はるはあけぼの ヨガDiary

haru2918.exblog.jp
ブログトップ

調和の預言者

「個々の魂は、神性の可能性を秘めている。
 目的地は、人の性質を支配することによって、内に秘めたこの神性を顕すことである。
 外側にも内側にも。
 働きによって、礼拝によって、精神の抑制によって、哲学によってーーー
 これらの一つ、またはもっと、またはそのすべてによってーーーそして解放へ」

スワミ・ヴィヴェーカーナンダのこの言葉が書かれたカードを、
一昨日、ある方からいただきました。
開くと、飛び出す絵本、みたいなカード。
その方も、このスワミジの言葉を目標に、世間を放棄されました。

わたしも、世間に生きているけれど、これが目的地。



b0237103_00122804.jpg

7月10日(日) 午後1:30~ この偉大な預言者の生誕を祝う会が、インド大使館
に於いて開催されます。テーマは『無私の奉仕』 詳細はこちらから















[PR]
# by haru-ha-akebono | 2016-07-03 00:25 | 祈りの言葉 | Comments(2)

至福の意識

わたしが、一人でリシケシを訪れた2008年の8月の終わり、
ディヴァイン・ライフ・ソサエティ(通称 シヴァナンダ・アシュラム)の
総長であったスワミ・チダ―ナンダジが、
肉体を捨てマハーサマーディに入られました。
その時、アシュラムのみならず、
リシケシの街全体は深い失意と悲しみに包まれたように感じられました。
今思うと、それだけではなく、世界中のスワミジの信奉者は同様の思い
を抱いたに違いありません。

アシュラムの教えの核である、インドのヴェーダンタ哲学では、
人間の体や心は一時的なもので、魂は永遠であると教えます。
ですから、スワミジの逝去を本当は悲しむ必要はないのですが、
こちらは悟ってはいませんから、やっぱり悲しいのです。

わたしは、一度も肉体が生きたお姿にまみえることが出来なかったのですが、
この大事な出来事の時にその地にいられたのは、幸運だったのかもしれません。

チダ―ナンダジが肉体を離れ、
遺言通りに、すぐにその亡骸はガンガーに沈められたのです。
翌日、リシケシのあらゆる店はお休み。
よく通っていた、外国人向けのカフェのオーナーが、
「あのような偉大な霊的存在が、リシケシに再び現れることはない」と
つぶやいたのを、今も忘れることが出来ません。

チダ―ナンダジが生きておられたら、今年で100歳。
リシケシのアシュラムでは記念切手が発売されました。
アシュラムの郵便局で長くセヴァ(奉仕)をしている日本人のKさんが、
発売の翌日に帰国する日本人滞在者に託してくださって、
わたしの手元には、発売から間もなくその切手が届きました。
チダ―ナンダジの絵が描かれた封筒に入ったKさんの手紙に、
リシケシのあの夏の日々を思い出し、懐かしさで一杯になりました。



b0237103_16261955.jpg
          チダ―ナンダジの絵が描かれた封筒



わたしが最初にヨーガを始めた教室は、チダ―ナンダジをはじめ
何人ものアシュラムのスワミジたちをお招きしています。
わたしが、この霊性の修行を歩み出したきっかけは、
この教室から始まったと思っています。
この秋、その教室には、「チダ―ナンダジ生誕100周年」を記念して、
とても素晴らしい企画があるそうです。
待ち遠しいです。
それから、「チダ―ナンダ」とは、『至福の意識』という意味だそうです。


b0237103_16482954.jpg
            チダ―ナンダジの記念切手







[PR]
# by haru-ha-akebono | 2016-06-09 17:01 | 祈りの言葉 | Comments(0)

普遍的な言葉は生き続ける

先日、ほぼ毎日チェックしているあるブログを見ますと、
『逆説の十か条』という詩について書かれていました。
それは、数年前にマザーテレサのお言葉として、
在る方がコピーして、くださったものとほぼ同じでした。
その紙を探して取り出して、読みました。
詩を書いたのは、その時19歳のアメリカの学生だったケント・キース氏。
マザーテレサは、この詩に感銘を受けて、コルカタの「死を待つ人の家」に掲げ、
それが『あなたの中の最良のものを』という詩になり、広まったそうです。

偶然!? 再び生徒として通い出したヨーガの教室で、
このケント・キース氏の詩について話された先生がいました。
10日ほど前にあった大きなヨーガの催しに、
氏は来日されて講演をされたのだそうです。
先生としばし、お話しし、
家に帰って、数日前に取り出したその紙を、またよく読みました。

他者(いわゆる世間)と自分の間に起きる様々なことが書かれていて、
でも、あきらめずにし続けなさい、人を愛しなさい、という逆説を綴った詩は、
今のわたしの力強い支えとなりました。
「神性」ということを考える時、人はごまかしのきかない岐路に立つことがあります。
他者の中で粉々になりそう、でも、退いたら自分の求める道の先はありません。

ケント・キース氏の詩にはない、マザーテレサが作ったと思われる
最後の節はこうです。
『最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
 結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです
 あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです』
                     ~あなたの中の最良のものを~




b0237103_17113585.jpg




















[PR]
# by haru-ha-akebono | 2016-05-09 17:15 | 祈りの言葉 | Comments(0)

宇宙の聖なる母

今日は母の日。
自宅の祭壇のホリーマザーに、カーネーションの飾りが付いたお菓子を
お供えしました。
ホーリーマザーは「宇宙の聖母」。
先日観たパラマハンサ・ヨガナンダの映画では、
母親を亡くし悲しむムクンダ(ヨガナンダの俗名)に、
宇宙の母が語りかけるシーンがありました。
『何人もの母親となって、お前の沢山の生涯をずっと見守ってきました』

それが、わたしにとってはホーリーマザーだと気が付いたのはこの映画の影響か、
それとももう少しまえだったか・・・。
自分のことなのに無責任な言い方ですが。
女性だからか、ラーマクリシュナよりもマザーに親しみを感じます。
(二人は一つなのですが、別な姿をとっておられるところに意味があるのです。)

ホーリーマザーの愛は、執着のない愛だった、そうです。
おおよそ、生きた人間の母は「愛」という名の下に、子供を支配する執着の塊でしょう。
執着を持たない愛を、お坊様方は身をもって示されます。
執着のない愛、に慣れていない俗人のわたしには、
時に拍子抜けすることもありますが、深く考えるとそれはすごいことなのです。

『苦労はみな、彼の思し召しなのですよ
 彼がわたしたちに何をおさせになろうとしていらっしゃるのか、
 彼だけがご存知です』 ~ホーリーマザー・サーラダ・デヴィ




b0237103_18344895.jpg
        コルカタ ベルルマト近くのホーリーマザーのお寺 
















[PR]
# by haru-ha-akebono | 2016-05-08 18:39 | シャクティの力 | Comments(2)

また、帰って来ました!

先週、ハタ・ヨーガの教室に通い始めました。
身体を使うヨーガを始めて23年になりますが、
この何年かは自分が人に教えるだけで、生徒になることがありませんでした。
昨年、還暦を迎え、急に肉体の衰えを感じ始めて、体調を崩すことも多くありました。
自分で家でアーサナやプラーナ―ヤーマを行う時、
どうしても苦手なポーズは簡単にすませたり、やらなかったりします。
ポーズの保持時間も、きつくなる前にやめてしまうので、
あまり効果がなかったのでしょう。

復帰したのは、以前、ずっと通っていた自宅のエリアにある教室です。
ここでヨーガを始めた時、まだ30代でした。
身体が丈夫ではない、弱い、というよりも、自律神経が上手く活動しない、
今も女性の悩みはそこにありそうな症状といったものがあって、
ヨーガをはじめてみることにしました。
単なるスポーツではなく、心と肉体をつなぐものであり、
精神性を重視していることに惹かれたのです。
今のようにインターネットもなく、選ぶほど教室もなかった時代に、
自宅から遠くない場所に教室があったのは、幸運でした。

期待していた以上に、ここで、
インドでは「スワミ」というお坊様がヨーガの真髄を教えている
という事実と、肉体と心を支える、
「魂」とうものの存在をただの言葉でなく、知ったのです。
ヨーガをする人はおおよそ知っている、リシケシのシバナンダ・アシュラムの
スワミ・シバナンダジやスワミ・チダ―ナンダジの本を読むことが
大袈裟に言えば、人生の転機となっていったのです。

身体は健康になった、生活はある事情で自由になった・・・。
そうして、憧れのリシケシへ行ってから、
不思議なことに(自然と?)、段々と、
求めるヨーガがギャーナやバクティといったものになっていきました。
この何年か、肉体をおろそかにしてきたことは事実です。
「お坊様たち」は、肉体は魂を顕現するために必要な大事な道具と見て、
ヨーガをするしないに関わらず、
肉体の鍛錬を欠かしませんし、食べ物にも気を使っています。
しかし、その周囲に集まる「信者」という人たちは、
そうでもないことを知りました。
身体がダメだと、ろくな仕事は出来ないし、人間関係も良くないことを、
最近理解出来たのです。
瞑想に坐っていたって、何も変わらない人たちは、どうも体調が悪いようなのです。
そのようなことに気付くぐらい、
私は、肉体が健康な人々との付き合いが長かったということです。

3年ほど前、復帰した教室に行くことがあって、
いつも受付にいらして大変お世話になった先生が、はしゃぐように喜んでくださったので、
こちらがびっくりしました。
しばらくして、駅ビルのスーパーでその先生と再会、
「また来て!!」という笑顔、ハグをするほどの喜びに
「はい、また行きます!」と答えながら、日を伸ばしているうちに、
その先生はご病気になって、会うことが叶わなくなりました。
また、昨年、ブログに書いた、ヨーガの知人のまだ若い訃報。
『やりたいと思ったら、すぐ行動しないと、時間がない』
それが、ヨーガ復活の理由でした。

生徒を再開して良かった・・・。
久しぶりの初回、そう心から思いました。
ずっと教えを乞うていた先生の笑顔、丁寧な導きは、
初めにここを訪れた時と変わらず、
違和感を全く感じずにアーサナに取り組むことが出来ました。
迷わずここに帰って来たのは、
ここで15年間、良いサムスカーラを創ったのだと思うのです。
一度は教える体験をした後なだけに、
自分の肉体ともっと微細に向き合うことも出来ます。
そして、帰り、インフォメーションカウンターにあった
ヨガナンダの映画のパンフレットを見て、『行こう!』と思いました。
今は、こだわりを超え、さまざまな在りようをを認められる気持ちが芽生えているのです。









b0237103_19441728.jpg












[PR]
# by haru-ha-akebono | 2016-04-14 19:55 | インテグラル・ヨーガ | Comments(0)