はるはあけぼの ヨガDiary

haru2918.exblog.jp
ブログトップ

歩きつづけること

ハタ・ヨーガ(肉体を使うヨーガ)を始めた時から、
憧れの人だったヨーガの大先輩であるマキ・ユングハイムさんが、
昨年12月に、杉並区高円寺にあるシヴァナンダ・ヨーガ・ヴェーダーンタ・センター
で行ったワークショップの様子を、シャンティ・ヨガ・クラブのホームページ
アップしています。(シャンティ通信19)

テーマは、「プラーナ―ヤーマ」で、実習もあったのでしょうが、
ホームページにはマキ先生が話されたことが、講話として載せられています。
肉体を使うヨーガは、このご時世で、多くが身体のシェイプアップや調整、
また美容目的になっていますが、本来はそうではありません。
肉体をアーサナ(ヨーガのポーズ)で整える、
毒素を排出させることで、長い時間瞑想に坐れる身体を作ります。
瞑想をすることにより、大宇宙と小宇宙(これは自分)を合一することが
ヨーガの真の目的なのです。
合一したその時、人間として生まれてきた意味がわかるのです。

マキ先生はインドに昔(およそ5000年前)から伝わる
ラージャ・ヨーガやヴェーダーンタを一筋に伝え、
ご自分の生き方や生活もその教えを実践されている、数少ない人の一人です。

この講話の中で心惹かれたのは、
マキ先生がヨーガの修行の中で出会った
リシケシのシヴァナンダ・アシュラムのスワミジたちの逸話です。
スーパースターみたいだったチダ―ナンダジ。
グルディブ・スワミ・シヴァナンダジの
「求道者は質素、控え目、気高い生活をしなさい」、
クリシュナナンダジの、
「自分は肉体ではないことを理解してアーサナを行いなさい」
といったお言葉。
わかり易い言葉でありながら、
私たちがいつもいる日常世界には、ない言葉ではありませんか?
難しくないのに、心が清々しい次元にワープしました。
グルディブがおっしゃる「求道者」とは、
なにもお坊さんだけのことではありません。
ヨーガをするということは、何かを求め歩き続けること、
ヨーガをする人は皆「求道者」なのです。


b0237103_15280408.jpg
 右から、チダ―ナンダジ、グルディブ・シヴァナンダジ、クリシュナナンダジ
 リシケシのシヴァナンダ・アシュラムのダイニング・ホールには、このお三方のお
 写真が掲げられています。





[PR]
# by haru-ha-akebono | 2016-02-11 15:38 | インテグラル・ヨーガ | Comments(0)

目的に達するまで立ち止まるな!

『スワミ・ヴィヴェーカーナンダの生涯・1』を読んでいます。
インドはコルカタにある、ラーマクリシュナ・ミッション・ベルルマトの
書店で買った、東西の弟子による全2巻の本です。
英語版のそれは1冊が結構厚くて、買う時にまず思ったのが、
「果たして自分はこれを読むのか?」
次に、
「重くて2冊は持って帰れそうもない。スーツケースに入るか?
 他にも本を買ったから、荷物重量が超過するのではないか?」
ということでした。
最初、1巻だけを持ってレジスターに行くと、会計をしている
ブラマチャリ(お坊さんになるために修行しているまだ僧侶ではない若者)が、
「2巻目は買わなくていいのか?」
と聞いてきました。
内心は迷いながらも、はっきりとうなずきました。
2は、また来た時に買うことにしようと思ったのです。
しかし、翌日、再び書店に行って2巻目を買いました。
今は、買ってきて良かったと思います。
インド出国後、別な国に立ち寄って本は増え続けましたが、
幸い、荷物は重量オーバーにはならず、スーツケースではないもう一つの布袋に
入れて航空機に預けたのですが、無事到着しました。

その旅から帰ってもうじき1年になるのですが、
最近まで棚に置かれたままだったその本を先日読みだしました。
そうしたら、とても面白くて、辞書を引きながらですが、
どんどん読みたくなるのです。
日本支部から、日本語のスワミジーの生涯の本は出ていますが、
今一つ読み進めず、真ん中あたりで止まってもう何年か経ちます。
幾度も読もうと挑戦しましたが、いつもすぐ投げ出してしまうのでした。
この違いは何だろう?
内容は、もちろん2巻ある英語版は詳しいですが、
違うことが書いてあるわけではありません。
しかし、その書かれていることの背後にある何かが、
日本語バージョンには欠けているように思うのです。

「厚いから」という理由で遠ざけていた本を開いたのは、
これを読むよう勧めて下さった方への篤い尊敬の気持ちからです。
人が前に一歩進むには、教師が必要です。
では本の主役であるスワミ・ヴィヴェーカーナンダは、
読み終わった時に、一体何を教え与えててくれるでしょうか。





b0237103_18340528.jpg
      ドッキネッショルの近くにある、スワミジーの像。
      カメラの日付設定の間違いで、日にちは大幅に違っています。
   











[PR]
# by haru-ha-akebono | 2016-02-09 18:38 | 聖典を学ぶ | Comments(0)

人生の美

1月の最後の日は、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの誕生日でした。
インドでは、陰暦で日を決めるので、毎年生誕の日が変わります。
昨年は、恵まれたことに、ラーマクリシュナミッションの本部である
コルカタのベルル・マトで、スワミジ―の生誕祭に参加することが出来たのです。
朝早くから(4時30分くらいから)、スワミジーの寺院やお部屋で
マンガラム・アラティや、バジャンを歌う催しが行われました。
一日中、何かしらのプログラムがあって、
夕方から午後8時30分くらいまで、スワミジーの寺院の前でバジャンを歌う
催しがありました。メイン・テンプルでのアラティは人が多くて
中に入れず、外の庭園に設えられたモニターで儀式を見たのち、
バジャンを歌う集団の中に坐ることが出来たのです。
ロシアからいらしてたセンター長のスワミジに、「お仕舞まで歌っていきなさい」
と言われ、そうしたのですが、一昨日、そのことを懐かしく思い出しました。

その、一昨日は、逗子にある日本支部のヴェーダーンタ協会で、
スワミジー生誕を祝うマンガラム・アラティがあり、参加しました。
朝6時からのアラティの後、「霊性の師たちの生涯」を輪読し、
シバの化身という意味の「ムルタ・マヘシュヴァラ」を皆で歌いました。
皆と言っても、朝早いですから、参加者は4人と協会長のスワミジだけでしたが。
スワミジーのお寺にある、スワミジーが瞑想する姿のレリーフが目に何度も
浮かび、幸せな気持ちで朝の瞑想の時間を過ごすことが出来ました。

スワミジーがシバの化身と言われる所以は、
協会から出版されている「スワミ・ヴィヴェーカーナンダの生涯」に
簡単に書かれています。

スワミジーの講演集、有名なヨーガ・ジリーズの4冊の本に出逢わなかったら、
今のわたしはありません。
最初に読んだ「カルマ・ヨーガ」の何が私を惹きつけたのか・・・。
いまだにわかりませんが、もう何度も読み、その都度感動するのですが、
理解はとても難しいです。
でも、「こんなにすごい人が世の中に存在していたのか!?」
という、初めの感動と驚きは、今もわたしの中で形を変えて続いています。

『失敗を気にするな。それは自然なことだ。
 失敗ーそれは人生の美だ。失敗のない人生などありえない。
 もがき苦しむことがなければ人生に意味はない。・・・
 これらの失敗や小さな後退を気にするな。千回でも理想を掲げよ。
 そしてもし千回失敗したら、さらにもう一度チャレンジせよ』


b0237103_17401995.jpg
  日本ヴェーダーンタ協会での、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ生誕祭は
  2月21日(日)10:30A.M.からです。詳細はこちらから。





[PR]
# by haru-ha-akebono | 2016-02-02 17:46 | 祈りの言葉 | Comments(2)

もしあなたが平安をのぞむなら

「我が子よ、もしあなたが平安をのぞむなら、人の欠点を探さないことです。
 自分自身の欠点を探しなさい。
 世界はあなた自身であることを学びなさい。」
                  ホーリーマザー・サラダ・ディヴィ
 
新年の第1日目の今日は、マザーの生誕祭です。




b0237103_22255221.jpg















[PR]
# by haru-ha-akebono | 2016-01-01 00:46 | ディヴァイン・マザー | Comments(0)

聖夜のこと

24日、クリスマス・イブを祝う集まりが、
逗子の日本ヴェーダーンタ協会で行われました。
ヴェーダーンタ協会はインドのラーマクリシュナ・マト&ミッションの
日本支部で、ヒンドゥーのお寺なのですが、
「信仰の数だけ真理への道はある」という、
ラーマクリシュナの説いた教えの通りに、あらゆる宗派を拒否せず、
礼拝するのです。
この夜は、何曲かのキャロルを参加者で歌い、
協会長のスワミジの聖書の朗読と講話がありました。

この数日前、新約聖書の言葉が書かれたカードを友人に送ったところ、
「とても感動した」というメールが返信されてきました。
クリスマスが近づくと、様々な店にカードを売る場が出来ます。
しかし、今年はピカピカの凝ったカードを見ても、きれいだなと思うだけで、
買うことはしませんでした。
聖書の言葉が書かれたカードは、御茶ノ水の聖書を売る店で見つけたのです。
お祭りではなく、パーティでもなく、商売でもないクリスマス、
キリストの生まれた意味について考える日でありますように・・・。
そんな思いがありました。
そのカードには、2人の修行者と復活したキリストの3人が
森を歩く姿が描かれています。
素朴な、しかし気持ちを惹きつける何かが表れているその絵は、
手元になくなった今も、目に焼き付いています。

様々な世情をはらんだ問題、その影響を受ける個人の問題は、
しかし、政治や他人のせいではなく、
永遠に変わらないもがあることに気づかない人の心が生み出していると、
今はっきりと感じるのです。


b0237103_01444375.jpg











[PR]
# by haru-ha-akebono | 2015-12-28 01:43 | 聖典を学ぶ | Comments(2)