はるはあけぼの ヨガDiary

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また、帰って来ました!

先週、ハタ・ヨーガの教室に通い始めました。
身体を使うヨーガを始めて23年になりますが、
この何年かは自分が人に教えるだけで、生徒になることがありませんでした。
昨年、還暦を迎え、急に肉体の衰えを感じ始めて、体調を崩すことも多くありました。
自分で家でアーサナやプラーナ―ヤーマを行う時、
どうしても苦手なポーズは簡単にすませたり、やらなかったりします。
ポーズの保持時間も、きつくなる前にやめてしまうので、
あまり効果がなかったのでしょう。

復帰したのは、以前、ずっと通っていた自宅のエリアにある教室です。
ここでヨーガを始めた時、まだ30代でした。
身体が丈夫ではない、弱い、というよりも、自律神経が上手く活動しない、
今も女性の悩みはそこにありそうな症状といったものがあって、
ヨーガをはじめてみることにしました。
単なるスポーツではなく、心と肉体をつなぐものであり、
精神性を重視していることに惹かれたのです。
今のようにインターネットもなく、選ぶほど教室もなかった時代に、
自宅から遠くない場所に教室があったのは、幸運でした。

期待していた以上に、ここで、
インドでは「スワミ」というお坊様がヨーガの真髄を教えている
という事実と、肉体と心を支える、
「魂」とうものの存在をただの言葉でなく、知ったのです。
ヨーガをする人はおおよそ知っている、リシケシのシバナンダ・アシュラムの
スワミ・シバナンダジやスワミ・チダ―ナンダジの本を読むことが
大袈裟に言えば、人生の転機となっていったのです。

身体は健康になった、生活はある事情で自由になった・・・。
そうして、憧れのリシケシへ行ってから、
不思議なことに(自然と?)、段々と、
求めるヨーガがギャーナやバクティといったものになっていきました。
この何年か、肉体をおろそかにしてきたことは事実です。
「お坊様たち」は、肉体は魂を顕現するために必要な大事な道具と見て、
ヨーガをするしないに関わらず、
肉体の鍛錬を欠かしませんし、食べ物にも気を使っています。
しかし、その周囲に集まる「信者」という人たちは、
そうでもないことを知りました。
身体がダメだと、ろくな仕事は出来ないし、人間関係も良くないことを、
最近理解出来たのです。
瞑想に坐っていたって、何も変わらない人たちは、どうも体調が悪いようなのです。
そのようなことに気付くぐらい、
私は、肉体が健康な人々との付き合いが長かったということです。

3年ほど前、復帰した教室に行くことがあって、
いつも受付にいらして大変お世話になった先生が、はしゃぐように喜んでくださったので、
こちらがびっくりしました。
しばらくして、駅ビルのスーパーでその先生と再会、
「また来て!!」という笑顔、ハグをするほどの喜びに
「はい、また行きます!」と答えながら、日を伸ばしているうちに、
その先生はご病気になって、会うことが叶わなくなりました。
また、昨年、ブログに書いた、ヨーガの知人のまだ若い訃報。
『やりたいと思ったら、すぐ行動しないと、時間がない』
それが、ヨーガ復活の理由でした。

生徒を再開して良かった・・・。
久しぶりの初回、そう心から思いました。
ずっと教えを乞うていた先生の笑顔、丁寧な導きは、
初めにここを訪れた時と変わらず、
違和感を全く感じずにアーサナに取り組むことが出来ました。
迷わずここに帰って来たのは、
ここで15年間、良いサムスカーラを創ったのだと思うのです。
一度は教える体験をした後なだけに、
自分の肉体ともっと微細に向き合うことも出来ます。
そして、帰り、インフォメーションカウンターにあった
ヨガナンダの映画のパンフレットを見て、『行こう!』と思いました。
今は、こだわりを超え、さまざまな在りようをを認められる気持ちが芽生えているのです。









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# by haru-ha-akebono | 2016-04-14 19:55 | インテグラル・ヨーガ | Comments(0)

調和の預言者の言葉

「真の成功、真の幸福の、偉大な秘密はこれである
  決して見返りを望まないことだ
 最も成功した者とは、
  無執着を達成した者である」     ~スワミ・ヴィヴェーカーナンダの言葉~


もう何も言うことがない、言葉。
勇気の湧く言葉。
しかし、実践はいかに難しいか。
でも、何度でもチャレンジ。
1000回失敗したら、1001回目に挑戦。

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# by haru-ha-akebono | 2016-04-04 00:06 | 祈りの言葉 | Comments(0)

めでたきその日

今度の日曜日は、ラーマクリシュナ生誕祭。
逗子にある、ラーマクリシュナミッション日本支部、日本ヴェーダーンタ協会
行われます。

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# by haru-ha-akebono | 2016-03-17 00:43 | シャクティの力 | Comments(0)

識別~Viveka

以前、ラーマクリシュナミッションの海外支部のスワミジが
来日されて、日本支部で講話をされた時のテーマが、
「識別ーViveka」でした。
『霊性の修行には覚悟が必要。
 人と付き合う時も、自分をその道から引きずり降ろす人か、
 助ける人か、識別が必要です』
この言葉が今でも、忘れられずに残っています。

これはおそらく、注意して人と付き合うということだと思っています。
もう一度、そのスワミジにお会いする機会があったら、
確認してみたいのですが。
相手が世俗的だから、避けるとか嫌う必要はありません。

人の心とは、木の葉のように、いつもあちこち風に飛ばされるがごとく、
さまよっています。
お金や地位や名声が、自分を幸せにしてくれると、錯覚しています。
人を助けることがいいことだと思っていますが、
それは自分を助けることになっているとは気が付いていません。
人間に生まれてきたことの目的を真剣に考える場が、
与えられることなく、一生の終わりが近づきます。
終わりは、人によって違います。
肉体が、若い時、老いた時、人それぞれです。

霊性の修行とか宗教と聞いて、笑ったり気持ち悪がったりした人も、
最期の瞬間は「自分の人生は失敗だった」と思うそうです。
掌中には何も残っていないことに、その時刻に気が付くのでは遅いのですが。

付き合う相手、のみならず、自分が行うこと思うことが、
本当に重要か、必要か、識別して生きることが大事、そんな言葉を
スワミ・ヴィヴェーカーナンダのメッセージから見つけました。

『カップ一杯の欲望を飲み干すと、世界は狂気になる。
 朝と夜は一緒には来ない、同様に、欲望と神は一緒には来ない。
 欲望をあきらめなさい』


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    コルカタ、ガンジス河にかかる「ヴィヴェーカーナンダ・ブリッジ」









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# by haru-ha-akebono | 2016-02-28 15:33 | 聖典を学ぶ | Comments(0)

永遠の幸福

『生と死、善と悪、人知と無知のこの混じり合いは、
 いわゆるマーヤー、あるいは普遍的現象と呼ばれるものである。
 君たちは永遠にこの網の内側で幸福を探し求め続け、
 幾多の悪に出会うことになろう。
 悪いことには会わず、良いことだけを経験するなどというのは、
 子供っぽいたわごとだ。』  スワミ・ヴィヴェーカーナンダの言葉

自分の幸せを望むのは、人間の常でしょう。
今ある状況よりももっと良いところへ、
或いはなにがしかの不幸が訪れた時には、
そこより脱出して良いと思える地点に行きたいと思う・・・。
望む幸福が大きければ大きいほど、不幸も大きく返ってくるとは誰も思わないのですが、
それはスワミジーの言うように、現象界の摂理なのです。

「自分探し」という言葉が一時流行りましたが、今もそのためのツールが
立派な商売として成り立っていることを、つい最近知りました。
自分を探すってなんじゃ?と思うのですが、
これも今よりも幸福になりたい人がとる、行動なのでしょう。
そもそも、「自分」を探すことって可能なのでしょうか?
スワミジーの言葉を借りれば、マーヤーの外へ出ない限り、
わたしたちは全員もれなく、自分で自分を探すことは不可能なのです。
「探されたつもりの自分」は「一時的なもの」で「永遠」ではありませんから、
不幸に必ず出遭って、それに対した時の自分の反応は以前とほぼ同じ・・・。
と感じたら、また、探さなくてはなりません、もっと違う自分を。
そのからくりを理解しない限り、
「自分探し」に膨大な時間とお金を注ぎ込む必要が出てくるでしょう。
注ぎ込む人がいる限り、いただく人が存在します。
自分が商売の道具になってる間は、
真の幸せを手に入れることは出来ないでしょう。

今は、何でもお金を払うと手に入れることが出来る(あるいはそう思われてい)
時代です。自分の姿(実相)も、お金を払えば手に入ると思う、
それも「マーヤー」です。
今の自分より仮に良くなったとしても、
また生まれ変わってくる、輪廻の輪から逃れたわけではありません。
「仮に良くなった自分」から来世がスタートするわけではありません。
人間に生まれてくるかどうかも定かではありません。
この繰り返し、つまり輪廻を繰り返すことが、全ての苦しみの源なのです。
スワミジーの説くヴェーダーンタは、
その輪から抜け出ることを目的にしています。
ヴェーダーンタは、スワミジーの生まれるはるか昔からインドに伝わる
哲学で、思想で、宗教です。
輪廻から抜け出ることが、マーヤーの外に行くこと。
すなわち悟り、解脱です。
そこは永遠不滅の命、幸福の住処なのです。

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# by haru-ha-akebono | 2016-02-24 18:13 | 聖典を学ぶ | Comments(2)