はるはあけぼの ヨガDiary

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途切れないジャパ・・・

明後日、逗子のヴェーダーンタ協会では、「アカンダ・ジャパム」という修養会があります。
『アカンダ』とは、『分割出来ない』という意味のサンスクリット語です。
『ジャパム』は、自分のグルから授けられたマントラを唱えること、
グルのいない方は自分の好きな神様の名前のマントラを唱えることです。
協会の聖所(シュライン)で、参加者が数人ずつで瞑想を行います。
決められた時間になったら、次の回の方と交代します。
瞑想が終っても、帰らずに静かに読書をしたり、
再び聖所に行って瞑想をしたりして過ごすことが出来ます。
聖所には一日誰かがいて瞑想をしているために、
『分割できない』つまり『途切れ目のないジャパ』と言うわけなのです。
お茶や食事の時間もありますが、その日は一日沈黙(マウナ)を守ります。

この修養会は年に2回あり、昨年の春に初めて参加して、
なんとも清らかな空気に魅せられたのです。
瞑想やジャパは家でも出来るのですが、この場所はいつも清められているせいか、
行くだけの意味と価値が自分にはあるのです。
聖所では毎月例会が行われますが、ジャパムの日は一度に部屋に入る人が少ないですし、
皆で沈黙をしていますので、いつもより一層神聖さが強く感じられます。

インドのアシュラムに行くと、どこでも常に儀式が行われ、
また、訪問者であってもいつでも瞑想が出来る部屋があります。
しかし、日本はそういった環境が少ないです。
お寺は建物や重要文化財の拝観がメインで、
ちょっと行って気軽に修行などは出来ないのが普通です。
両国の違いを感じます。



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by haru-ha-akebono | 2013-04-28 00:37 | 祈りの言葉 | Comments(0)

ジャパ・・・・

この前の日曜日は、日本ヴェーダーンタ協会の逗子例会でした。
この日の講話のテーマは「神の名前の力」。
インドには様々な神様がいて、その名前や神様にまつわる話なのかな、と漠然と思っていました。
ところが、神様の名前を唱えるジャパが主題だったのです。
協会長のスワミ・メダサーナンダ・ジから、
午前は音の言葉として神の名前やマントラを唱えることの力について、
午後は様々なジャパの種類ややり方についてのお話を伺うことが出来ました。
例会の模様は、すでに協会のホームページに更新されているので、
詳しくはそちらをご覧になってみてください。

「ジャパをするだけで、霊的な成功を得ることができる」
と、ホーリーマザー・サーラダデーヴィーはおしゃったそうです。
ジャパを行うことによって、自然に瞑想へと入っていくことが出来るのです。
声を出さずに行えば、どこでも出来るという利点があります。
わたしは、初めて教わったタントラの瞑想法をずっと行っていますが、
ジャパを日常的にはしていませんでした。
何年か前に、その瞑想を教えてくださった方から、ジャパのやり方も教えていただきました。
時々行うものだったジャパを、アルナーチャラから帰って
ほぼ毎朝するようになりました。
自分で決めたジャパのマントラの神様が、アルナーチャラと同じだからです。

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しかし、ジャパや瞑想に取り組むことを躊躇されている方もいることを、あらためて知りました。
気持ちはあるけれど時間が取れない、というのではなく、
そういう実践をすることが怖く、一歩踏み出せないようです。
自分が生きてきた過去の限定から、踏み出せないということなのでしょう。
自分にも覚えがあります。
ジャパを始めたからと言って、赤が青に変わると云う様な
急激な変化が起こるわけではないのですが、
見知らぬ世界に踏み出してしまう、どうなるのだろうという怖さがあるのです。
知らないことは、初めは好奇心と不安が付きまとうものです。
また、忌まわしい新興宗教のネガティブなイメージを思い浮かべるのかもしれません。
しかし、きちんとした団体や指導者の教えなら、
ネガティブな結果が出ることはなく、ジャパや瞑想は魂を浄化してくれるに違いありません。

この日の講話の最中、
「日本に来て、ヨーガは体操をすることだけなのを知って驚いた」
とメダサーナンダ・ジがおしゃっいました。
以前、インド人のサンスクリットの先生も同じことをおしゃっていました。
身体を使うハタ・ヨーガも、インドでは真理を悟ることが目的で、
プラーナーヤーマ(呼吸)や瞑想をすることは当たり前なのです。
むしろ、瞑想をするためにアーサナ(ポーズ)を行うことが必要とされています。
日本では、肉体の健康や、心身のリラックスにだけ焦点が当てられています。
悪くすると、痩身や美容が求められている場合も・・・。
多くの人に、ハタ・ヨーガがスポーツの一種と思われていることは、
教える身としてはとても残念なことです。

ジャパ・マーラーという数珠には繰り方に約束事がありますので、
これも教えてくれる方が身近にいると幸運です。
なぜ初めはなかなかジャパや瞑想に取り組めないか?
心はそのような修行を嫌がる傾向を持っているから、というスワミ・ジのお話しもありました。
集中しようとするとかえって落ち着かなくなるのです。
でも、辛抱強く続けていると、その時間がなくてはならないものになってきます。

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by haru-ha-akebono | 2013-04-24 00:33 | 祈りの言葉 | Comments(0)

人を惑わす宇宙の力

「シッダルータ」の再読が、同じ作家の「インドの履歴書」という小説に引き合わせてくれた。
これも舞台はインド、主人公ダーサが辿る人生の天国と地獄。
幼少期に、森の中で出会ったヨーギに心を惹かれ、
後々、その師の弟子となる。
転変する人生は、マーヤーであると師が見せてくれる場面が凄い。
一大絵巻物のよう。
スワミ・ヴィヴェーカーナンダの「ギャーナ・ヨーガ」の中に書かれた、
ナーラダが見るマーヤーを思い出した。

事象は唯起こっているだけで、それを見る者の心が創り出す幻惑を
わたしたちは実際に外側に起きていると錯覚をする。
努力で登り坂の人生になったと思う。しかし、それは自分の努力の結果ではなく、
大きな力の遊びなのだ。
だから、あっけなく壊れたりもする。
それは、誰かの責任ではなく、やはり大きな力の戯れなのだ。
ダーサの場合、王子から牧童に、そして王に、やがて捕らわれの身に、
と天国から奈落へ、を繰り返す。

『もうこんな苦しみは終らせたい』と思った時、
子供時代に出逢い憧れたヨーギは、自分の導師となる。
輪廻というものの捕らわれの身であったダーサは、自由を手に入れる修行者となるのだ。

作家の描くマーヤーのめくるめく恐ろしさと美しさ。
生きることの真の意味と目的は何か、それを理解することが出来る。



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by haru-ha-akebono | 2013-04-21 23:47 | シャクティの力 | Comments(0)

めざめ

調べものをしていて、或る本と邂逅することとなりました。
物語を読んでみました。
すると、こんな主人公の言葉が・・・。

『ひたすら自分のために、自分だけのために、
 私は批判し、選び、拒否せねばなりません。』             

求める人は、これを忘れてはならないと・・・・。
しっかりと、自分に刻みつけました。

次に読む時は、また違ったところに魅かれるのでしょうか。

或る本の名前は、ヘルマン・ヘッセによって書かれた「シッダールタ」。
青年シッダールタが、覚者仏陀に向けて放った言葉です。

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by haru-ha-akebono | 2013-04-11 23:45 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)