はるはあけぼの ヨガDiary

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人間を超えて~Swami Chidananda

インド リシケシのディヴァイン・ライフ・ソサエティ(シヴァナンダ・アシュラム)の副総長である
スワミ・ヨーガスワルパナンダ・ジが来日された時、
講話の際に何度も言っていらした言葉。
  「わたしは、スワミ・シヴァンナンダの教え、言葉を伝えています。
   そして、スワミ・チダナンダは生涯を通して、スワミ・シヴァナンダに仕えました。」

ヨーガ教室の時間に、ヨーガの考え方やスワミジたちの教えを話すと、
わたし個人の考えを伝えていると勘違いされて、
生徒さんとしてやってきた方々は、ご自分の考えを述べて主張反論されることがあります。
ヨーガは5000年も続く伝承ものなのですが、
今やこの伝承と言うことが奇異に思われるのでしょうか。
(古典芸能の世界ではまだ生きていますが)
ましてや、ある人に仕え、自分の個(エゴ)を全く出さない生き方は、
他者への奉仕に生きることは、ありえない、驚異にさえ映るのかもしれません。

ヨーガスワルパナンダ・ジは肉体を持ったスワミ・シヴァナンダ・ジにはお会いすることは出来なかった・・・。
しかし、生涯の大半をスワミ・チダナンダ・ジに仕えて過ごされたのです。

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さて、ヨーガスワルパナンダ・ジとのリトリートから1ヶ月経った先日、一冊の本を取り出しました。
「人間を超えて~若き日のスワミ・チダナンダ」
しばし絶版になっていたこの本が再版されたのは、昨年の大震災の後です。
その時にブログで紹介したいと思いつつ、今日になってしまいました。
高貴な精神を持ったスワミ・チダナンダという方の、幼少期から
ディヴァイン・ライフ・ソサエティの総長となってからのある時期の伝記、生き方が書かれています。
スワミ・チダナンダ・ジの信者であるシャラト・チャンドラ・べへラ博士(インド オリッサ州の大学教授)
が書いた、『ザ・ホーリィ・ストリーム』(神聖なる流れ)という題の伝記を
日本人のMさんが翻訳し、スワミジご自身が書かれた短い回想や写真を加えて編集したものです。
Mさんはスワミ・チダナンダ・ジの熱烈な信者さん。
チダナンダ・ジの気高さと謙虚な生き方を、一人でも多くの日本の人に知って欲しいとの思いで
この本を作られました。

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      『チダナンダ』とは、『至福の意識』という意味です。







 
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by haru-ha-akebono | 2012-11-28 13:37 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)

11月のナーラヤン活動は雨のち曇りでした

勤労感謝の日、朝は大雨でした。
気温もぐっと下がって、雨と寒さ対策をして出かけました。
第4金曜日は、横浜寿町の炊き出しの会にナーラヤン活動として参加する日です。
休日のせいか、横浜からの電車の乗客はいつもより多く、石川町の駅に着くと沢山の人が降りました。
平日の午前なら、この線はとても空いているのです。
炊き出しのある公園には、雨避けの大きなテントが張られていました。
もう雑炊は出来上がるところでした。
ガス台の責任者のYさんに言われて、生活館の事務所に近藤さんを尋ねました。
2011年8月~2012年7月の「報告集」が出来ていて、わたしも参加者の感想を書いたので
1冊いただきました。
来月の第3金曜日で年内の通常の炊き出しは終わり。
そして、12月28日から1月4日までは行政がお休みになるため、
近藤さんら組合の人たちや炊き出しの会の参加者で、公園にテントを張って、
ホームレスの方たちの支援体制をとると伺いました。
予想もしていなかったその取り組みに驚きました。
段々寒くなり、路上で生活をすることは命がけだと、
この時に初めて実感したのです。
今は日本中景気が良くありませんから、
年末年始と言ってもそんなに華やかなことはないかもしれませんが、
世間が新しい希望を少しでも持つ時期に、命を守る人守られる人の厳しい現状のお話し。
自分にも出来ることはしよう・・・。
新年は一度は来ます、と近藤さんに伝えました。
年末は南インドに行くため活動には参加出来ないのです。

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公園に戻ると、ボランティア実習に来た男子中学生が一杯います。
そして、ヴェーダーンタ協会の車も到着。
バナナも一緒です。
配食が始まる頃には雨がやみ、テントがない所でも食事が出来るので安心しました。
男子中学生に果実を配る手順を説明し、隣で一緒にホームレスさんたちに声かけをしました。
男子たちは明るくて、緊張もせずに上手に果物やお漬物を配っています。
共学の学校だけれど、今日は男子生徒だけが来たのだそうです。
果実は、協会の寄付のバナナ以外に、柿とキウイと蜜柑があり、
大根の甘酢漬けもありました。
お漬物は甘くて美味しいので、中学生くんたちも仕事が終ると度々つまみ食いしていました。
砂糖、塩、お酢、大根を合わせてビニール袋に入れて重石をし、1週間置くのだそうです。

ヴェーダーンタ協会の炊き出し(ナーラヤン活動)の責任者のSさんが近藤さんと話をしています。
後で聞くと、12月は協会のナーラヤン活動はなくて、
1月3日に夕方の炊き出しに参加することになっているのだそうです。
それで、わたしも3日に来ることにしました。
元旦はお餅搗きもあるそうです。

配食の列の始まりの方に、父親らしい男性と、まだ10代と思われるの娘さんが二人いました。
どんな事情があってここへ来ることになったのか?
気になりました。

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帰りの電車で「炊き出しの会 報告集」を読んでいますと、
『被災地にて・被災地から』と題する手記の中に、懐かしい人の名前を見つけました。
東京でのヨーガの勉強会で、時折一緒になった若い女性Kさんです。
わたしがリシケシから招いたハタ・ヨーガの先生、スワミ・ヴィシュワルーパナンダ・ジのリトリートに
熱心に参加してくれて、いつも一生懸命な姿が印象に残っているのです。
わたしが炊き出しに行くようになる前に、ヴェーダーンタ協会から参加していたことを、
この手記で知りました。
被災地の故郷に帰り、そこで仕事をすると聞いてはいました。
元気で生活しておられる様子が伝わってきたことや、
炊き出しを通して彼女とつながっていることが嬉しく、ホンワリと気持ちが温かくなりました。
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by haru-ha-akebono | 2012-11-26 00:38 | 炊き出しの会のこと | Comments(0)

10月のナーラヤン活動は晴天でした

10月の炊き出しの会のことを書こうと思っているうちに、
一ヶ月経ってしまいました。
明日は、11月のナーラヤン活動として炊き出しの会に参加する日です。
日本ヴェーダーンタ協会のナーラヤン活動は第4金曜日で、
なぜか度々雨になります。
10月はわたしが参加するようになって、2度目の晴天でした。
1度目は7月で盛夏だったためあまり嬉しい晴れではなかったのですが、
先月はいい気持ちの秋晴れでした。

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12時頃ラジオ体操が行われ、その後沢山の人が配食の列に並びました。
しかし、ちょっとした手違いで、協会が寄付するバナナが届かず、やや焦りました。
協会の事務の人と炊き出しの会の近藤さんと、電話で話しがついて
バナナは1週遅れに配ることになりました。

この日は、学生さんのボランティアがいなくて人手が少ないため、
バナナの代わりにお漬物を配ることになりました。
お漬物は時々で、毎回は作りません。
沢山の種類の野菜の浅漬けで、大きなプラスティックの桶に2つありましたが、
すぐに配り終えました。
とても人気のあるメニュウです。
また、どこかのお店が寄付してくれてらしい賞味期限切れのバナナが少しあって
それも配ったのですが、いつものバナナの方がきれい、今日はなぜバナナがないのか、
と何人もの人から聞かれました。
「ごめんなさい。来週はバナナを配ります。」と答えました。

この日は、配食前に雑炊を入れるどんぶりを水で流してきれいかどうか点検する仕事もしました。
流れるように、作業の工程が決まっています。

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 これは配食後の食器洗いも済み、雑炊を入れてあった大きな容器を洗っているところ


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 一度食器洗い洗剤で洗ったあとに、この鍋で煮沸消毒をする箸

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 上の写真の箸を立てて見せてくれました 動画でないのが残念です


明日は結構な降りの雨になるようです。
祝日の一日、ヴェーダーンタ協会では、アカンダ・ジャパムという修行会が行われます。
アカンダとは途切れ目のないという意味で、途切れないジャパを行うことです。
聖所で、一人1時間の瞑想をします。
また、モウナ(沈黙)を守る日でもあります。
わたしも、ナーラヤン活動の後に行く予定です。
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by haru-ha-akebono | 2012-11-23 00:34 | 炊き出しの会のこと | Comments(0)

うさぎ 秋の夜長の臨床美術展

只今、開催中です!

秋の夜長の臨床美術作品展
会場1:武蔵野タワーズ5Fクリニックモール
    (JR中央線「三鷹」駅北口駅前徒歩2分)
会期:10月31日~12月4日 9:00~19:00(日祝休)

会場2:多摩信用金庫小金井支店2Fエレベーターホール
    (JR中央線「武蔵小金井」駅北口駅前徒歩1分)
会期:11月7日~12月4日 9:00~15:00(土日祝休)

展示プログラム:「秋月夜」「虫の音のアナログ画」「秋草の墨絵」「きのこを造る」
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東小金井ディケアうさぎ通所の方たちが制作した、臨床美術作品展です。
会場1の武蔵野タワーズ5Fクリニックモールには、
眼科・耳鼻科・整形外科・内科・産婦人科・薬局、そしてギャラリーがあります。
昨年、このうさぎギャラリーで某ワークショップが行われて、参加した際に
転倒して手首を骨折したのです。
歩いて数歩の整形外科ですぐに処置を受けることが出来、
それを人に話すと皆から、「不幸中の幸いね」と言われました。
今回の作品展の搬入後の作品展示の調整をしていると、
整形外科の看護師さんと出会い、作品展を紹介すると、興味深そうにのぞいて行ってくれました。
クリニックモールにギャラリーがあるって、不思議ですがいいものです。

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by haru-ha-akebono | 2012-11-22 23:57 | アートの時間 | Comments(0)

他者のために・・・

日本ヴェーダーンタ協会のカーリー・プージャは夜10:00近くまで行われ、その後に夕食になりました。
ボランティアとしてお手伝いをし、この夜は初めて協会に宿泊しました。
女性は、協会の本館から歩いて約10分ほどのところにある女性専用の宿舎に泊まります。
素晴らしい場所です。
見た目の清潔さだけではない清らかさが、建物全体を包んでいるようで、心から安心しました。
入り口に飾られているホーリー・マザーの写真にひざまずきお辞儀をしてから入ります。
肉体の疲れが取れていくようで、母のふところに抱かれるとはこんな感じ?、幸福でした。

翌日、聖所での瞑想の後、スワミ・メダーサーナンダ・ジや宿泊した方たちと朝食を摂り、
その後しばし、マハラ・ジ(メダサーナンダ・ジ)とお話しをしました。
マハラ・ジに職業を聞かれ、ヨーガを教える以外に、
時々高齢者通所施設でアートセラピーを手伝っていると言ったことがきっかけとなって、
人生のプランニングの話を、マハラジはなさいました。
身体や心や記憶に障害がある方がアートセラピーの対象ですが、
自分のことだけを考えて続けていることがそういった症状の原因で、
やはり他者のために働くことが大事だというマハラジのお話しに同感しました。

多くの人は、定年という限りのある仕事をしています。
仕事ばかりしてきた後に、何もすることがないと心身はバランスを崩すことになりかねません。
それから、いつも自分中心の考え方をしていることは、
やはり心身の健康には良くないことです。
それから、マハラジは、家族がいても家庭内で孤立したり離婚同様だったりする現状にも、
言及されていました。

他者のために働きなさい、それは多くの聖者たちのいうお言葉です。
自分を滅する時に、真の自分になれるからでしょう。

翌日、わたしは高齢者施設にアートセラピーを手伝いに行きました。
認知症の進行を遅らせる効果があると謳いのセラピーです。
いつも行く曜日に参加されている高齢者さんで認知が進行している方がいます。
このところ、このアートの時間が苦痛なのか、行われていることが理解出来ないと、
涙を流すようになりました。
ご自分で情けないのだと思います。
自分がするべきことが理解出来ないことに、自尊心が傷つくのは想像がつきます。
そこは自覚がはっきりとしているのです。
認知症だから、すぐそれも忘れると思う方もいるようですが、そうでしょうか?
わたしにはそうは思えないのです。
潜在意識に刻まれるのです、印象として。

前日に、マハラジが語られたことが思い出されました。
介護の現場は、自分たちで生活の場を創ることが中心のグループ・ホームもありますが、
おおむね要介護者はお客様扱いです。
それは高齢者さんたちにとって、寂しいことではないでしょうか。
自分にもまだ出来ることがある、役割があると思えたら、誇りが持てるはずです。
生きるハリが出来るでしょう。
社会で働いて、高齢になったら長老として頼りにされた少し前の時代・・・。
そこからそんなに時間が経ってはいないのに、
お客様でいて皆がなんでもしてあげるというのは、高齢者を無力者扱いしていることになると思います。
一線から退いて、そこでじっと座っていてくださいということですから。

施設の中でも、各々その人に合った役割があったら・・・・。
いくつになっても、いつも、
人は奉仕が出来ること、与えることが出来ること、自分から愛せること、これが幸せなのだと思います。



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by haru-ha-akebono | 2012-11-20 00:52 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)

リトリート in 伊豆15~『わたし』がある限り苦しみはなくならない

1ヶ月あまり日本に滞在されたスワミ・ヨーガスワルパナンダ・ジが
日本を発たれてから、約10日が経ちました。
伊豆リトリートの主催をしたシャンティ・ヨガ・クラブのホームページに、
「ヨーガスワルパナンダ・ジの贈り物」と題するマキ・ユングハイムさんの手記が載りました。
マキさんの個人的なことが書かれているようでいて、
とても普遍的なヨーガの教えや考えが凝縮されています。
是非、お読みになって下さい。

わたしにとってこのリトリートは、出発前に起きた自分の中の様々な問題、
つまりマーヤーの闇を祓ってくれました。
そう、起きてしまったことは自分のせいでも誰のせいでもなく、
また、それを後悔してもなんの展開もなく、唯深い沼に沈んでいくだけなのだと気づきました。
そうそう、スワミジのお話しにあった、『起こることはみんないいこと』。
闇があるからこそ、光の美しさや温かさが分かるのです!!
後悔や反省は、エゴの一種です。
起きたことをありがたく受け止めるのみです。


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2日目の講話の時間でスワミジはこう言われました。
「I=わたしがある限り、苦しみはなくならない。」
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by haru-ha-akebono | 2012-11-15 23:49 | リトリートin伊豆 | Comments(0)

カーリー・プージャ

13日の夜、逗子にある日本ヴェーダーンタ協会(ラーマクリシュナミッション日本支部)で、
カーリー・プージャが行われました。
儀式は午後7時から10時頃まででしたが、インドでは、翌朝の4時頃まで儀式は行われるそうです。
プージャのあとにホーマがありました。
プージャとは礼拝のこと。
数名でほら貝を吹き、
協会長のスワミ・メダサーナンダ・ジが印(ムドラー)を結びながらマントラを唱えます。
その終わりには、参加者全員で祭壇に献花(プシュパンジャリ)をしました。

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少しの休憩のあとに、ホーマが始まりました。
ホーマは日本で護摩炊き(護摩とはホーマからきています)と言われるもので、
祈祷とか祈願の行為。
井桁に組んだ木に火をくべていきます。

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儀式の済んだ後のプラサード(お供物のお下がりをいただく夕食)の給仕のボランティアをするため、
ホーマが終わらないうちにキッチンの方へ行きました。
あとで聞いたところでは、参加者は140人ほどだったそうです。
夜の食事なので、主食はインドのおかゆ=キチュリです。

カーリーは恐ろしい顔の女神さまです。
でも、これはシヴァ神の妻パールバティの別な姿なのです。
3つの目と4本の手を持ち、黒い皮膚をして、片手の一つの手で生首を持っています。
カーリーは創造、保持、破壊、を表しています。
偉大な宇宙エネルギー、シャクティ。
聖者ラーマクリシュナの愛した母、マー・カーリーです。

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            布に描かれたカーリーの像 






 
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by haru-ha-akebono | 2012-11-14 23:55 | シャクティの力 | Comments(0)

リトリート in 伊豆14~アンナ・マヤ・コーシャ

伊豆リトリートの講話「バガヴァッド・ギーター」の最終回は、
スワミ・ヨーガスワルパナンダ・ジが、いくつかのスローカーを採り上げて話をして下さいました。
その中に、ディヴァイン・ライフ・ソサエティ(シヴァナンダ・アシュラム)で
食前のお祈りにしているものがありました。
その一つ3章14節を、「とても美しい詩でしょう」と言って、
アンナ・マヤ・コーシャ(食物の鞘)についてお話しがあり、
この時初めて、わたしは『食物の鞘』というものが実感できました。
鞘と言われても、長い間なんだかピンとこなかったのですが、
身体が幾層にもなっていることが、理屈ではなくはっきりと意識できたのです。
わたしたちは食べ物というエネルギーを摂ることで、肉体は成り立っている・・・。
当たり前のことですが、日常では忘れがちです。

食べることが一種の快楽になっている現代。
食べる意味やその本質は忘れられていると思えるのです。
食事は飢えを満たす、身体を養う、そういったことから離れて、
珍しい物を食べるとか、美味を追求するとかになり、
その果てに病気や死が待ち受けることになってきています。
でも、この伊豆のリトリートに参加したヨーガの人たちは皆さん、
食事とは身体を維持すること、大食はしない、マクロビオテックなどの食養生に関心が高い、
人たちばかりです。

さて、このスローカーはとっても根本的な生命の連鎖と人間の奉仕を歌っています。

“アンナード バヴァンティ ブーターニー パルジャンニャード アンナ・サンバヴァハ/
ヤジュナード バヴァティ パルジャンニョー ヤジュナハ カルマ・サムドバヴァハ”
 ・・・すべての生き物は穀物によって生き、穀物は雨によって育つ。
   雨は供養によって降るが、供養は人の義務の遂行によって成り立っている。・・・・


シュリ・アディ・シャンカラチャリヤの書いた「タットワ・ボーダ」という本には、
アンナ・マヤ・コーシャをこう解説しています。
“食物を摂取した男性の精液と女性の卵子の結合から、胎児の肉体は形成される。
 胎児は、食物を摂取する母親の子宮の中で養われ、出産によって生まれ出ると母親の乳で育つ。
 それから、自ら食物を食べることで大きく育っていく。人は一生の中で山ほどの食物を摂る。
 そして、やがて肉体は滅んで土に還る。大地は食物を生み出し、その食物を私たちは摂って成長し、
 また食物を生んだ大地に還る。 ・・・私たちは食物を食べ、そして食物に食べられる。”


目に見える肉体は、生命(魂)の入れ物。
3章14節のスローカーやシャンカラの解説を知ると、
様々な生物のみならず、宇宙そのものも輪廻している、と思えてきます。
その根本に存在するものは・・・・!!

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by haru-ha-akebono | 2012-11-13 00:30 | リトリートin伊豆 | Comments(0)

アンコール!!

ネマニャ・ラドロヴィチの演奏会に行ってきました。
初台の東京・オペラシティです。
もう中庭にはクリスマス・ツリーが飾られていました。
今日の公演のチケットを買ったのは、この1月の松の内明けです。
昨年、チケット予約発売日に少し出遅れて完売してしまうというアクシデントに見舞われたので、
そんなことがないように、力が入りました。
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今日はバッハを2曲、メンデルスゾーンが2曲です。
1曲目の「シャコンヌ~無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」が始まると、
その一弓でもう胸が一杯になりました。
素晴らしい演奏家の出す音は、唯の音ではないのです。
激しさと繊細さとを合わせ持つ演奏に、会場の人たちは息をしていないのではないかと思えるほどです。

わたしの周囲にはラドロヴィチを知る人はいないに等しいのですが、
会場は満員。
最近はファンクラブも出来たとか。

初めてネマニャ・ラドロヴィチの演奏を聴いたのは、
5年前の「ラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン~熱狂の日音楽祭」で、です。
静かなクラシック曲を激しく演奏する姿と音に魅了されて、
終演後CDを買ってサイン会に並んでしまいました。
その激しい演奏スタイルが印象に残っていたのですが、
今日は繊細で洗練された演奏と、終始謙虚な言動に心が温かくなりました。
あっという間の2時間。ずっとこの快楽に浸っていたい・・・・。
鳴り止まない拍手に、2曲のアンコールです。

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今日も、CDを購入した人たちへのサイン会があるので、
もちろん新曲のCDを買って列に並びました。
サインの時は、左利きなのに気がつきました。
日本未発売のCDは、やはり素晴らしいの一言です。

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楽譜に書いてある通りにすら弾けないわたしには、もう何も申すことはありません。
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by haru-ha-akebono | 2012-11-11 00:56 | 音楽のこと | Comments(0)

リトリート in 伊豆13~清い種を植える

リトリートのお仲間から、「伊豆の海岸での瞑想が夢のようです・・・。」
こんなメールが届きました。
確かに、リトリートの日からあっという間に時間が過ぎています。
でも、リトリートの時間、そこで体験したことは、
潜在印象(サムスカーラ)として、意識の深いところに残ります。
私たちの体験したことは、すべて意識の普段は顕れないところに蓄積されます。
その印象が、次の行為や行動を決めているのです。

日常生活は、やはり目に見える物やお金、肉体や心が基準となって動いているのです。
そこにどっぷり浸かる生活になると、リトリートの時が夢のように遠くなって当然です。
物理的な時間が遠くなっていくだけでなく、
自分のあり方が、全く次元の違うところにいるように思えてくるのです。
では、リトリートに行ったことは唯その時限りの過去の出来事かというと、そうではありません。
あのような神聖な時間を過ごすことがあるのとないのとでは、
意識の拡大にとって大きな違いが出てきます。
ヨーガの修行のために聖地(リシケシのような場)を訪ねたり、
聖典を読んだりすることが大事なのは、ひとえに清いサムスカーラを増やすためです。

別に、特別な世界にいなくとも、日常生活は概ねネガティブな要素が強いのです。
学校でも職場でも、競争や他人の顔色を伺うことが主題ですから。
そんなネガティブな体験や情報に囲まれていると、一生涯、その人の心はネガティブなままです。
蓄積されるのですから、段々ネガティブな要素は多くなっていくのです。
グルディブ・シヴァナンダ・ジも、
「多くの人の考えの基準は、憎しみと嫉妬だ。」(『ヨーガと空の科学』より)
と言っています。
その闇を払い、行動をポジティブなものへと駆り立てていくのが、
ヨーガのサット・サンガやリトリートです。
また、ヨーガスワルパナンダ・ジのように明るい光のような存在の近くに行くことは、
決して消えない種を自分の中に植える、素晴らしい体験だったのです。


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by haru-ha-akebono | 2012-11-10 00:39 | リトリートin伊豆 | Comments(0)