はるはあけぼの ヨガDiary

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永い お別れ

昨夜、ネットで偶然で知った・・・あるドラマーの訃報を。
大好きなギタリストのCharが若い頃、活動を共にしてきた人だ。
今、彼の音楽活動30周年記念アルバムを聴いているところ。
ドラムはもちろんのこと、歌も作詞・作曲も素晴らしい。
こんなミュージシャンはもう出てこないのだろうな~。
沢山の素晴らしい演奏、ありがとう!!

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by haru-ha-akebono | 2012-06-30 19:08 | シャクティの力 | Comments(0)

シンクロニシティ

帯状疱疹にかかっています。
最初、洗髪の時に片側の耳の後ろに腫れ物を発見したのです。
痛みがなかったので触らなかったら気が付かなかったと思います。
押してみると、今まで経験したことのない痛み!!
見えないところなので、どうなっているのかわからず、翌日かかり付けの内科に行きましたら、
細菌感染のでき物らしいと、抗生物質を処方されました。
この日、出来た酵素ジュースを受け取ったので、帰宅して患部に塗ってみると
痛みが一時的に軽くなったのです。

しかし、翌日、ヨーガの本を翻訳したりパソコンで書類を作ったりしていると、
腫れ物がある方の首や肩、頭や目の奥が痛くなってきました。
頭痛になることはほとんどないし、この頭や目の痛みはちょっと変。
もしや頭の病気?脳腫瘍とか脳卒中か?
翌日、親を訪問診療してくれていた皮膚科に行きました。
腫れ物はいつの間にか、こめかみにも出来ていたのです。
「あっ、ひさしぶり~!!」と言った先生は、
すかさずに、「これは帯状疱疹だね」と言いました。
えーっ!!ホント!?

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ついこの間、新聞で帯状疱疹のことを読みまして、
60歳前後に発症し易いと書いてあったので、なんだか身近な病気かな?と思ったのです。
なにか既に予感があったのかもしれません。
共時性というもの・・・。
まだ水泡が出ていなかったし、痛みもひどくはなかったので
即効性のある薬を処方され、出来るだけ早く飲むように言われました。
そしてしばらくゆったり過ごすように、とも言われました。
頭がぼーっとして体全体がだるく、熱っぽさもありました。
翌日、高齢者施設でのアートセラピーの仕事があったのですが、
行く前にわかって良かった、それが幸いでした。
また、帯状疱疹になっていることを約束がある人たちに連絡すると、
皆さん、自身やご家族が経験があるので、やはり身近な病気なのでしょう。
神経痛の後遺症が残ると痛いし、治療法がなく大変だそうです。

病気と言うほどのものはした経験がなく、
せいぜい風邪をひくくらいなのですが、
その風邪も含めて、休養が必要なときになっているのです。
それは、単に体が疲労しているから休むということだけではなく、
大なり小なり、意識の変容が必要になっているということです。
昨年の骨折の時には、大きな意識の変化を体験しました。
あの『ファイブ・コーシャ=5つの鞘』の図を思い浮かべると、
人間の体は確かに粗大な目に見えるものだけではなく、
いくつもの層になって出来上がっていると、こんな時に実感出来るのです。

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by haru-ha-akebono | 2012-06-28 11:17 | シャクティの力 | Comments(0)

ヨーガスートラ~広島ヨガピース

5月に行った広島ヨガピース。
インド リシケシからいらしたマタジ~スワミ・サダヴィ・アバ・サラスワティさんの
「ヨーガスートラ」の講話を、シャンティ・ヨガクラブでまとめホームページにアップしました。
第1・2章の中からマタジが抜粋してお話しになったものをすべて録音しておこし、
わかり易くまとめたのです。
わたしも、少し校正=赤ペンを手伝わせてもらいました。
今まであまり意識しなかった全体の流れが良く理解でき、なるほどね!!
と思えたのです。
是非ご覧ください。
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また、ヨガピースの会場だった太光寺の副住職の朝の講話も載っていますので、
合わせてご覧になってみて下さい。
とっても心打たれるお話だったのです。

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by haru-ha-akebono | 2012-06-25 22:03 | 聖典を学ぶ | Comments(0)

わたしのちっぽけな心を 至高のナーラーヤナに捧げます

先日の金曜日は、寿町でのホームレス支援「炊き出しの会」に行きました。
わたしにとっては3回目、日本ヴェーダーンタ協会の「ナラ・ナーラーヤナ活動」としての参加です。
この日は前夜からの雨で、朝起きた時は23区に大雨洪水注意報が出ていました。
「電車が止まってしまうと行けなくなるな~」と心配していたのですが、
家を出る頃はかなり小降りになっていました。
活動に参加するようになってから、毎回雨です。
あっ、電車が神奈川県内に入ると、また本降りになっていました。

炊き出しが行われる公園には、雨避けのために作られた巨大な黄色いテントが張られていました。
これは神奈川県の大学が設計し作ったものだそうです。
ガス台の前に行くと、丁度溜まった雨をテントの上から落としているところでした。
どうやって?説明するのが難しいです・・・・。が、それは大変な作業です。
そして、みんな冗談を言って笑いながら雑炊を作っていますが、
その明るさは本当にまぶしい!
自分の小さな心が可笑しくなってしまうほどです。

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さて、ここの雑炊には、かなり沢山の種類の野菜が入っています。
以前、ヴェーダーンタ協会の逗子例会で、「炊き出しの会」の代表をしている近藤さんが話されたことですが、
ホームレスの方たちはお金があれば、惣菜とご飯をスーパーやコンビにで買います。
でも、惣菜は沢山は買えないので、どうしても食べた充実感のある魚とか肉になり、
野菜不足になりかちなので、
炊き出しの時の雑炊には野菜を沢山入れることにしたのだそうです。
勿論お金がなければ、その日は何も食べることが出来ません。
また、ヴェーダーンタ協会が手伝いに行く日は、
協会から400本のバナナの支援があります。
果物は何個かで袋に入っていて一つで買うのは難しいし、バナナは日持ちがしますので、
とても喜ばれるそうです。
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今回協会からは、ナーラーヤナ活動のリーダーのSさん、協会の仕事をされているMさん、
そして信者さんが二人とわたしが参加しました。
また、横浜のキリスト教系の女子中学生がボランティアとして43人参加しているので、
仕事をみんなでシェアしながら行いました。
雨は配食の頃にはやんできました。

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活動の終了後、休憩に入ったファミリィ・レストランで、
Sさんがその週の日曜日、逗子例会で行われた講話の話をしてくださいました。
その日の例会は、「ブッダ生誕祝賀会」が行われ、千葉県の曹洞宗・長寿院の住職である篠原鋭一さんが
自殺防止の活動について講話をされたのそうです。
「仏教は自殺をどう考えるか」というレジュメと「いそがないで」という冊子を、
例会に参加出来なかったわたしともう一人の方のために、Sさんが持参して下さったのです。
今、自殺者は年間3万人、そのほとんどの人は実は「死にたくない」と思って自死するそうです。
自殺の動機から自死へ至る経過を図に表した、2枚目のレジュメに
『無縁社会』というNHKの番組を思い出しました。
少しのきっかけで、孤立感へと至る・・・そこに寄り添う人がいると生存への意欲が湧いてくる・・・。
ホームレスの問題と、どこかでつながっていると思えました。
この朝もありましたが、毎日のように電車での『人身事故』が起こっています。
ヒンドゥーの考えでは、自殺しても決してその動機となった苦しみはなくならないとされています。
人の意識は一つにつながっていることをもっと知る機会を作り、
人が自分のことだけに執着するのではなく、他者への関心を持つ必要があるのでしょう。
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by haru-ha-akebono | 2012-06-25 00:20 | 炊き出しの会のこと | Comments(0)

酵素ジュースが完成しました!!

酵素ジュースが出来上がったので、受け取りに行きました。
ルビー色の原液は、見るからに美味しそうです。
水で約10倍に薄めて飲みます。
帰って早速飲みました。やはりお腹の調子が良くなります。
それから、昨夜発見した左耳の後ろの腫れ物に、原液を塗ってみました。
痛みがあってかなり腫れていたのですが、数時間後には腫れが退き、良くなってきました。
痛みも軽くなっています。
そして、これも腫れ物に効果があるかなと、
抗菌作用があるというくびき茶を買って、夕食後に煎じて飲みました。
くびきも奄美のもので、体が温まり風邪にも効果があるそうです。
見た目は工作に使う木材のようです。
飲むと、足先がほかほかと温かくなりました。
植物の持つ力の作用を実感!!

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by haru-ha-akebono | 2012-06-24 00:59 | シャクティの力 | Comments(0)

あなたは誰か?

少年ヴェンカタラーマンがティルヴァンナーマライを目指す旅の途上、
徐々にラマナ・マハルシになりつつある箇所を読んでいて、いつの間にか泣いていました。
「気品と高潔さをたたえた」ヴェンカタラーマンを、まるで目の前にしているかのような感動が
押し寄せてきたのです。
あたかもその旅に同行しているかのような気持ちになっていました。

「ラマナ・マハルシの伝記・賢者の軌跡」は、シュリ・ラマナの幼少時代から、
マハ・サマーディに入るまでが書かれています。
読んでいると、聖者のまっすぐな目を見ていると、
この身の回りの世界の偽りが、あきらかになってくるのです。

聖者は問う。
『あなたは誰か?』
そして続けて、語りかける。
『あなた自身が誰かを問いなさい』


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by haru-ha-akebono | 2012-06-23 00:26 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)

タパスとは

広島ヨガピースのために来日したインド リシケシの僧、スワミ・サドヴィ・マタジの
「ヨーガ・スートラ」のレクチャーでは、こんな話しがありました。
「ヨーガ・スートラ」の第2章45節はタパスについて書かれています。
タパスとは直訳すると『苦行』です。
激しい修行の炎で自分を燃やす・・・、つまり自分のエゴや不純性を修行の情熱の火で燃やし
浄化すると言うことになります。
ここで、マタジは言いました。
「自分の行っているタパスを人に押し付けたり、
 あなたがタパスを行うことによって、家族が困ったりするのであればそれは良いことではありません。」

自分もかつては思い当たるふしがあるのですが、
これをする人は結構沢山いるのではないでしょうか。
ヨーガやヨーガ周りのことは、している本人は『良いことをしている』と思っているので
つい周りの人に、自分の信じる価値観を押し付けてしまい易いのです。
また、人柄も純粋で、『良い』と思ったら疑うことがないのです。
でも、押し付けられた方は、それが何であれいい気持ちはしません。
そもそも、『良いこと・・・聖なる学びとか、清らかな奉仕』など、修行者の勝手な価値基準を
家族や他人に押し付けては、人間関係にひびが入ります。
人は皆、その人の世界があってそれぞれが自分の価値観を大事にして生きています。
まず、そこを尊重しなくては、修行などとは言えないのです。
『押し付け』は暴力で、アヒムサーに反します。

タパスは自分の決めたことを自分のために行うことなのです。
人が気づかないような静かなやり方で、淡々と継続していけばいいのです。

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by haru-ha-akebono | 2012-06-20 00:33 | 聖典を学ぶ | Comments(0)

現在(いま)を生きる

過去について考え過ぎること、
未来について思いを巡らせ過ぎること、
そのどちらも
現在(いま)の自分を完全なものとすることを阻む過程である。   
現在があなたの持てるものであり、現在に生きることを学びなさい。
                                  ・・・・・スワミ・チダナンダ

     自分を守ることへの過剰な執着が、実は現在を生きることを奪っているのです。
     過去に築いたものを失いたくない・・・。
     未来のために変な種を撒きたくない・・・。
     「過去」とは、もう無くなったものなのです。
     「未来」とは、決してやって来ないものなのです。


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by haru-ha-akebono | 2012-06-16 01:31 | 祈りの言葉 | Comments(0)

ヨーガとは生き方~心に浮かぶ波の活動を止めること

ゴールデン・ウィークに行った広島ヨガピースの時の坐学の聖典「ヨーガスートラ」を、
もう一度詳細に読む機会を持つことになりました。
読んでいますと、ヨガピースで講義をしてくれたマタジ、
インドはリシケシのパラマト・ニケタンからいらした女性スワミのお顔が度々思い出されました。

マタジは、スワミ・サダヴィ・アバ・サラスワティというお名前の女性のお坊さんです。
時折見せる、ニコッと言うよりはニカッとして見える笑顔が印象的で、気さくな雰囲気の女性です。
60歳は超えているようですが、ヨーガアーサナをする時はとても動きが機敏で力強く、
こちらはついていくのに息切れがするほどでした。
マタジは、結婚をし3人のお子さんを儲けたあとに出家したそうです。
20代の時に重い腎臓病を治すために始めたヨーガ・アーサナが
ヨーギ二ーとしての扉をひらいた、とおしゃっていました。
その重症の腎臓病は7~8ヶ月で治り、今もアーサナは続けておられるとか。
マタジのお母さまがカルマ・ヨーギニー(愛情深い主婦であり母親だった)で、
マタジは子供の時から義務やヤマ・ニヤマを果たすことは当たり前だったそうです。
サンニャシンとして生きるプランはいつから?という質問に「不明」との答え。
わたしは、「なぜパラマト・二ケタンを選ばれたのですか?」と質問をしました。
パラマト・ニケタンはリシケシでは一番大きなアシュラムで、シバナンダ・アシュラムの対岸、
スワルガ・アシュラムにあります。
大きな庭に、美しいとも派手とも見える神様の像が其処此処に置かれた、
ちょっと遊園地みたいな僧院で、何度か訪れたことがあります。
アシュラムの正門前には、ガンガーの中に出島があって、大きくて立派なシヴァ神が浮かんでいます。

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マタジは、ニカッと笑ってこう答えたのです。
「自分で、パラマト・ニケタンで出家しようなどと決めたのではありません。」
それは自然な導きだった、自分で決めたことなど何もなかった、そのようなお答えが続きました。
マタジのモナリザ風の微笑は、『何でも自分が決めている』、と思っている現代的思考の
私を初めとする現代人に向けられたのでしょう!?
その通りだな・・・、何もかも自分が決めていることなど無いのだ・・・・。
リシケシにいると、そのような考えが自然で当たり前になるのですが、
この時はマタジにサンニャシンになった動機を伺ってみたくて、
そのアシュラムの僧侶になった理由を知りたくて、率直に尋ねたのです。

マタジの「ヨーガスートラ」を読んでいますと、二元性を超える話しが何度か出てきます。
これはヴェーダの教えも同じで、好き嫌いや善悪などの相反する感情や評価を超えていくのが
ヨーガの修行の一つなのです。
どんなにポジティブなことでも、そのポジがある限りネガティブは存在します。
好きとか気持ちがいいということは、一見良さそうに思えますが、
その裏には、嫌いや不快が潜んでいるのです。
つまりポジティブな事柄でも、エゴには違いありません。
そのエゴをいかにしてなくして、心の波を静かにするか?
好きも快感も無くしていくか・・・。
その方法が、「ヨーガスートラ」には事細かに書いてあるのです。
広島ヨガピースの講義は初心者向けでしたから、内容はそう深くはありませんでした。
でも、あらためてマタジの正統なヨーギニーとしての生き方を思い出し、
わたしのチッタ(心)のヴリッティ(波)はわずかですが静まったのです。

「ヨーガは生き方・Yoga is way of Lifeと思えば、日常でヨーガを実践するのは簡単です」
                                                マタジからの言葉



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by haru-ha-akebono | 2012-06-13 00:32 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)

ラマナ・マハリシと共に過ごす時間

今日、シュリ・ラマナ・マハリシを愛する人たちの集まり(サット・サンガ)がありました。
サット・サンガは2ヶ月に1回ですので、何があっても行きます。
参加した人たちで「シュリ・ラマナ・マハリシとの対話」を読み、わからないところを話し合ったり、
「ラマナ・マハリシの教えの精髄」という唄を歌ったりします。
次第に心は静かになっていきます。
あっという間に4時間が過ぎます。
この6月で、会に参加するようになって1年になりました。

ラマナ・マハリシの本を読んでその教えに出会ったのは、一昨年の秋です。
前にもブログに書きましたが、その夏招へいしたリシケシでのヨーガの師である
スワミ・ヴシュワルーパナンダ・ジが、帰国したら冬にはティルバンナーマライにある
ラマナ・マハリシのアシュラムに修行に行くと言ったのです。
マハリシのことは知っていましたが、本を読んだことはなく早速本屋に走りました。
読んでみると、その言葉・教えがわたしの意識の中に吸い込まれていくような
不思議な懐かしさをおぼえました。
ラマナの言葉が静かに寄り添ってくるように感じられました。

来日するよりもっと前に、スワミジが「いつも自分は誰かを問いなさい。それがヨーガの練習だ。」
と言ったのは、おそらくこのラマナの教えから出た言葉だったのでしょう。

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「あるがままに」という本の帯には
『心が静まれば、世界全体が静まる。』
と書かれています。
その通りなのです。
でも、心を静めるのは容易ではありません。

例えば、ある事柄について思考をやめれば、そのある事柄は存在しなくなります。
その事について思考するから、ある事柄は自分にとって存在をはじめるのです。
「その思考は、『わたし』という思考に連なっている」と、ラマナは語ります。
この『わたし』という『自我=エゴ』が消滅すると『真我』が顕れるのです。
しかし、自我=エゴは悪いものではなく、
強い自我がなければ真我の探求は出来ないという話が、サット・サンガでありました。
ほっと、安心しました。
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by haru-ha-akebono | 2012-06-10 00:27 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)