はるはあけぼの ヨガDiary

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浄められた夜

昨日の夜、NHKBSで、女優の菅野美穂さんが出演する「ヨーガの聖地を行く」という番組を観た。
何回目かの再放送。
デリーから、リシケシのシヴァナンダ・アシュラムへ。
そして、聖地ガンゴートリに行こうとしたが、道路の事情で不可能になり、
リシケシは戻る途中に、シヴァナンダ・アシュラムの当時の総長である、スワミ・チダナンダジの
住まわれている、シャンティ・ニワスへ寄る。
面会が許され、チダナンダ・ジのお部屋に通される。
チダナンダ・ジは、ベッドに寝付いておられるが、話す声も言葉もしっかりとしていらしゃる。
菅野美穂さんに向かって、
「ヨーガはインドの古代科学。それは、この世界のすべての国の人たちを助けるためにある。」
と言われた。
何回観ても、ここで感動してしまう。
ヨーガは単なる健康法ではなく、人々を救う世界の財産なのだ。
菅野美穂さんに、「スーリヤ・ナマスカーラ」を行うように、勧めておられた。
太陽を礼拝するポーズは、「ヨーガと体の科学」と言う本で、
チダナンダ・ジご自身がモデルとなってやっておられる。
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私が、初めて一人でリシケシに行ったのは、この最初の放送があってから1年後。
あと3週間ほどで帰国という時に、
チダナンダ・ジが病(確か脳出血だったと思う)で倒れたと聞いた。
チダナンダ・ジは、シヴァナンダ・アシュラムから車で1時間ほどのデラドゥーンという街に
ある、シャンティ・ニワスに住まわれていた。
その報せがシヴァナンダ・アシュラムに届いてから、アシュラムでは
サット・サンガなどが行われるサマディ・シュラインで、
72時間の「マハ・ムリィトゥーンジャヤ・マントラ」の詠唱が行われることになった。
アシュラムのスワミ・ジたちは何人かずつ交代で、インド人や外国人の信者も参加して、
途切れることなく、それは唱えられた。
「マハ・ムリィトゥーンジャヤ・マントラ」は、直訳すると「死に打ち勝つ偉大なマントラ」。
私も、日中にアシュラムを訪れた時は、参加した。
皆、チダナンダ・ジの快復を心から願っていた。
シュラインの中は、そのバイブレーションに満ちていた。
そして、72時間を迎えるという夜のサット・サンガに参加して、全員で唱えている最中に、
チダナンダ・ジがマハ・サマーディに入られた、という知らせがデラドゥーンから届いたのだ。
参加者全員の驚愕。
祈りが届くと思っていた私もとてもショックだった。
一度、お会いしたかった・・・。

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次にリシケシを訪れたのは、その3ヶ月後。
知り合いの人たちと一緒に、シャンティ・ニワスを訪ねた。
チダナンダ・ジの霊性が部屋中に熱く感じられ、まだそこにいらっしゃる、気がした。
長いことチダナンダ・ジの側近をしていたスワミ・ジの話を伺って、
「このスワミ・ジは、今どんな思いなのだろう」と思うと、胸にこみ上げるものがあった。
以来、リシケシに行くたびに、シャンティ・ニワスを訪れている。

一度もお会い出来なかったチダナンダ・ジの姿、言葉に接することが出来る、
貴重な昨夜の番組。
身も、心も、浄められた夜。

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by haru-ha-akebono | 2011-12-27 02:16 | 祈りの言葉 | Comments(0)

腕を骨折~観る者と観られる者、そしてシャクティの力

8月の終わりに、左手首を骨折した。
あるところで、ファブリック・アート(布で絵を制作するもの)のワークショップが行われ、
友人に誘われて参加していた。
制作が終わって、もう帰るという時に、会場にあった大きくて重い跳び箱みたいな形の椅子に
足を引っ掛けて、バランスを崩し、左後方に転倒した。
何とか体制を立て直そうとしていたので、倒れるまでにうんと時間があった気がする。
でも、一瞬だったのだろう、体が床に倒れた時に、すごく大きな音がした。
どこにも痛みはなかったので、立ち上がろうとしてふと左手を見て、すぐに手首が折れているとわかった。
手首が太くなって、アコーディオンのようになっていたから。
皮膚の色も赤味がかっている。
まず思った。
3日後に、趣味で行っているヴァイオリンの発表会があるのだが、出られない・・・。
暗い所に突き落とされた気分。何ヶ月かの猛練習が水の泡だ。
それから、救急車で総合病院みたいなところに行くのかな?と考えた。
今度は気持ちがヒンヤリとしてきた。
幸い(?)、その会場の同じフロアに整形外科があって、すぐに診てもらうことが出来た。
なんだか、気持ちの一部がとても冷静になって、自分の気持ちや体調の変化をじっと観ている。
整形外科で聞くまでもなく、歩いて移動する間、右手で支えないと左手は自立行動が出来なかった。
皮膚の中で、骨がガシャガシャと音をたてるのが感じられた。
レントゲンを撮って、それから麻酔を打って、ギブスを巻く。
肘を直角にして、肘上10センチくらいまでギブスを巻いた。
気分が悪くなっていたが、麻酔を打ったらすぐに治った。
痛みで気分が悪いのだと、医師に言われた。
しかし、折れた場所が痛いという感覚はほとんどなかった。
三角巾で首から腕を吊った。まだ暑いのに、重装備。
説明を受けて、鎮痛剤を貰って、帰った。
今思うと、骨折と言う緊急事態で、何も余計なことは考えられなかったのかもしれない。
でも、やはり冷静だったのだ。
自分の観察者の存在を感じていた。
これが観る者?観られているのは、私の体と心。
その存在を感じていたから、安心していられた。
友人が家まで送ってくれて、戸締りもしてくれた。感謝。


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この時から、片腕で一人で生活をしていかなければならなくなった。
今までにない経験ばかりだ。
成長する中で、自然と身についた両手で行う生活動作のすべてが、根底から覆された。
新しく、すべてを習得しなければならない。
動作は常にゆっくりと行わないと、何一つまともに出来ない。
一つずつ確認しないと、意識しないと、何も前に進めることが出来なかった。
外に出ると、片腕のためバランスが悪くて、階段やエスカレーターの昇降が怖かった。
周りを良く見渡してから、動く。
他人の動きの速さと、全然違う自分。
自分だけがスローモーションで動いている。
日常生活の些細な動作を、こんなに丁寧に意識して行ったことが、かつてあったろうか?
こんなに気づき続けていたことが、あったろうか?

そして、ずっと1年あまり、自分の中で堂々巡りをしていた出来事の想念、
それが、骨折した瞬間に消えた。
非常事態だから?そうかもしれない。
非常事態の時は目の前のことで手一杯だから、ゆとりがないから、だから?
でも、そうではないと直感した。
怪我が快復しても、もう二度とその想念はやって来なかった。

インドの女神に、美を象徴するトリプラスンダリという神様がいる。
宇宙のエネルギーである、シャクティを象徴する女神の一人だ。
彼女は、醜いエゴを持つ者を破壊し、結果その者を苦しいエゴから解放する、という話しがある。
私の骨折は、このシャクティの力、まさに恩恵なのだ。
骨折は大変なことだけれど、あの心の苦しみはかなり凄まじかった。
その心の闘いは、わたしのエゴが生み出した一人芝居なのだが、そう分っていても、
どうにも出来なかった。
心が瓦礫になっていくようだ。この瓦礫をなんとかしたい・・・・。
思えば思うほどに、瓦礫の量は増えていった。

シャクティの力で、すべてのことは起きている。
この全宇宙の出来事は、シャクティの活動による。
それがインドのタントラ。
シャクティなくしては、この世界は何もなく、何も動かず、
誰もが生きることはおろか、まばたきさえも出来ないと言う。

この骨折は、トリプラスンダリ(シャクティ)の慈悲なのだ。
救われたのだ、私は。

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by haru-ha-akebono | 2011-12-25 01:05 | シャクティの力 | Comments(0)

永遠の時刻

まだ、ハートの中心に、余韻がずっと残っています。
今日の午後、カフェ・ひねもすのたりのクリスマスコンサートに行って来ました。
高橋美千子さんの歌と、金子浩さんのリュート演奏によるユニットです。
11月に初めて、お二人のコンサートを聴いて、すっかりファンになりました。
いつもは4つのテーブルが置かれているカフェは、30人あまりの観客で満員御礼です。
ステージはなく、歌手も奏者も観客も一体となって、熱気に溢れていました。

高橋美千子さんはイタリヤ、フランスなどの歌曲のソロ歌手で、現在はパリ在住。
金子浩さんは、リュートの奏者です。
少し遅れてしまった私が入って行った時、「グリーン・スリーブス」が歌われていました。
大好きな曲です。
しっとりとした歌声が、会場の中を少しずつ暖めているように感じられます。
「愛の小径」、「夢のあとに」、など馴染みのある曲が続きます。
すっかり、お二人の世界に引き込まれて行きました。

11月のコンサートでとても強く印象に残ったのが、寺山修司の詩に、
高橋さんの友人の、作曲家で指揮者でチャンバロ奏者という多才な、ねもとたくやさんという方が
曲をつけた歌でした。
今回も、寺山修司の「猫」という3部作の詩に、ねもとたくやさんが作曲をした歌が
歌われました。
短い詩なのに、不思議な世界・・・寺山ワールドが、目の前に展開されてくる・・・。
ありありと、その詩に描かれた光景が浮かんでくるのです。
高橋美千子さんと寺山修司の魂が一体になって、空間を埋め尽くしているみたいです。
胸が熱くなりました。
紙の上で読んでいるのとは違った、寺山修司の詩。
言葉がまるで生き物のように舞っている、そう感じられたのです。



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ヴォーカルが少し休んでいる時間に、リュートの独奏がある・・・と思っていたら、
金子浩さんは、突然、ウクレレを出して演奏を始めました。
曲はリュートのものです。
年老いても、寝ながらも弾けるのはウクレレと言う話しに、なるほど・・・。
趣味でヴァイオリンを弾く私には、考えさせられる話です。
飄々とした風貌とお話しに、静けさと奥行きのある演奏。
なんとも魅力のある方なのです。

「きよしこの夜」やシューベルトのアヴェ・マリアが歌われて、
すっかりクリスマスの気分が盛り上がっていきます。
最後は、吉田美奈子さんの曲、「星の海」。
沢山の大変なことがあった今年、日本の祈りの曲と思っていると高橋さんが紹介して歌われた、
締めくくりにふさわしい、レクイエム。
満天の星が目に浮かびます。
涙が溢れてしまいました。
美しいものは、歌も詩も曲も、古びない。
永遠のいのちを持っている・・・。永遠の時刻の中で、生き続けていくのでしょう。


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演奏者のお二人、ひねもすのたりの方々、素晴らしいひと時を、ありがとうございました。








☆高橋美千子さんのブログはこちら

★ひねもすのたりのホームページはこちら
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by haru-ha-akebono | 2011-12-23 20:32 | 祈りの言葉 | Comments(0)

プラーナーヤーマ・コース

2度目にリシケシに行ったとき、スワミ・ヴィシュワルーパナンダ・ジの
「プラーナーヤーマ・コース」があった。
2ヶ月間、1日3時間のプラーナーヤーマの実践を行うものだ。
朝と夕方は、決められたメニュウを自分一人で行う。
午前のヨーガクラスの時は、クラスに参加する全員で行う。
食事はスワミ・ジの決めた物を、2ヶ月の間、摂った。
とても消化が良くて、刺激のない物が中心。精白した物は摂らない。
プラーナーヤーマの初めは、カパール・バーティを行う。
プラーナヤーマの一つでもあり、シャットカルマ(浄化法)の一つでもある。
カパールは「頭蓋骨」、バーティは「光・輝き」を意味する、サンスクリット語。
「人間は、いつも沢山のことを考えていて、額の所=前頭部には毒素が溜まっている。
 カパール・バーティで、それを取り除くことが出来る。」
とスワミ・ジは言った。
カパールバーティは片鼻ずつ交互に行うスタイルで、2分間を2セット行う。
終わると、気持ちがシーンとして、そのまま集中に入れそうだ。

人は一体、何をそんなに考えるのか?
たいていは済んでしまった過去のことだ。
「ああしなければ良かった」とか、「こうすれば良かった」とか、「悪いのはあいつだ」とか・・・。
際限がない。
過去への執着が、人を縛り、ネガティブな思いを増幅させていく。
考えるほどに、増幅するから、小さなことがどんどん大きくなっていく。
分析など始めたら、もう収集がつかなくなる。
物事への執着も、その際限のなさも、エゴ。
みんな、エゴが生み出す、幻なのだ。
例えば、過去とはもう終わったこと。
それを思い出し、悔やんでみるのは、記憶の絵巻物を取り出して、
何とか絵を描き直そうと、あがくこと。
何とか筋書きを自分の好きなように書き変えて、やり直したいと、出来ない相談をすること。
それが、前頭部に溜まる毒素の正体。


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プラーナヤーマは、人間の精妙な領域を浄化して、生命エネルギーを拡大させる。
意識と無意識をつなぐ、架け橋。
心と魂をつなぐ、人間の最も高い意識の領域を開く、科学。

スワミ・ジのプラーナヤーマ・コースの初日は、全員がシャワーを浴びて体を清めたあと、
ヨーガ・ホールの上にある屋上で、皆でハヴァン(火の儀式)を行った。
「ハヴァン」はヒンディ語で、サンスクリット語では「ヤギャン」と言う。
正確に言うと、「犠牲供養」。
「ガヤトリ・マントラ」を唱えながら、一人ずつ、火にギー油(バターから作る油)をかける。
スワミ・ジは、「ハヴァンとは、サレンダーのことだ」と言った。
「サレンダー」とは、直訳すると、「明け渡す、降参する、etc・・・」という意味。
自分のエゴを、火の中に供物として投じるのだ。
「明け渡す」とは、誰に?何を?
エゴではない、本当のわたしは、宇宙の純粋意識である。
エゴを火にくべて、そこに融合していくこと。

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このハヴァンの時に限らず、プラーナヤーマの前にはかならずシャワーを浴び、
身を清めること、と言われた。
この時は2月。リシケシも、東京ほどではないが寒かった。
朝、5時にシャワーを浴びるには、温水器のスイッチを入れて温まるのを待つため、
もっと早く起きる。小さな電気ストーブだけで(あるだけ良いのだが)、寒い!!
たまーに、朝の練習をサボった。
そういう時に限って、ヨーガクラスの時、スワミ・ジは、
「YUKO、朝のプラクティスはしたか?」
と聞くのだ。
「しなかった」と答えると、頭をぶたれた。

エゴは火にくべたはずなのに・・・・。


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by haru-ha-akebono | 2011-12-22 01:35 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)

月の海  Mare Foecunditatis

この間の「ヨーガ・スートラを学ぶ会」は、第1章の4節と5節を学びました。
その時に、仏教の唯識の話しがありました。
唯識について、もっと詳しく知りたくなりました。
「ヨーガ・スートラ」を日本に紹介した有名な「ヨーガ根本教典」は、仏教用語で書かれていて、
その言葉の意味を知るために唯識の勉強を始めた、という人を知っています。

この「ヨーガスートラの会」で唯識と出会うまで、
唯識に関する私の知識は、三島由紀夫の「豊饒の海」で読んだものだけでした。
「豊饒の海 第3部・暁の寺」の中で、唯識について語られている所があります。
すべての事象は、刹那に生まれ、また滅していく。
この繰り返しであるというのです。
滅生の動きが速すぎるため、人間の目には連続して見えるけれど、
そうではなく、生まれて滅してを、時間の極小の単位で繰り返していると言うのです。
この不可思議な説(私にとって)に、ヨーガを始めてから、何回もこの部分を読みました。
昨日の昼間、バスに乗っていて、窓外の風景をその唯識の考えで眺めてみました。
実際には見えないけれど、その滅してはまた新に生まれて来る、その隙間を想像してみました。
隙間は、何か光のようなものとして、私の内部で現れるのです。
でも、やはり実際は見えていません。唯のイマジネーションです

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「豊饒の海」は4部作で、主題は輪廻転生。
昨日、4部の終わりの部分を読んでいると、輪廻転生は大きな意味での
「刹那滅生」だと思いました。
この物語の大きな主題の中の小さな部分、出来事が、また刹那に現れては滅していく。

唯識の考えは、常に「現在」だけが存在し、
過去は滅してもう既にここにはなく、未来はまだ現れてはいません。

「過去」は、人の記憶にだけ存在する・・・。
「未来」は、人の空想の中にだけ存在する・・・。
それなのに、私もですが、人は変えることが出来ない過去に執着して、
まだ来ない未来に一喜一憂して、
「現在」をフイにしているのです。

「何もないところ」に、主人公は「来てしまった」と思って、物語りは終わります。
ヴェーダーンタなら、「すべてはマーヤだった」と言うことでしょうが、
仏教には神、または人間を超える絶対の存在がありません。
すべては「空」だ、ということです。
この「空」は、何もないのではなく、そこからあらゆるものが現れ出て来る、
そしてまたそこに帰って行く、ところ。

生きることは、一刹那そこへ帰り、またそこから現れ出て来る、
そう思ったら、見える景色も、なにより自分が、いつも新しい・・・・。
すべてが光を含んだ、生命と見えてくる、感じてることが出来るのです。


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by haru-ha-akebono | 2011-12-21 02:39 | 聖典を学ぶ | Comments(0)

仮面劇~ペルソナとシャドウ

仮面劇と言っても、ギリシャの演劇について語るわけではありません。
仮面=ペルソナという言葉を、ユングの心理学を学んで知りました。
ユング心理学には、ペルソナ、シャドウ、アニマ、アニムス、グレートマザー、ワイズマン、
などの元型=アーキタイプというものが登場します。
そのうちのペルソナについて、書くことにします。

誰でも、子供から大人へと成長する間に、社会に適応するための、
「外面(そとずら)」を身に着けていきます。
自分のいる、学校・地域・会社などなど、成長と共に活動の場が広がれば、
それに応じて外面が増えていくわけです。
この外面を、ユングは「ペルソナ=仮面」と言いました。
ペルソナを身に着ける事は、その人を外界から守ってくれるのです。
その人が活動する場の価値観にふさわしい仮面を着ければ、周りの人たちとの
交流が円滑になり、場の仕事が速やかに行われるのです。
その場の価値観に合う行動をして、余計なことは言わず、せずにいれば、
「良い人」、「仕事の出来る人」、「気の効く人」、などの好評価を得て、
傷つくこともなく、生活が出来ます。
例えば、会社にいる春さんと、退社後に友人と遊びに行く春さんは、ちょっと違ってるはずです。
会社ではそれにふさわしい仮面を付けて、遊びに行く時はそれにふさわしい仮面を付けるからです。
また、家で家族にだけ見せる顔、一人になった時の顔は違っていて当然。
成長と共に、親や周囲の大人や友人を真似て、無意識にまたは意識して、仮面は着けられていくのです。

自分を振り返ると、11歳頃になって、意識してそれまでとは反対の性格を身に着けようと
したことを、覚えています。
その後、アーティストを目指して自由な環境の学校生活を送ったわたしは、
社会に出て苦しみました。
順風満帆ではなかった20代、今のNHK朝ドラの主人公くらい負けん気が強かったら、
また違った人生だったかもしれません。
その苦しみから逃れたい、シュリ・ラジニーシの本にある様な、真の自由に出会いたい!!
その思いから、心理学やヨーガに出会っていったわけですが。
仮面を着けることが下手だったのです(と思っていた)。
仮面を上手に着けている人がうらやましくもあり、偽善者にも思えました。
内にある強いエネルギーを表現しきれない、もどかしさ。
様々な体の不調が現れました。

しかし、そんな私も何らかの仮面を上手に着けていたのです。
仮面が合わないから、体の不調が現れてくるのであって・・・。
仮面を着けることによって、押し殺されている人格の部分を、「影=シャドウ」とユングは言います。
仮面と影は、表裏一体なのです。
自分を外界から守ってくれている仮面があるのに、自分が苦しくなるのは、この影のせいなのです。
正確に言うなら、影に気づかずにいた自分のせいです。
影を生きる・・・。
多くの人はこの影を無視し、生きています。
仮面を本当の自分と錯覚し、影があるなどとは思わないで生きていると、
思わぬ落とし穴が待ち受けています。
仮面が真の自分だと思い込んでいると、活き活きした生活から遠ざかって、
パターン化した暮らししか出来なくなっていくのです。

まだ、心理学を学んでいながらヨーガを始めたばかりの頃、
遠藤周作さんの遺作となった「深い河」という小説を読み、映画も観ました。
この本の主人公は二人だと、私は思うのですが、そのうちの一人は悪女。
頭が良くて正直な、進んで悪を生きようとするその姿勢に、とても惹かれました。
「そうだ、私は自分の中にある悪の要素=影を、悪いことだと決めて、押し殺そうとしてきた。
 ネガティブな感情を審判して、自分をコントロールしようとしていた。」
と気づいたのです。
今思うと、このコントロールすることがエゴ、であるのですが、
当時はそこまで理解が進んでいませんでした。
正直になろう、とするのは、苦しかったし、大変でした。
だって、今まで信じてきた自分の価値観が、自分の行いを裁くのですから。
でも反面、爽快でもありました。
そこまで意識化出来たから。
要するに、苦しいのは自分の価値観が、自分の中に自然に起こる感情を
裁いているからです。
そして、周囲の目を気にしてると思うのは、
同じように自分の価値観が自分の行いを気にして、
周囲からどう見られているのか?
自分が周囲の目になって、OKかNOかを出していると言うことなのです。
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「ヨーガスートラ」の第2章に、ヨーガの8支足=アシュタンガ・ヨーガが出てきます。
その中のヤマに、「サティヤ=真実を語る」があるのですが、
自分をとことん追究しないと、サティヤにはなれない気がします。
まず、自分を審判することをやめないと。
そんなことさえ意識せずいる人は、なにかあると外界のせいにしているのかもしれません。
そして、自分の気持ちは自然に起こるのであるという理解と
それを意識化する忍耐強さ(?)が必要です。

意識せずに着けている仮面は、醜いと思うのです。
何より、いずれ本人を傷付けていくのですから。
押し殺しすぎた影が、あの有名な「ジキル博士とハイド氏」。
仮面を着けていることを意識してみると、
今まで知らなかった自分が、自分の中に立ち現れてくると思うのです。
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by haru-ha-akebono | 2011-12-18 15:27 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)

山梨県民の祭りへ~臨床美術の休日❤バッカスに乾杯!!

11月、臨床美術の仲間と≪山梨県民の祭り≫に行きました。
2年前に、母校の夏季アートセミナーで、臨床美術を初めて学び、5~4級の資格を取りました。
その時一緒に受講したメンバーとは、今も時折、スキル・アップの勉強会を行ったり、
飲み会をしたりしています。
その中に、山梨在住のAさんがいて、この県民祭に誘ってくれたのです。
当日は彼女が車で色々案内をしてくれると、東京からメンバーのうちの3人で出かけることになりました。
が、予定の日の3日前にAさんが水疱瘡にかかったとメールがあり、
私たち3人で観光できるようにと、日程表がFAXで送られてきました。
まあ、何とかなるでしょう・・・!?
また、当日は一人が指定の列車に乗り遅れ、後の列車で来る、というアクシデントも発生・・・。
したものの、無事に県民祭の行われている、石和温泉駅近くのスポーツ公演に到着しました。
天気は快晴。東京からJRあずさで1時間30分程なのに、空気がきれいです。



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県民祭のメイン・イヴェントは、山梨の酒造メーカーの新酒ワインの試飲会。
そのテントの入り口で1000円支払うと、プラスティックのワイングラスとグリッシーニが
手渡され、好きなメーカーの所に行って注いでもらうのです。
各メーカーとも赤、白とあって、ロゼや発泡ワインを置いている会社もありました。
テントの周囲にはワインのおつまみになる食品や、山梨の名産品などを売る店が
並んでいます。












陽は天に高いというのに、3人とも、もう顔が赤く、かなり良い気分。
水を買ってくると言ったまま帰ってこないIさん。
酔ってどこかで眠ってしまったのか?と思っていると、手漉き和紙の葉書を作ってきたと、
ワイン祭り会場に戻って来ました。
さすが、アーティスト。こんな時も物創りを忘れないのですね!!
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試飲評価表に几帳面に書き込みながら、各社のワインを試飲してるOさん。
このイヴェントの目的を、的確に果たしていますね!
夏の手の骨折以来、初めてお酒を飲んだ私は、そんなに飲まないのにかなり酔ってしまいました。


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さて、夕方、甲府駅前の有名なワイン会社のワイナリー見学を予約してあるので、
その前に行くことになっている画廊を目指して、会場を後にしました。
画廊は、甲府駅から車で10分くらいの場所にある「古春堂ギャラリー」。
Iさんが出発前に、ここで開催されている版画展が観たいと行って、行くことになりました。
画廊は、以前経師屋さんだった古い日本家屋で、中へ入るとタイム・スリップしたかのよう。
とても落ち着く和室です。
版画の作家さんはまだ若い男性ですが、作品は優しい色使いの花や果実を版で表したものです。
風景もいくつかありました。
作品には人柄が出ますね。
寡黙で決して自分の作品を主張しない作家さんと同じに、作品はどれも静かに佇んでいます。
この画廊のオーナーの奥様がお茶を出してくださり、少しの間、作家さんも交えて歓談しました。
奥様は、Iさんと私の学校の先輩だそうです。
同窓会山梨支部の話を伺いました。

いつまでも見ていたい・・・・。ずっと一緒にいたくなる、
物静かな中に明るさと温かさを感じる作品たちと出会えて、幸せでした。
ありがとう、Iさん。

そして、そこから歩いて20分ほどの所にある、サドヤ・ワイナリーを見学に。
広い敷地の地下にワイナリーはあります。
見学時間は30分ほど。
説明してくれるサドヤの方は年配の紳士。
中は暗く、ヒンヤリとしていました。何十年も前に仕込んだ瓶の数々。
いつも飲むだけで、造る作業には思いを馳せたことがなかったのですが、
この薄暗く温度が一定に保たれた場所がワインの住まい、異次元の場所のようで
やはり貴重な経験でした。


下の写真は、ワイナリーの出口近くにある、日本版シヴァリンガムです。
宇宙の意識を表しているのでしょうか?                
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階段を上がると、そこはワイン・カフェの店内。
帰りの列車時刻まで一休み。
また、ワインを飲みました。
バッカスに乾杯!!
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by haru-ha-akebono | 2011-12-15 19:04 | アートの時間 | Comments(0)

ヨーガとは、心の働きを止滅することである

「パタンジャリ・ヨーガスートラ」のあまりに有名なこの言葉・・・。
心の働きって、止めることが出来るの?
いつも飛び回って、ひと時も活動をやめない心。
眠っている時も、夢を見ている時は心が活動しているという。
その心が活動を停止した時は、どんな状態になるのだろう?
その時が「ヨーガ」。
私たちは、アーサナやプラーナーヤーマをする時に、「ヨーガをする」と言う。
でも、心が停止または止滅しなければ、ヨーガではないのだ。
第1章の2節でいきなりこんな言葉が出てくる、パタンジャリの「ヨーガスートラ」。
私が最初に出会った「ヨーガスートラ」は、内容よりも、ひどく難しい日本語だけが印象に残った。
苦労して日本語に置き換えたのでしょう。でも、さっぱり分からなかった。

抱一先生のヨーガ塾の「ヨーガスートラを学ぶ会」に初めて行った時、
「ヨーガスートラ」は、とっても面白いものだと思った。
「ヨーガスートラ」は1つの節が短く、これだけを読んでも私たちには理解出来るものではない。
それを、実際にサマーディを体験したインドの聖者たちが解説した書物が、残されている。
抱一先生がそれらの書物を訳し、比較しながら読み進めていく勉強会は、
私にとっては、生きた聖典の学習。
解説に入る前に、参加者全員で、サンスクリットのスートラ(節)の詠唱をする。
スートラに、どんどん気持ちが集中していく。


★今週、12月17日(土) 三鷹沙羅舎・ヨーガ塾で、「ヨーガスートラを学ぶ会」があります。

ヨーガスートラを学ぶ会 No.2 のお知らせ
12月17日(土) 1:30p.m.開場 2:00p.m.~4:00p.m. 講座
●今回だけ時間が変更します、ご注意ください。
今回の予定は、ヨーガスートラ第一章4節~6節です。
4節 心が止滅せずに動くとき、自己(プルシャ)は心と同一化する。
5節 自己が心の動きと同一化するとき、苦痛の伴うものと伴わない心の状態が5種類ある。
6節 その5種類とは、正しい認識、間違った認識、空想、熟睡、記憶である。
皆さまのご参加をお待ちしております。
時間の繰り上げで、参加できない人には沙羅舎の事情により申し訳ありません。
参加費 2,000円(当日)  講師 抱一  参加連絡は必要ありません。


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by haru-ha-akebono | 2011-12-14 01:25 | 聖典を学ぶ | Comments(0)

冬の酵素ジュースを作る

阿佐ヶ谷のひねもすのたりで行われた、冬の酵素ジュースを作る会に参加しました。
金曜の昼下がり、11人の男女が集いました。
そもそも酵素とはなんぞや?
スーパー大辞林によると、
「生物の細胞内で合成され、消化・呼吸など、生体内で行われるほとんどすべての化学反応の
触媒となる高分子化合物の総称。タンパク質だけ、またはタンパク質と低分子化合物とから成る
その種類は多種多様で、化学反応に応じて作用する酵素の種類が異なる。」
ということなのですが。

ジュースの材料は、なんと30種類。全部で10Kg。
冬の野菜、例えばさつま芋・蕪・蓮根・大根・・・他にも沢山。
冬の果実、例えば蜜柑・柿・キウイ・金柑・3種類の林檎・柚子・・・他にも色々。
そして、玄米・小豆・どんぐり・銀杏などの穀物や木の実。
すべて、無農薬で国産を使います。
国産なので、アメリカで作る時はアメリカ産のものだけを使うそうです。
身土不二と言うことですね。
果物は無農薬は難しいので、農薬を何割か使用してる場合は、1000倍に薄めた酵素液に浸けて
おき、水で洗ってから使うそうです。
材料を洗う水は、湧き水や川の水が一番良いそうで、そうでなければ浄水を使用します。
発酵を促すのは、白砂糖。不純物の入った砂糖は発酵が上手くいかないそうです。

さて、全員で手分けして、材料を細かく切る。
どんぐりは半分に切り、銀杏は殻を取って、薄皮もむきます。
蜜柑とキウイ以外の物は皮付きのまま。
切り終えたらすべてまんべんなく合わせます。
そして、大きなプラスティックのたる型容器に、最初の人が材料と砂糖を、まず入れる。
混ざったら、平にならして、次の人がその上に材料→砂糖と入れ、今度はすでに入った物もすべて混ぜる。
この繰り返しです。
最後から3人目くらいになると、材料がねっとりとしてとても混ぜやすくなってきました。
全員が混ぜます。
最後は、このイベントのために奄美から来たTさんが、平にした具材の上に砂糖で蓋をし、
容器の蓋もしました。これでこの日は終了。

翌日から朝晩、お店の方とTさんがかき混ぜて、2週間ほどしたら濾して、出来上がり。
参加者はこの頃に取りに来ます。
一人分が約500cc。これを希釈してジュースとして飲むと、約50杯分だそうです。

これは唯ジュースとして飲むだけではなく、火傷・あかぎれ・アトピーに塗布すると効果があるそうです。
酵母の代わりにパン作りに使ったり、料理の調味料に使ったりも出来る。
濾したカスも、パックや入浴剤に使用出来るとか。

これは、冬のジュースなので春になったら飲んではならず、冷蔵庫に保存すればいつまでも
保つので、次の冬に飲むようにと言われた時、自然の威力とか循環ということを感じました。
冬は冬眠するためにエネルギーを蓄える。カロリーが高いジュースになる。
春は冬に溜まった毒素を出すため、葉や木の芽で作る酵素ジュースを飲むんだそうです。
人間は自然界の生き物だと、自覚させられる話でした。

酵素ジュースはいつも常温で飲むことが大切。
また、自宅で作る時は、家族全員で混ぜる、家族が集まる部屋に仕込んだ容器を置くこと、
と話しがありました。酵素は生きてるから、人の話し声に反応するからとのことです。
クリスマスの頃、どんな物が出来上がってるか、楽しみです。

※ひねもすのたりでは、24日まで、奄美の食材で作ったランチを食べることが出来、また奄美の食材や工芸  品の販売も行っています。題して、「阿佐ヶ谷ふゆ物語」です。

 ひねもすのたりのホームページはこちらから


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by haru-ha-akebono | 2011-12-11 01:17 | アートの時間 | Comments(0)

体を内側から見る

今日、抱一先生のヨーガ塾で行った、「プラーナ・ヴィディヤー」の瞑想。
体を内側から見る・・・誘導に従ってイメージをする、ものだ。
脳から始まり、上から下へ、臓器をイメージするのだが、やっていくうちに
肉体の完全な姿、精妙さに感動していた。
こんなに厳密に肉体を意識することがあっただろうか?
学校の理科の勉強で人体図や模型は見たけれど、自分の体内を意識化することなんて、普通はしない。
具合が悪くなった時だけ、その悪い場所を意識する程度だ。
生命を維持するために、栄養を取り入れ、循環させて排出する。
外界と交流するために、外の情報を取り入れ、認識する。
何一つ過不足なく整っている、体。
どんな精密機械も敵わないだろう、この完璧さに。
体のレベルで、すでに私たち人間は完全なのだ。
完全な姿で、今ここにいる。

一つの行為を意識化するということは、自分の無智から少し解放されること。
意識化していないということは、朦朧としているということ。
自分の体を意識化することは、自分を対象化すること。
体の意識化に慣れてくると、次第に心の中で起きていることが意識化出来るようになってくる。
心が行っていることを、対象化して眺めることが出来るようになる。
その時、眺めているのは誰か?
そういう存在(眺めるもの)が自分にあると知ると、また少し無智から解放される。
無智から解放されるということは、真の幸福に少し近づくことなのだ。




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※12月17日(土) 14:00~16:00 
           抱一先生のヨーガ塾で、「ヨーガスートラを学ぶ会」があります。
 
 問い合わせ、お申し込みは、沙羅舎・ヨーガ塾から 
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by haru-ha-akebono | 2011-12-10 19:51 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)