はるはあけぼの ヨガDiary

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Samsara~マーヤーの大河を渡る

なぜか、習わしでは赤い物を身に付けて、祝う年齢があって、
なぜか、それはその年、生まれた時の干支と同じ干支になるから、
おめでたい、らしいのです。
そして、今年、自分がその年を迎えようとしているので、
周囲にいる同じ年の人々は、そのことを話題にします。
それにかこつけて、集まって祝う、という話もあります。
でも、自分はまったく興味がありません。

なぜかなぁ~と考えてみました。
昨年、わたしは新たに生を受けたからです。
これを、「Right Rverse」と言った知人がいます。
なるほど、と思いました。
意識したわけではないのに、同年の人が祝う前年に、そうなりました。
この肉体が、この世に誕生した時のことを、自分は覚えていません。
でも、新たな生まれ変わりは、自分で決めたことですし、
そこへ至る道のりは、生きてきてこれほど真剣だったことはないと言うものでした。
そして、そこからが真の人生。
それまでは、単に物質や感覚の喜び、世間の評価や充実といった、
一時的に終わってしまうものごとを追い求めてきただけの日々でした。

再誕の日は、誰にとっても吉祥の日を選んでおこなわれます。
そこからは、それまでとは、生きる時間や起こることの意味が、まったく変化しました。
血縁でない人たちが、家族のようになりました。
いつの日にか、輪廻の輪から抜け出せますように。
本当のわたくしを、顕せますように。
これ以外に、生まれてきた目的が、あるはずはありません。



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by haru-ha-akebono | 2015-06-29 23:39 | 祈りの言葉 | Comments(0)

普遍の愛 2

ラーマクリシュナは、宗教の教師に3つの型があると言っています。
 下級の教師は、弟子あるいは生徒たちに教えを与えるが、彼らの進歩のほどはたずねない。
 中級の教師は、生徒の利益を思って、彼がその教えになじむように繰り返し努力し、
        よく理解するよう彼に頼み、さまざまのやり方で愛を示す。
 上級の教師は、生徒がいつまでも言うことをきかないとみると、腕力まで行使する。
この上級の教師を、ラーマクリシュナは最上の師であると言いました。

宗教の教師は、知識だけを教えても教えたことにはなりません。
それなら、学者にも出来ます。
宗教の教師は、教えを自ら行動して見せることで、
生徒あるいは信者を導くことが出来るのです。
また、進歩のほどをたずねるためには、
近くにいて、生徒をいつも愛を持ってみていなくてはなりません。




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by haru-ha-akebono | 2015-06-23 22:23 | シャクティの力 | Comments(0)

普遍的な愛

アヨーッデャー(聖者ラーマの生誕地)から、
若い僧侶がドッキネシッョルに到着した時、既にラーマクリシュナは肉体を捨てていました。
僧は、東方に神が降臨したという幻を見、
ベンガルに辿り着いた時に、ラーマクリシュナの名前と住いを知ったのです。
カーリー寺院まで、1600キロの道を歩いて来た彼の嘆きは大きいものでした。
今なら飛行機で何時間、それとは違うそれは、想像を絶します。
落胆のあまり、カーリー寺院の支配人が差し出す食事も拒んで、
パンチャバティで瞑想する彼の下に、ある晩ラーマクリシュナが現れたのです。
ラーマクリシュナはプディングを彼に食べさせるために持っていました。
僧の喜びは、計り知れないほど深いものでした。

わたしがラーマクリシュナへの信仰を持つ大きなきっかけとなったのは、
この逸話を読んでからです。
この話は、難しい知識も、ラーマクリシュナの高い霊性についても、
触れていません。
在るのは、唯「愛」だけです。
ラーマクリシュナが人への「愛」のために、肉体がこの世から無くなっても、
このように出現してきた話は他にもあります。

弟子のスワミ・ヴィヴェーカーナンダも、
最も大事なのは愛であって、霊性の高さや沢山の知識にそれは優ると話しています。

沢山の深い知識を誇ることは、行動との矛盾を生みます。
自惚れに結びついた時には、何段か、登って来た階段を転げ落ちることは確かです。
清らかな行いや風貌に、一点のシミを付けるだけなのです。

他者の心に、真理や永遠へのあこがれを植え付けるのは、
普遍的な「愛」の力以外にはありません。




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by haru-ha-akebono | 2015-06-14 13:11 | シャクティの力 | Comments(0)

ナルシスは池に落ちた

この頃ブログに登場しなくなった、リシケシのヨーガの師は、
わたしが、エゴを表す言葉を放つと、とっても嫌な顔をしました。
時には頭を叩かれることもありました。
「I・・・アイネス」、つまり自我というか自分意識は霊性の修行の大敵です。
ヨーガの師はスワミで、ハタ・ヨーガは肉体の制御または浄化のためにやっているので、
様々なポーズ(アーサナ)が出来るからと言って、決して自惚れたりはしませんでした。

「バガヴァッド・ギーター」には、人間の善、美徳について27ほどの性質を挙げています。
これに比して悪い性質はたったの6つ。
この6つの悪が、27の善をすべて滅ぼしてしまう、魔性に堕ちるものだと書かれています。
その中でも、ラーマクリシュナがこれだけは耐えられない、
と言ったのが自惚れです。
これが霊的に人を向上させない最大の障害なのです。

自惚れは人間誰もが持っています。
これがなぜによろしくないのか・・・。
考えてみました。
まず、自分は誰よりも何かに於いて優れている、と思うと、
他者は自分より当然劣っていると考えるでしょう。
これが自動的に意識の中で行われます。
すると、その他者を庇護、擁護しなくてはならないと考え、行動します。
しかし、これは全くの優越感に過ぎません。
その時、そこには支配と服従という関係が生まれます。
相手がそれを望んだならともかく、
そうでなければ、そんなことは全くして欲しくないでしょう。
相手は服従したくはないのですから、ここでその関係には不和が生じます。
しかし、被支配者の方が、何かに強いコンプレックスを持っていると、
この関係が成立してしまうこともあります。
また、優しさと支配を混同してしまう人もいます。

自惚れが肥大してくると、自分は一人の支配者から多くの人の支配になった、
もっと進むと自分は神だと、錯覚をおこすこともあります。

本来、人間同士は対等、平等と言われているのに、
実はそうではありません。
一般社会はこの支配と服従で成り立っています。
でも、霊性の世界にこれはあってはならない、霊(魂)は一つなのですから。

霊性の探究をする人たちの中で多いのが、難しい哲学の本を沢山読んだ、
英語で原書を読んだ、と言って自惚れるケースです。
でも、以前書きましたように、本を読んだだけでは、人間何も変わりません。
本に書いてあることを実践しなくては、唯の読書なのです。

自惚れを無くすため、カルマ・ヨーガがあります。
社会生活では弱者とされる、ホームレスや障害者、被災者などの手助けをします。
でも、これを「お世話をする機会を与えて貰って感謝する」気持ちで行うのです。
これには、大きな努力が必要です。

真剣に探究、道を歩く人は、自分をしっかりと見張っていなくてはなりません。



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by haru-ha-akebono | 2015-06-10 23:56 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)

わたしの敵はわたしの心

今日、「ラーマクリシュナ・シャラナム」、ラーマクリシュナの賛歌を歌う機会がありました。
歌の和訳では、「ラーマクリシュナは私の心の避難所」という言葉が出てきます。
そう、ラーマクリシュナはわたしの避難所なのですが、
ふと何から避難するか?と一瞬考え、「自分の心」からだと気付きました。
インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」に、『心は自分の友であり、また敵である』という
有名な節(シュローカ―)があります。
普通、私たちは、敵はいつも外にいると思っています。
聖典の学習や実践が進まないと、やはりその考えのままです。
この、『友と敵』という二元性は、『好きと嫌い』に通じます。
どちらも、心の産物なのですが、
「嫌い」は、その相手に落ち度があって自分が嫌悪感を持つ結果だと、
無意識に自分を納得させているのです。
相手に人から嫌われる要素があるから、自分は相手を嫌っていると思うのが、
多くの「嫌い」の構造だと思います。

でも、本当にそうでしょうか?
私たちの心の中に、「嫌う」という感情があるから、「嫌う」のです。
私たちは、自分の快適さや遂げたい欲望が阻害された時、
その原因となったものや人を「嫌い」ます。
「好き」はその反対です。
でも、この「好きと嫌い」はいつ反転してもおかしくありません。
「光と影」のようなものだからです。

このいつ反転してもおかしくない流転のような生活を続けていては、
真の幸福に到達できる日はいつまで経ってもやっては来ません。
ずっと続く幸福を願っていながら、
「不幸」を生む心をなんとかしようとは思わないのです。

相反する感情を超える方法はないのでしょうか?
まず初めに、全ての原因は自分の内側にあることを認めることです。
「敵」は自分の心だということ・・・。
外の世界に敵がいないとわかれば、恐怖や怒りが少しずつ減っていくはずです。
自分の心の制御だけが自分のすべきことで、
他者はすべて自分と同様の要素を持つ人。
共感が生まれてくるのではないでしょうか?
やがて、それは「愛」になっていくはずです。


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by haru-ha-akebono | 2015-06-07 00:21 | わたしは誰か?Who am I? | Comments(0)

祈りの力

祈りの力について書いたばかりのわたしの許に、
今朝届いた「賢者の言葉」。
『難行苦行は誰にでもできることではない、とは言うものの、
 祈りを通してすべては達成される』

ラーマクリシュナの直弟子の一人、スワミ・シヴァナンダジの言葉は、
Mさんの言葉同様、わたしの魂を揺り動かしたのです。

「賢者の言葉」の配信はこちらから。


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by haru-ha-akebono | 2015-06-03 23:33 | 祈りの言葉 | Comments(0)

Mの言葉

祈りは最後の拠りどころです。
人間に残された最後の手段なのです。
祈りは、知性の及ばないところで人を助けます。
              ーマスター・マハーシャヤ

マスター・マハーシャヤは「ラーマクリシュナの福音」を書いた、
ラーマクリシュナの在家の信者。

祈ることは、知性をはるか超えたところでの結実を起こすのか?
私も祈ろう、愛する人のために。


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by haru-ha-akebono | 2015-06-02 23:22 | 祈りの言葉 | Comments(0)