今日は、「プラーナ・ヴィディヤー・コース」の日だった。
まずレクチャーがあって、アーサナをして、それからプーラーナを上昇させる実践をした。
プラーナ・ヴィディヤーの実践や瞑想は、精妙な世界への道標。
日常の粗大な世界は、ただ粗大なレベルのまま過ぎていく。
そこは、ネガティブなもので溢れている。
駆け引き、競争、優劣、損得・・・、etc.
束の間の喜びと期待・・・それが損なわれると、執着が湧いて、悲しみや憎しみに変わる。
その繰り返し。
相手を非難していながら、実は自分を卑下していることに気づかない。
こちらから見たらどうでもいいようなことに、名誉を懸けている。
感情の何かと何かがくっ付いていて、問題を大きくしている。
瞑想は、こんなことを客観的に眺められるようにしてくれる。
巻き込まれて、渦巻きの中の洗濯物のようだった心を、
少し離れて、見ていることが出来るようになってくる。
瞑想の究極の目的は、「私は誰か?」を知ることだ。
「私は、この目に見えるこの私」、そう思ってしまったらそこでお仕舞い。
もし、ヨーガを始めなかったら、今頃は「(エゴの)わたし、私、ワタシ」のオンパレードだったかもしれない。
目に見える粗大な世界が全てだと思って、人生を終わっていたはずだ。
まだまだ、先はとてつもなく長い道だけれど・・・・。
もう、粗大な快楽(あとで毒薬になるような)にばかり時間を使う気にはなれない。