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はるはあけぼの ヨガDiary

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月の海  Mare Foecunditatis

この間の「ヨーガ・スートラを学ぶ会」は、第1章の4節と5節を学びました。
その時に、仏教の唯識の話しがありました。
唯識について、もっと詳しく知りたくなりました。
「ヨーガ・スートラ」を日本に紹介した有名な「ヨーガ根本教典」は、仏教用語で書かれていて、
その言葉の意味を知るために唯識の勉強を始めた、という人を知っています。

この「ヨーガスートラの会」で唯識と出会うまで、
唯識に関する私の知識は、三島由紀夫の「豊饒の海」で読んだものだけでした。
「豊饒の海 第3部・暁の寺」の中で、唯識について語られている所があります。
すべての事象は、刹那に生まれ、また滅していく。
この繰り返しであるというのです。
滅生の動きが速すぎるため、人間の目には連続して見えるけれど、
そうではなく、生まれて滅してを、時間の極小の単位で繰り返していると言うのです。
この不可思議な説(私にとって)に、ヨーガを始めてから、何回もこの部分を読みました。
昨日の昼間、バスに乗っていて、窓外の風景をその唯識の考えで眺めてみました。
実際には見えないけれど、その滅してはまた新に生まれて来る、その隙間を想像してみました。
隙間は、何か光のようなものとして、私の内部で現れるのです。
でも、やはり実際は見えていません。唯のイマジネーションです

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「豊饒の海」は4部作で、主題は輪廻転生。
昨日、4部の終わりの部分を読んでいると、輪廻転生は大きな意味での
「刹那滅生」だと思いました。
この物語の大きな主題の中の小さな部分、出来事が、また刹那に現れては滅していく。

唯識の考えは、常に「現在」だけが存在し、
過去は滅してもう既にここにはなく、未来はまだ現れてはいません。

「過去」は、人の記憶にだけ存在する・・・。
「未来」は、人の空想の中にだけ存在する・・・。
それなのに、私もですが、人は変えることが出来ない過去に執着して、
まだ来ない未来に一喜一憂して、
「現在」をフイにしているのです。

「何もないところ」に、主人公は「来てしまった」と思って、物語りは終わります。
ヴェーダーンタなら、「すべてはマーヤだった」と言うことでしょうが、
仏教には神、または人間を超える絶対の存在がありません。
すべては「空」だ、ということです。
この「空」は、何もないのではなく、そこからあらゆるものが現れ出て来る、
そしてまたそこに帰って行く、ところ。

生きることは、一刹那そこへ帰り、またそこから現れ出て来る、
そう思ったら、見える景色も、なにより自分が、いつも新しい・・・・。
すべてが光を含んだ、生命と見えてくる、感じてることが出来るのです。


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by haru-ha-akebono | 2011-12-21 02:39 | 聖典を学ぶ