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はるはあけぼの ヨガDiary

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南インドへ

インドに初めて行ったのは、丁度30年前の2月~4月でした。
インドを旅することになったのは、いろんな経緯がありました。
書くと長くなるので省略。
行きたいと思っていた、アフガニスタンやイランが、次々戦争で入国が出来なくなったのです。
その頃、横尾忠則さんの「インドへ」を、職場の友人が貸してくれたのです。
インドへの憧れが急速に膨らみました。
横尾さんが求める精神世界にも、惹かれました。
「インドへ行こう!!」  その思いが固まっていったのです。
着々と準備を始めました。
当時は今と違って、インドに行くことは気持ちの上でも実際も大変なことでした。
情報もあまりないし、インドには国際電話もあまり通じない時代でした。

やがて、一緒に行くことになった友人の友人と、2ヶ月間で回るところを決めました。
読んだ何冊かの旅行記の中に、大好きな詩人の田村隆一氏の「インド酔夢行」があったのです。
「どうしても、この本に書いてある、インド最南端=ケープコモリン=カニャ・クマリに行きたい!!」
それが私の唯一の希望でした。
後はどこか変更があってもいいから、ここだけは絶対に。
ただ、最南端で、3つの海が出会うところ、と言うだけで、その場所に行きたい・・・・。

さて、デリーから少しずつ南下して旅は続きました。
移動はいつも2等寝台列車。
ある場所に着くと、汽車を降りてすぐに、次に乗る汽車の切符を買います。
切符販売窓口に並んで・・・。そうしておけば、出発まで駅に来なくて済みますから。
デリーで買った時刻表だけが頼りです。

横尾さんの本に書かれて憧れていた「精神世界」とは無縁の旅でした。
南インドに来た、と実感できるのは、デカン高原あたりからでした。
その先、ケララ州に入って行くと、汽車はなく、バスでの移動になります。
バスはだいたい夜行。
運転が信じられないくらい乱暴で、良く事故に遭わなかったと思います。

何日も海の家に泊まって海水浴を大分楽しんだあと、やっとケープ・コモリンへ。
!!・・・・何にもない、田舎の町!!
岬のようなものはなく、どうすれば感動のサンライズ&サンセットを見ることが出来るの?
夕方、同行の友と、海で知り合っ男性と3人で、西と思われる方角へ、ひたすら歩きました。
すると、海辺近くに出たのです。
沈む夕陽は見ることは出来なかったけれど、村の女性が井戸に水を汲みに来たり、
子供もいたり、人が沢山いました。
懐かしいような、素朴な風景。
大昔に見たことがあるような、既視感に襲われました。
一体、ここは何処?
今まで見て通り過ぎて来たインドの町や村とは違う・・・。
夢を見てるのかな~。
夕餉の支度にかかる、田舎の村の一枚の風景画。

翌日の朝は曇りで、やはり朝日を見ることが出来ませんでした。
3人で村の中を歩き回りました。特に何も見るものがない、生活するための村。
ブラブラしていると、船の乗り場に出くわしたのです。
船と言ってもフェリーボートです。
乗船時間が迫っているようで、インド人が何人も乗って行くので、私たちも乗ることにしました。
何処に行くのかも知らずに。
デッキで、インド人のおじさんに「ネパール人か?」と聞かれました。
3人とも、顔は日に焼けて真っ黒でしたから。
船はすぐに、小さな島(岩)に到着。
誰かの記念館らしきものが建っているだけです。
中に入ると、何枚も同じ人(インド人)の写真が飾ってありました。
「こんな場所に、こんな記念館が建てられ、こんなに人が来るなんて、とても偉大な人なんだね」
と、3人で話して一回りしました。
インドの人は皆、巡礼旅だったのでしょう。
南インドでは英語を話す人があまりいないので、
私たちは質問もしなかったか、聞いても通じなかったのでしょう。
その人が誰なのか分からないまま、でした。
記念館の奥に飾られた、一枚の写真だけは、今も光のような明るさで記憶に残っています。

それから十年ほど経ってヨーガを始め、しばらくしてその写真の人が
偉大なヨーギ、ヴィヴェーカーナンダだと知りました。
師ラーマクリシュナがマハ・サマーディに入ったあと、インドを巡礼。
カニャ・クマリで海に飛び込み、この岩まで泳ぎ、瞑想をした。
記念館と思っていたのは、その記念に建てられた寺院だったのです。



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by haru-ha-akebono | 2012-01-18 00:48 | シャクティの力