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はるはあけぼの ヨガDiary

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バランス~闇と光

「霊性の道は、あなたがただ自身の性質と潜在力を開放させることのみを意味しておりません。
 それは同時に、他の人々を理解し、調和することを意味しているのです。」
                                            ・・・・スワミ・サティヤーナンダ

瞑想をしていて気持ちが良く、その気持ち良さを手放したくないために
内的世界に落ち込んでいくという話を、以前本で読んだことがあります。
また、その気持ちよさは『魔境』と呼ばれているようです。
瞑想をはじめとする霊性の修行は、エゴを無くしていくことが目的の一つなのに
この『手放したくない』という思いは強固なエゴではありませんか。
そして、他者との調和という行為を手放しています。

内的世界の理解なくしては霊性の探求はありえません。
でも、そこに過剰に関わっていくと、他者との世界で生きることに興味がなくなったり、
俗世に対して嫌悪が始まったり、道がずれていってしまいます。
その一つの例が、カルト教団です。
集団にならずとも、他者との交流が上手く出来なくなり、存在が希薄になっていってしまう・・・。
そんなことになるのです。そういう人を何人か見てきました。

人間は肉体を持っているというのは、やはり活動するためなのです。
何もしないで、内的世界に浸っているので良いなら、肉体は必要ないでしょう。
しかし、反対に肉体をはじめとする見える世界だけに執着するのも、
『魔境』が待ち受けています。
充たされることのない欲に、体も心も乗っ取られてしまうという。
内的世界の存在など考えもせずに、外的なことに全てを捧げてしまうと、
エネルギーを使い果たし、心身は病んでしまうでしょう。

このバランスをとることが、ハタ・ヨーガの主題です。
究極のバランスは、勿論「自己=SELFの顕現」です。
そこへ向かうためには、自分自身の内的世界と外的世界の調和と・・・、
自分の幸せと同様、他者の幸せのために活動することも必要です。

「人間は、他者なくしては存在できないように、完全な闇と光は存在できません。」
                                ・・・・スワミ・サティヤーナンダ



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# by haru-ha-akebono | 2012-04-25 01:26 | シャクティの力

待つ~機が熟す時

先日友人と話していて、「物事の結果を早急に求める人が多いね」とお互い意見が合いました。
みんな忙しいのでしょうか?なぜそんなに急いで結果を出したいのでしょう?

人からよく、「ゆっくりしている」とか「おっとりしている」と言われます。
そのせいか、色々とアクションをおこしている所を見ると今度は、「行動的ね」と言われます。
他人の評価は面白いですね。
私がアクションを起こしている時、
それは実は長い時間をかけてことの機が熟すのを待っていた結果なのです。
思いついてすぐに行動を起こすこともありますが、そうでない方が圧倒的に多いのです。
ハタ・ヨーガをやりたいと思ってから、実際に教室に通うようになるまで、
なんと13年ほどの時間がかかりました。
ヴァイオリンの場合は、30年なのです!

何かを、「やってみたい」という気持ちには表層ともっと深い次元とがあるように思うのです。
例えば、本や新聞やTVなどの情報から「ヨーガをやってみたいな」と思っても、
それはまだそれほどではない。頭の情報処理のレベル。
実際の外側の事情と、自分の事情という物理的な問題も絡みます。
そのままにしておくと、忘れてしまうこと物ごともあります。
が、決して忘れることはなく、ずっと思い続けていた物事には、
かならず「今だ!!」という時が来るのです。
その時は、やってみたい事柄は潜在意識のレベルまで達しているので、
自分の内面も外の事情もぴったり合って、始めるやいなや、
ずっと突き進むこととなるのです。
途中、勿論スランプも来ますが、長い年月待っていて始めたことですから、
やめることはありません。そういう気持ちにならないのです。

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やりたことがあるようなないような人、結果を急いで興ざめしてしまう人・・・・。
色々やってみて、合うものが見つかればそれはそれでいいけれど。
でも、急激に何かに入れ込んで、思っていたこととイメージが違ったから
もうそれは絶対拒否。悪いのは相手。
それはそもそも、自分ときちんと向き合っていないからじゃないでしょうか。
そして、自分から全てを起こしている、と思っているからではないでしょうか。

もうじき始める(始まる?)新しいことがあります。
これも、2年ほど前からやりたいと思っていたこと。
でも、その時は別なことをやっていてそのことに時間を使えなかったのです。
始めよう、となった時は勢いがついて外からも内からも力がありました。
そう、自然に湧いてくる力、機、なんと呼べばいいかな?
こちらは思う、という最小限の努力をしていると、結果は自然に顕れてくる・・・・、
まるでヨーガアーサナのようなのです。


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# by haru-ha-akebono | 2012-04-20 12:54 | わたしは誰か?Who am I?

自由(リベルテ)~ヨーガスートラを学ぶ会

春らしく、変わりやすいお天気。
先日、夜桜見物に行って風邪をひいてしまいました。
ぐずついた症状は、発展もしないし消滅もしません。
今日、ヨーガ塾に行ってアーサナをしました。
肉体が少しずつ、軽く明るく開かれていくのが感じられました。
時々、咳が出ましたが、「来て良かった!!」
終了後、先生と話をしていましたら、帰って来てこの詩が読みたくなりました。
とっても長い詩なので、終わりの方を少しだけ紹介します。

      『戻ってきた健康の上に
       消え去った危険の上に
       記憶のない希望の上に
       ぼくは おまえの 名を書く

       そしてただ一つの語の力をかりて
       ぼくはもう一度人生を始める
       ぼくは生まれた おまえを知るために
       おまえに名づけるために

       自由(リベルテ) と。』       ポール・エリュアール

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さて、ヨーガ塾では、今週土曜日の午後、抱一先生の「ヨーガスートラを学ぶ会」があります。

ヨーガスートラを学ぶ会(No.7)
4月21日(土) 開場 2:30p.m. 開講 3:00p.m.~5:00p.m.
沙羅舎2F こころとからだ塾
参加費 2,000円  講師 抱一

今回のスートラは、 第1章12節~16節を予定しております。
その主題は、
12節 心の動揺の止滅は、継続的実践(アビヤーサ)と欲望の放棄(ヴァイラーギャ)によって実現する。
13節 心の動揺を止滅させる堅固な持続的努力が継続的実践(アビヤーサ)である。
14節 継続的実践(アビヤーサ)は、長い期間、中断なく、信仰を持って熱心に実践するとき、心の止滅の不動の基盤となる。
15節 対象への欲望から自由になる、その制御の意識が欲望の放棄(ヴァイラーギャ)である。
16節 プルシャ(純粋精神)を理解し、プラクリティ(根本原質)への執着から自由になるとき、至高の欲望の放棄(ヴァイラーギャ)を達成する。
これらの内容の、異なるヨーギたちの解説を学びます。ぜひお気軽にご参加ください。
# by haru-ha-akebono | 2012-04-18 18:14 | 聖典を学ぶ

ハタ・ヨーガの時間

わたしが、体を使うヨーガ=ハタ・ヨーガを始めた頃は、
ヨーガに関する情報がまだ沢山はありませんでした。
ハタ・ヨーガは、普通の運動とは違う、体と心をつなぐ、と言うことは度々耳にしました。
でも、どうやって体と心をつなぐのか、そもそもそこで扱われる心ってものは
とっても曖昧な大雑把なものに思えたのです。
ハタ・ヨーガそのものも、「月と太陽を表す言葉」、「陰と陽の調和」という漠然としたものです。
そのハタ・ヨーガを学ぶうちに、ラージャ・ヨーガとかギャーナ・ヨーガとか、
哲学的なヨーガの部門に出会ったのです。
その精神性、霊性(スピリチュアリティ)が、自分が学んでいるハタ・ヨーガとどう結びつくのか?
アーサナが主流のヨーガ教室で、たまに瞑想の時間があっても、
そこが一つの流れの中にあるとなかなか理解出来ませんでした。
体を動かして、その霊性の世界にどうやって到達するのだろうか?

グルディブ・シヴァナンダ・ジの直弟子の一人、スワミ・サティヤーナンダ・ジのタントラに出会って、
ハタ・ヨーガが霊性の世界に通じる確かな道であることが、ようやく理解出来てきたのです。
体系的な実践方法。
美しい、芸術的なセンスの技法。
西洋の心理学を伝統的なヨーガの科学に結び付けているところが素晴らしい。
おどろおどろしいと思われていたタントラの思想を、
シヴァ=至高の意識とシャクティ=宇宙エネルギーの結合の顕れと、美しく表現したのです。
そして、唯自分のための修行だけではなく、修行で得たことを
人々の中で仕事(カルマ・ヨーガ)に活かすことを大切にしているところが、また素敵なのです。
イダー(意識)とピンガラ(エネルギー)のバランスと同じ、
独りよがりになってしまわないようなバランス感覚があるのです。

グルディブ・シヴァナンダさんの直弟子は皆優れたスワミ・ジばかりですが、
知る人ぞ知るサティヤーナンダ・ジは、天才的なタントラ・ヨーガの人であり、
イケメンで、素敵な人なのです。
シヴァナンダさんについて書いた「グル」は、何度読んでも泣いてしまいます。
グルに対する献身は、
「こんなに思えるグルを持ったサティヤーナンダ・ジはなんて幸せな人なんだろう」、と思うし、
また、師の厳しさからアシュラムを逃げようと、用意周到にデリーでの就活をしてしまう
ところにも不思議と魅かれるのです。(マーヤーが自分に仕掛けた罠、と書かれています。)
今、一番行ってみたい所、それは、サティヤーナンダ・ジが創設した
ビハール・スクール・オブ・ヨーガ」です。




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  向かって一番左が、ビハール・スクール・オブ・ヨーガ・現総長のスワミ・ニランジャナーナンダ・ジ。
スワミ・チダナンダ・ジがマハー・サマーディに入られた後の、シヴァナンダ・アシュラム(リシケシ)での式典にて。
# by haru-ha-akebono | 2012-04-13 23:48 | シャクティの力

魂、それはどんな武器でも破壊することは出来ない

ヴァーサーンシ ジールナニ ヤター ヴィハーヤ
  ナヴァーニ グリフナーティ ナローパラーニ

タター シャリーラーニ ヴィハーヤ ジールナーン
  ヤンヤーニ サムヤーティ ナヴァーニ デヒー

まさに、人が着古した衣服を捨て去り、新しい衣服をまとうのと同様に、
魂は、古くなった肉体を脱ぎ捨て、別な新しい肉体に入る     

                            「バガヴァッド・ギーター」第2章22節


ナイナム チンダンティ シャストラーニ   ナイナム ダハティ パーヴァカハ
  ナ チャイナム クローダヤンティヤーポー  ナ ショーシャヤティ マールタハ

どんな武器もそれを切ることは出来ない、 火はそれを焼くことは出来ない
水はそれをぬらすことは出来ないし、風はそれを乾かすことは出来ない       
                             
                            「バガヴァッド・ギーター」第2章23節

23節の「それ」はやはり「魂」のことです。
日本語訳は、グルディブ・シヴァナンダ・ジがコメントされた本(ディヴァイン・ライフ・ソサエティ出版)
の英語訳から、わたしがしました。
20・22・23節を、以前サンスクリット語から訳しましたところ、
原文には主語がないのです。
ヒンドゥの思想を知らないと、何について書いた節(スローカー)なのかほとんど分からないでしょう。

魂、それはどんな武器でも破壊することは出来ない_b0237103_0165089.jpg


肉体の背後に魂という不変の存在があって、それは肉体が滅びてもなくならない。
新しい肉体を見つけてまた生まれ変わる、輪廻転生の思想はいつからか知っていましたが、
この「バガヴァッド・ギーター」を読み、母親の死に直面して初めて真剣に考えました。
この転変する現象界に欲望を残したまま肉体が死ぬと、
また生まれ変わってくるということを、後に本やスワミ・ジたちから聞いて知りました。

ほとんどの人が、一度生まれて、死んだらそれでおしまいだと思っているのでしょうか。
それなら、何のために生まれてくるのでしょう。
自分の欲望を充たすために生まれて来たとしたら、それが叶えば幸運だし、
叶わなかったら失敗の人生と言うわけです。
それで1回きりの生ならば、まるで人生はギャンブルです。

わたしも以前(ヨーガを始める前)は、自分の願望(欲望)を達成するために努力し、
それを叶えることが生きることだと思っていました。
でも、どんなに頑張ってもそれは叶うことはありませんでした。
叶っても、すぐにまた変化するからです。
一度到達しても、また更に上を目指して頑張るのです。
転げ落ちたりしたら大変と思っていました。
達成の喜びのあとはすぐに、それを失うまいとする恐れが待っていました。
その繰り返しに神経を擦り減らして、生きることがとても辛くなっていきました。

「魂」が人の本質であって、生まれ変わりを繰り返していつかは本性を悟る、
それが生まれてきた理由と知れば、生き方は変わるのです。


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# by haru-ha-akebono | 2012-04-12 00:23 | 祈りの言葉