はるはあけぼの ヨガDiary

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❤愛 を く だ さ い❤

わたしの周囲に「人を助けたい」と言って、セラピーに属する仕事を始めた人がいました。
その人は寝食なげうって、その仕事に懸けたのです。
穏やかそうに見えた外見とは裏腹な、彼女の攻撃的な言動の風評が聞こえてくるようになりました。
熱心なあまり、同業の人たちと噛み合わなくなっっていったのです。
暴走は続き、ついに周囲と相次ぐ衝突、孤立。

人助けに属する仕事やボランティアをする人の中には、
対象の相手の境遇(障害や高齢や貧困など)に、自分を投影する人が多いようです。
相手が他者の助けを必要としているから自分は助けよう、とするのではなく、
相手の不幸と思える状態(それはこちらが勝手に解釈しているのですが)に、
自分の充たされない気持ちや境遇を重ね合わせて、
自分が人からして貰いたいことを、他者にしてあげたい、助けたいと思うのです。
でも、その気持ちは無意識なのです。
自分の充たされない気持ちが意識出来ていたら、他者への投影は起きないでしょう。
ですから、何らかの障害を持つ他者と自分との境界が曖昧で、
相手の気持ちや要求と自分の気持ちがごっちゃになっています。
その曖昧な混乱状態が、様々な問題を引き起こしていくのです。


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自分は良いことをしているのだから、それに意見を言う人は悪人・・・・、
そこまではいかないにしても、
「自分の善行や不幸な人を理解出来ない情けのない人」
と、周囲の人との間に溝を作っていくのでしょう。

私がロジャースの心理療法を学んでいた時、
「人助けをしようとする人の気持ちの中には、相手に対する優越感が潜んでいる場合がある」
と言う言葉を、書物で読んだことがあります。
優越感の反対は劣等感です。
「人助け」をして優越感を感じることは、劣等感のなせる業とも言えます。
助ける相手に何かをする、または与えることで、自分の劣等感を解消・・・。
つまり相手より優位に立てた、と思うことで自分を救済しているのです。

自分がして欲しいことを、他人に行うことで自分を助けている。
本当は、自分が他者からの救済や愛が欲しいのに・・・・。
それを、なぜこんなややこしいことにしているのか?
もしかして、愛を貰いたいのは、他人ではなく肉親・配偶者・家族なのかもしれません。
それを素直に認めることが出来ないのは、
愛を乞うて拒否された経験が、記憶の奥底に沈められているからなのではないかしら。
「もう二度と拒否されたくない!!」
そんな叫びが聞こえてきそうです。



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  「人を助ける」って、とても難しいことだと思います。
  助けを必要としている相手は、「可哀想な自分の分身」ではないことをしっかり自覚することが大事。
  その上で、相手が今何を必要としているのかを、冷静に見極めなくてはなりません。
  情に流されて何かをしても相手は喜ばないこと、相手のためにはならないことを分っていること。
  必要な行為が終わったら、そこに執着しないことも心がけなくてはなりません。
  行為の結果にも、それ以上の思い入れにも、です。
  いつも、温かい気持ちと、冷えた気持ちの両方が必要なのです。
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by haru-ha-akebono | 2012-03-31 00:53 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)

癒される時・3

ヴァイオリンの発表会に出ることになって、毎日それなりに練習しました。
少し弾くと手首がやや痛くなるので、休み休みです。
練習の後、親指の付け根が痛くなりました。
骨折後一番動きが悪かったのは親指で、折れた位置とも関係あるのでしょうけれど、
ギブスをはめている間、使えなかったからだと思います。
親指と人差し指の間に厚く巻かれたギブスのために、
親指を使って何かをつかむこと、持つことが出来なかったのです。
発表会が終わって気が付きました。
親指の動きや感覚がとっても良くなっていることに。
毎日良く動かしたせいか、朝起きた時にあった左掌のだるさや鈍さがなくなりました。
ヴァイオリンの先生の言っていた通り・・・何よりのリハビリなんだ、と実感しました。

肩周辺や腕のリハビリは、ヨーガアーサナを行うことで徐々に快復しています。
でも、手の指の運動的なことは、左手ですからなかなか進みませんでした。
日常の服のボタンがけや靴紐を結ぶ程度では、リハビリにはならないのです。
ギブスが取れる頃、知人の紹介である治療院に行くことにして、
そこで骨の変形による障害を取り除きながら機能回復治療を始めました。
ヨーガがもう一度出来るように、ヴァイオリンも弾けるように、と毎日通いました。
でも治療院に通うことは、実のところ楽しくはありませんでした。
ここは、先生と先生の弟さんと女性のパートさんの三人がいます。
いつも争っているのです、内部で。しかも、患者さんがいるところで。
先生の思う通りに二人のスタッフが動いてくれないから・・・・、先生はいつも怒っています。

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怒りのエネルギーを発している人に治療を受けて、いい気持ちがする人はいないでしょう。
それが嫌だと言って、来なくなる患者さんが沢山いました。
わたしも具合が良くなって、少しずつ足が遠のいています。
先生は技術的には優れた人だしやる気もある人なのに、
スタッフそれぞれのいい所を引き出すことが、下手なのです。
自分の価値観通りに人が働いてくれないと、相手を全面否定するのです。
真面目で頑張ってる人は、他人の落ち度が極力許せないのでしょうね。
仕事がバリバリ出来る人は、皆こうなのかもしれません。
患者さんにも生き方の価値観まで押し付けてしまうのです。
でも治療家なら、場のエネルギーということに、もう少し敏感になって欲しい・・・。
具合の悪い人は、エネルギーが弱くなっています。
物理的な身体を技術で治しても、自分が荒々しいエネルギーを撒き散らしていたら、
それは患者さんに影響するはずです。
そこが、治療家として最も大切にしなくてはならないところではないかしら。

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治るって・・・「自分が治そうとしないと治らない」とあらためて実感しました。
治療を受けても、薬を飲んでも、治すのはその人自身。
その人自身の自然治癒力が開かれているかが大事。
昨日コメントをしたヴァイオリンの先生のブログから、今日こんな返信が来ました。
「人にしてもらうより、自分でした方が痛みや治り具合も分かり・・・、(弾くことは)一番のリハビリだと思います」
骨折して一度も病院のリハビリは受けなかった先生の、経験による言葉は重い。
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by haru-ha-akebono | 2012-03-30 01:15 | シャクティの力 | Comments(0)

花 束

一昨日、ヴァイオリンの発表会がありました。
怪我から、教室のレッスンに復帰したのは2月の第1週目のこと。
発表会に出られるなんて、夢にも思っていませんでした。
一度、昨年11月の終わりにレッスンに行ってみたのです。
骨折した左手は、弦を押さえる方。
でも、弦どころかその弦を張った指板を持つのも痛くて、冷汗と涙が出ました。
ご自身も左手首の骨折経験がある先生は、
「無理をしなくていいですよ。でも、ヴァイオリンは何よりのリハビリ。
 音が出るから、他のリハビリより励みになるし。」
とおしゃたのです。
その時はひとまず退散。。。
復帰の日を待ちました。

そのことがあったので、2月に行って弾いてみると弦を押さえることが出来、
それはあきらかに良くなってるということで、安堵と励みになりました。
少しずつ指が動くようになったので、手前のEとAの弦だけで弾ける簡単な曲を2曲
と合奏を1曲で、発表会に出ることにしました。
初めは少しずつ弾けるようになることが嬉しかったけれど、
次第に耳が肥えて、音がきれいじゃないのは弦を押さえる指の力がないからだとわかってきました。
もう、発表会まで2日くらいしかない時です。
急に進歩・・・ではなく、快復はしません。
度胸で、舞台に立ちました。
途中、とちりました。
が、伴奏のピアニストはプロの奏者なので、上手く弾けてるようにカモフラージュしてくれました。
わたしもごまかして、終了。

5年ほど前に始めたヴァイオリン。
長いこと憧れていた楽器で、ひょんなことがきっかけで始めることになりました。
怪我をして、音に対して繊細になりました。
また、以前よりも丁寧に弾こうとする気持ちが強くなりました。
何が幸いするか分かりません。
それもこれも、シャクティの祝福!!


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by haru-ha-akebono | 2012-03-26 01:51 | 音楽のこと | Comments(0)

自然に起こるジャパ



「アジャパ・ジャパ」は、ビハール・スクール・オブ・ヨーガのタントラ瞑想の一つ。
初めはシンプルな瞑想だと思っていたけれど、
上級コースになると、様々なやり方があって奥が深いのです。
規則的なジャパが自然発生的なアジャパに変わる時・・・・。





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by haru-ha-akebono | 2012-03-24 23:37 | シャクティの力 | Comments(0)

わたしは誰か?~アハム ブラフマースミ

友人と言うほど親しくはないけれど、時々会うある女性は、そのたびに
「女の知り合いは、子供や夫のことばかり尋ねる。私自身を見て欲しいのに。」と言うのです。
今日思い切って、なぜそこにこだわるのか、聞いてみました。
はっきりとした応えは返ってきませんでしたが、わたしが感じたのは、
その人は自分をいつもガードして、決して本心を見せないということです。
見せないものは見ようがないな・・・・。
本人はそんなことは全く気がついていないのでしょう。
でも、「私を見て欲しい」という言葉には、何か奥深いものがあります。
もう一つ、驚いたのは、厳格だったらしい亡きお父様の言いつけを、
50歳を過ぎた今もきちんと守って生きていることでした。

この前の抱一さんの「ヨーガスートラを学ぶ会」では、
グルディブ・シヴァナンダ・ジの直弟子の一人であるクリシュナナンダ・ジの講義録「ヨーガの目的」
が教材となりました。
鋭い真実を、誰にもわかる言葉で著した、
クリシュナナンダ・ジの「ヨーガ・スートラ」の講義(スワミになる修行者のための講義)
の第1回目の話です。
ここには、人生の真の目的が簡潔に、しかし
その目的が理解できないために、誰もがにっちもさっちもいかない
もがき苦しむ人生を生きている、と書かれています。


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今、プチ・スピリチュアル(私が考えた言葉です)がブームではないでしょうか。
精神世界の気楽で美味しそうな部分だけ、少しのお金を払って近づいてみる。
占い、ヒーリング、パワーストーン、前世を見る、などなど。
短時間の瞑想をたまに行う、精神世界の有名人の話を聴きに行く、というのもあります。
ブランド物を買ったり、話題のカフェに食事に行くのとなんら変わりがないのです。
束の間の快楽で、何かをごまかしているだけ。
その場を離れると元の現実に戻ってしまう、シンデレラの魔法みたいなもの。
カボチャの馬車やガラスの靴をを求めてあちこち行ってみるけれど、
決して自分自身を見ようとはしないのです。
あるいは、メーテルリンクの「青い鳥」の話と同じ。
自分の創りだした幻想の中をグルグル廻っているだけなのです。

最初に登場した知人は、他人に自分を見て欲しいと思うより、
自分で自分を見る・・・つまりわたしは誰かを問うてみるしか渇望を解決する道はなさそうです。
私たち誰もが、生きる目的はそれ、生まれてきた目的はそれしかなくて、
「私は誰か?」の応えは、「アハム ブラフマースミ」です。
「わたしはブラフマンだ」

それにしても、自分が高齢者に近い年齢になっても、親の価値観を疑うことなく、
その鋳型の中にいる自分が幸せかを問うこともない人生、
一体、親や学校や社会が行う教育ってなんなのでしょう?
クリシュナナンダ・ジは「生命=いのち」について触れていますが、
人間は生命体=有機体なのに、人間が作った価値観だの約束事に縛られ、
そこに自らをはめ込んで、苦しんでいく。
この矛盾に気がつくためのツールは、ヨーガしかないのだと思います。


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by haru-ha-akebono | 2012-03-21 00:49 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)

清らかな時間へ~シュリ・ラーマクリシュナ生誕記念祝賀会

昨日は、逗子にある日本ヴェーダーンタ協会(ラーマクリシュナミッション日本支部)で、
シュリ・ラーマクリシュナ・デーヴァの175回目の生誕記念祝賀会が行われました。
沢山の人たちが集えるようにと造られた別館の落成式もあるとのことなので、
2年ぶりに訪れました。
新築された別館に入った時に、デリーとデラドゥーンのラーマクリシュナミッションに行った時のことを
思い出しました。静謐で清潔なムードが共通しているな、と感じました。

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午前10:30分からの落成式にゆとりで間に合うように出かけたのですが、
逗子駅の改札近くホームを歩いていると、おばあさんが急に倒れたのです。
付添いの息子さんの「誰か!!」と助けを求める声に足を止め、実際は若い男性が助けたのですが、
すぐにはそこを離れることが出来ず、様子を見守っていたのです。
救急隊が到着した頃には、おばあさんは立って歩くことが出来ました。
ホッとしました。
で、落成式には間に合わず、アラティが始まろうとする時に会場へ入ったのです。

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アラティ(礼拝)は火で祭壇を清める儀式です。
ヴェーダーンタ協会のスワミ・メダサナンダ・マハラジによって行われました。
そのあと献花があって、護摩を焚く儀式へ。
護摩焚きは、ヤギャンと言われる犠牲供養です。
火の中に油に浸した月桂樹の葉をくべていました。
清めの儀式ですが、本当のところ意味を理解していません。
わたしが知っているのは、「エゴを火にくべる、ピューリフィケーション(浄化)」という意味です。

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手で印を結び、マントラを唱え、とても丁寧な儀式です。
オレンジの衣のお坊さんの姿を見るのは久しぶりですし、
お香の香りとマントラの響きに、インドにいるみたいで、リラックスしてきました。
一連の儀式が終わると、本館でプラサード(昼食)をいただくので、
出口でメダサナンダ・ジから、眉間に灰を塗っていただきました。
スワミジに「来ましたね」と言われて、
その透明な微笑に、気持ちがふっと楽になりました。
そして、ずっと前からやってみようかなと考えていたことを実行に移す決心がついたのです。
何かに背中を押し出された気持ちもしました。



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プラサード・べジタリアン篇

昼食後、本やお香などが買える売店に行くと、懐かしいヨーガの先輩に会いました。
いつもインド大使館で行われている「バガヴァッド・ギーター」でお目にかかりますが、
昨年の骨折以来行っていなくて、久しぶりに再会です。
宇都宮から、朝の6時ごろ家を出てやって来たそうです。
皆さん熱心です。
この日のためにセヴァ(ボランティア)をしている、シャンティ・ヨガのIさんも埼玉から来ているし、
友人のMさんは札幌から・・・・。
惹きつけられる魅力=霊の力がここには存在すると言うことですね。


午後は、ロシアのラーマクリシュナ・ソサエティ・ヴェーダーンタ・センターのプレジデント、
スワミ・ジョーティルーパナンダ・ジの講話です。
題は「シュリ・ラーマクリシュナの独自性」です。
ロシアからこの日のために来日された、お坊さんです。
可愛いというのは変かもしれませんが、ひっそりと謙虚なムードが漂っていて、
やはり透明感が強いのです。
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その後、日本とインドの信者さんたちのキールタン、バジャン、
そして有名なシタール奏者(アミット・ロイさん)と、タブラ、タンブーラのコラボレーション演奏がありました。
やっぱり、インドの方が歌うバジャンは素晴らしいです。
神様を思う信愛が溢れているし、リズム感が日本人とは違うのです。


夕べのアラティ(礼拝)は、メダサナンダ・ジのハルモニュウムと歌、
ジョティルーパーナンダ・ジが火で祭壇を清めました。
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最後のプログラムである、スワミ・ジョティルーパナンダ・ジの講話は
「ロシアにおけるヴェーダーンタの活動」と題して、
ロシアに渡られてからの様々な話を伺いました。
マイナス40度にもなるロシアでインド人のスワミが過ごしていく、
それだけで充分苦労と思いますが、やはり信仰が支えているのでしょう。
自分ならどうするだろう?
淡々とロシアでの価値観の違いから起きたアクシデントを語るスワミ・ジですが、
オレンジの衣を着ると言うことは、
全てを捨てて、全てを愛する、そういう身になる覚悟が必要なわけで、
それを支えている背後の存在を感じました。

もっと詳しくて正確な「シュリ・ラーマクリシュナ・デーヴァ生誕記念祝賀会」のことは
日本ヴェーダーンタ協会のホームページにアップされると思いますので、是非ご覧ください。
ウェブサイトは
http://vedanta.jp
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by haru-ha-akebono | 2012-03-19 01:39 | 祈りの言葉 | Comments(0)

みんな空の下


時々、聴く歌・・・・「みんな空の下」。
初めてこの歌をTVで聴いた時、
「今日は何が降りてくるのか・・・だから、リハーサルでは歌わない」
と、歌い手は言った。

とても印象的だった。



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by haru-ha-akebono | 2012-03-17 23:52 | 祈りの言葉 | Comments(0)

「ヨーガスートラを学ぶ会」のご案内

とても面白そうな、スワミ・クリシュナーナンダ・ジの講義録が学べる、抱一さんによる
今月の「ヨーガスートラを学ぶ会」。
一昨年の秋、リシケシのシヴァナンダ・アシュラム=DLSに行った時、
丁度クリシュナナンダ・ジの命日に遭遇しました。
サマディ・シュラインでのプージャや、夕べのスペシャル・ガンガーアラティが思い出されます。


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ヨーガスートラを学ぶ会 No.6 のお知らせ
日時 3月17日(土) 開場 2:30p.m. 講座 3:00p.m.~5:00p.m.
会場 三鷹 沙羅舎2F こころとからだ塾
参加費 2,000円  講師 抱一

今回はスートラ第一章11節と12節と、スワミ・クリシュナーナンダの講義録「ヨーガの目的」を学びます。
一章11節は、心の五つの活動の第五番目の「記憶」についての解説です。
一章12節は、心の活動を止滅させる方法、「アビヤーサ(継続的実践)とヴァイラーギャ(欲望の放棄)」についての解説です。
スワミ・クリシュナーナンダ(1922~2001)は、ザ・デヴァインライフ・ソサエティ(シヴアナンダ・アシュラム)の初代事務総長で、スワミ・シヴァナンダの希有の高弟であり、スワミ・シヴァナンダの逝去後、スワミ・チダーナンダと共にアシュラムを発展させました。
今回の講義録は、1976年の3月~8月に行った、パタンジャリのヨーガ・スートラの110回の講義録の中の第一回目の講義で、タイトルは「ヨーガの目的」です。スワミ・クリシュナーナンダは大変独特な視点からヨーガの目的を語っています。ご期待ください。
皆様の自由なご参加をお待ちしております。

抱一

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by haru-ha-akebono | 2012-03-14 23:06 | 聖典を学ぶ | Comments(0)

シャクティが降りてくる時

一昨日午後、ある集まりに出かけました。
インド思想について学ぶ会なので、会の最中も終了後も瞑想について話す方がいました。
その話と話した方のことは、今も私の中にタマスな印象として強く残っています。
唯、一人堂々巡りをする話・・・。
瞑想は体験するものだし、執着が始まったらエゴの肥大が起こるだけです。
瞑想中は唯、起こることを観ている、過ぎて行くことだと認識していないと、
自分のエゴに絡め取られてしまうだけではないかしら?
その方に聞くと、体を使うヨーガはやっていなくて、ひたすら瞑想するだけなんだそうです。
そういう方たちも沢山いるのでしょう。
でも、精妙な世界とアクセスするには、体がしっかりと定まっていないと
とんでもない世界に行ってしまうし、何より精妙な世界は開かれて来ないと思います。

お坊さんの修行は、日本もインドも、私が知る範囲では、
瞑想だけすることはなくて、体を使う厳しい仕事があるのです。
体を使う、じっと坐る、そのバランスがあってこその瞑想ではないでしょうか。
我が家に滞在していたスワミ・ヴィシュワルーパナンダ・ジは
一日に何時間も瞑想するのですが、その運動量もすごいものです。
半端ではないウォーキング(速度も距離も)とヨーガ・アーサナとプラーナーヤーマ。
それに比べたら、現代人は肉体を使わず、頭で考えることが多い日常生活を行っていて、
その上ただ坐るだけで、その結果をまた頭で解釈して延々と議論しているという、とても不健全な世界。
その方は「雑念しか出てこない」と言ってましたが、それは当然でしょう。
顔色の悪い生気のないその方を見て、なんだか怖くなりました。

瞑想で体や精神を壊すことがあると聞いてましたが、安全な方法で行いたいものです。
しっかりと体をつくり浄化して、その上しっかりとした知識も必要です。
それから、聖なる道を知っている人が創った方法で瞑想に入る。
その準備が整った時、シャクティは降りてくるのです。


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by haru-ha-akebono | 2012-03-12 01:10 | シャクティの力 | Comments(0)

旅 立 つ 人

今日午後、シャンティ・ヨガ・クラブのサット・サンガがあり、参加しました。
年に何回かあるサット・サンガは、曜日や場所が違う教室に通う生徒さん同士の交流の場でもあり、
主にアーサナを行う通常のクラスと違って、インド思想やキールタンやマントラを学ぶ場でもあります。
でも今日は学習はなく、ある方の旅立ちを祝う会が行われました。
シャンティ・ヨガ・クラブの代表のマキ先生を長いこと支えて来たしのこ先生が、
この2月に還暦を迎え、それを機にシャンティを去ることになったのです。
それは、しのこ先生がご自身で決めたことです。
その心境が語られた時、去るというよりは、「旅立つ」という言葉がぴったりに思えました。
沢山のご家族を主婦として支えながら、ヨーガ以外にも沢山のことにチャレンジしてきた
しのこ先生の生きる姿勢は、参加者全員の心に、大きなプラーナ(エネルギー)
を吹き込んだことは間違いありません。

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私がシャンティ・ヨガ・クラブとお付き合いをするようになったのはまだこの3年くらいのことです。
マキ先生のことは、以前通っていたヨガ教室にインドからスワミジたちがいらっしゃた時、
必ず見かけるエキゾチックな美女として、かなり前から知っていました。
でも、話をしたのはつい3年ほど前。他所のサット・サンガの会場でした。
しのこ先生はいつもマキ先生の片腕、そばにいました。
出過ぎず控え目過ぎず、絶妙の温度のようなしのこ先生の存在。
サット・サンガでお会いできなくなるのは寂しいです。

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今日、渡すだけのつもりで用意したプレゼントのサムエル・ウルマンの詩「青春」を、
朗読する羽目になりました。
こんなことなら、練習していけば良かった・・・。
しのこ先生、いつまでも青春でいて下さい。
が、そんなことは言うまでもなく、いつも青春の方なのです。

また今日は、東日本大震災から1年が経ったことで、「マハ・ムリトゥーンジャヤ・マントラ」
を20分間、皆で唱えました。
マントラの音が波動となって、傷ついた方々に届きますように・・・・。


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シャンティ・ヨガ・クラブについてもっと知りたい方はこちらから
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by haru-ha-akebono | 2012-03-11 23:55 | 祈りの言葉 | Comments(0)