養成する際に作られた
「級」という制度を盾に、同業者の中で上下関係を作り出している現状に、
疑問を抱くようになったのです。
「級」が上になったらと言って、感性まで一緒に上になるわけではありません。
これはセンスを常に磨く努力が必要です。
そして、「級」が設けられる理由は、養成校にお金が入るという事情も絡んでいます。

また、「プログラムを滞りなくこなせればいい」という気配。
それはアートプログラムを提供する側の勝手な都合であって、
絵を描く側の気持ちや、それを行う目的は無視されているわけです。
施設には様々な制約があって、
プログラムを実施させてもらうためには、
「滞りない」ことや、施設の規則に従わなくてはならないのですが、
肝心の参加者の方々の心が置き去りにされているのでは、本末転倒です。
高齢者施設で行われている、
お仕着せの手工芸に疑問があって始まったこのアートプログラムも、
見せかけだけのものになってしまうのです。

そこに在る人の気持ちより、
実施する側の規則や時間、お金や肩書を大事にすると、
クリエイティブなことからは遠ざかってしまうのです。
みんな、楽しむのが嫌いなのかな?



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by haru-ha-akebono | 2014-08-15 18:02 | アートの時間 | Comments(2)

糸を紡ぐ~チャルカを使って

羊毛フェルトの帽子を作ったその一週間前、
同じお店でチャルカという紡ぎ車の講習を受けました。
吉祥寺にあるAで、チャルカを見たのは更にその10日ほど前のこと。
インドの有名な政治的指導者であるマハトマ・ガンディーが、
綿を紡いで糸を作っていたあの道具がチャルカです。

暑くなってきても首は冷やさないほうがいいよ、と人に言われて、
夏向きのマフラーを買いにAにやって来たのです。
染めるために染めていないがゆえに安価の、
しかし品質の良い涼しいショールはすぐに見つかり、
帰ろうとして、ふとチャルカに目が行きました。
店は、商品と工房が一体になっていて、
店の中央にチャルカはあったのです。
お店の女性に色々質問すると、紡がせてくれました。
ガンディーが使っていたものとは形態が違っていて、
インドで購入した機械をAで調整して販売している、Aだけに売っているものだそうです。
そして、すぐにチャルカの使い方を習おうと思い、講習日を予約して帰りました。

家には足踏み式の紡ぎ車があります。
これはニュージーランド製で、羊毛を糸にするためのものです。
ずっと以前は、羊毛を紡いで、セーターやマフラー、バッグ等を作っていました。
しかし、ある時から、ウールを着用するとかゆく感じるようになって、
ウール製品を使用するのをやめたのです。


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羊毛の代わりに紡ごうと7~8年前にAで買った綿(わた)があって、講習にはそれを持参しました。
綿は羊毛や絹に比べると繊維が短く、足踏み式紡毛機よりも、
手で回転を調節できるチャルカが最適です。
左右の手でする、引きと回転のバランスが上手く出来るようになると、
繊維が切れることなく、紡ぎ続けることが可能になります。
2時間1枠の講習で出来るとのことでしたが、
チャルカの扱いはなかなか難しく、
時間はあっと言う間に過ぎました。
出来る糸の量は、羊毛に比べたら微々たるものです。
でも、面白い・・・!!
この日使わせてもらったチャルカを、購入しました。

周りの人に話すと、そんなことしてどうするのか?
という反応が当然のようにありました。
糸を作ったら、編むか織るかです。
そしたら、一枚の布か、セーターとかマフラーとかが出来上がります。
ただそれだけのことなのです。
機械製品で作られた布類も、元は糸で、その糸は機械が紡いだでしょうけれど、
綿とか原毛から紡がれたことには違いはありません。
作る人と使う人が違うようになって、随分と年月が経ったのでしょう。

紡ぐとか、織るという作業をしていると、とても集中出来て、好きなのです。
それは、「現在(いま)を生きている」 からなのだと思うのです。
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by haru-ha-akebono | 2014-06-12 00:12 | アートの時間 | Comments(2)

HATを作りました!!

一週間ほど前、
暑い季節に向かっているのに、フェルトの帽子を作りました。
約3時間30分ほどで、
つばの付いた裏と表の色が違う、暖かそうな物。
こんなに短時間で、こんなにきちんとした帽子が出来上がるなんて・・・!!
夢の様とは、まさにこういうことなのかと思いました。
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帽子は編み物で作ったことはありますが、
もっとラフな感じで、
気に入ったものは出来ませんでした。

羊毛でフェルトを作ることには以前から興味があって、
ずっと前に座布団(一枚の布ですが)を作ったことがありました。
8月の暑い盛りに講習会に参加したのですが、
熱湯を使うフェルト作りは苦行でした。
3人ほどの参加者は全員、汗だくでへとへと、
出来た物もそんなに愛着が湧く仕上がりではありませんでした。

今回は、個人指導で、
小さなコースターみたいなものを作ってフェルトの原理を理解して、
それからすぐ帽子(自分の希望の物)制作に入りました。
100グラムの、柔らかいメリノという品種の羊毛を2色選び、
型を決めたら、あとは、羊毛をちぎって並べ、
石鹸水をかけ、こする、巻いて転がす、この繰り返しです。
転がすときには、結構な力が要ります。
こんな力の出し方は、普段の暮しにはないと思います。
2色の羊毛ですが、裏表に絡み合うと、
お互いの色がまじりあって、濃かった茶色は少し薄く、
白っぽいグレーはやや茶色味のある物になりました。

思い出の中にあった苦行めいたことは何もせず、
(あれは一体なんだったのだろう?)
4時間の講習の終わり頃には、カッコイイ帽子が出来上がりました!!
お店のスタッフさんや、講習を受けに来ていた方々から
「ステキ!!」というお褒めの言葉を頂戴し、
まだ乾ききらない帽子を、大切に持って帰ったのでした。
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by haru-ha-akebono | 2014-06-11 23:27 | アートの時間 | Comments(0)

レインボウ

1年近く、卒業した学校の同窓会を手伝っていましたが、
今日退会しました。
学校とは、大学の付属高校で、女子高です。
女性の自立や個性を大切にする校風なはずなのですが、
なんともはや、有閑マダムの集まりとしか思えない会です。
世間ではもう若くはないわたしが最も若いほうなので、平均年齢は相当な高齢です。
ですから、仕方ないのかもしれません。
しかし、年齢のせいばかりではなさそうです。
今時、「有閑マダム」という言葉は死語のようですが、
何を誰をターゲットに、延々話し合いをしているのか・・・・、全くわからない。
暇があってこそできることです
そして、建設的と思われる意見は、冷やかに受け流されてしまいます。
少し若い方々も、長いものには巻かれろで、その場に合わせて自分の意見は言いません。
(陰でこそこそは言いますが)
これがこの学校の教育の成果ですか?
自主性、自分が個性を主張するなら、他人の個性も認める・・・・。
これが校風だったのではなかったのですか?

それなりに愛校心を持っていた私ですが、その心は何処かへ消えました。
学校を卒業して〇〇十年・・・。
その後の道を振り返って、今はもうどこの学校を出ていても関係ないと思います。
学生時代は楽しかった、けれどそこに執着はないのです。
そこで学んだことを、社会で人のために活かせてこそ、まことの「教育」なはずです。


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by haru-ha-akebono | 2013-11-06 23:52 | アートの時間 | Comments(0)