人気ブログランキング | 話題のタグを見る

はるはあけぼの ヨガDiary

haru2918.exblog.jp
ブログトップ

求めれば!開かれる

今日、抱一先生のヨーガ塾で「アジャパ・ジャパ瞑想」を行いました。
ビハール・スクール・オブ・ヨーガのタントラ瞑想の一つで、
呼吸とマントラを使う、集中しやすい瞑想法です。
瞑想のようなアーサナからの一連の時間の上にあって、
終わったあと、とても清々しくて、心身がくつろいでいました。
終了後、建物の1階にある心泉茶苑で、お昼ご飯を食べてから帰ったので、
1時間は経っていたでしょうか?
電車で最寄駅に降りた時、体中がワクワクした感じになっていました。
全身の細胞が喜んで、エネルギーに満ちているような、経験したことがない状態でした。
体内が、膨らんで満たされてるもので一杯になっている・・・。
瞑想が抽象的な観念的なことではなく、こうしたはっきりとした事実になると知ったのは、
ビハールの瞑想をするようになってからです。
精妙な世界を体験するってことは、生きていていく上で必要なことだと思います。
粗大な世界、つまり目に見える世界だけを信じて生きることは、限界のある世界を生きるわけです。
いつも、見える世界で比較対象をしているだけで、結局は苦しみにいきつくのです。
粗大な世界は相対的世界。
そこには、本当の喜びや幸福は存在しないのです。

瞑想を始めた頃は、すぐ眠くなって、なかなか取り組めませんでした。
でも、ああしてみたり、こうしてみたり。
遅々とした取り組みでしたが、続けました。
今だって、まだ集中の浅いレヴェルだと思います。
それでも、時間がくるとやりたくなるし、意識の世界の広がりを感じます。
それに、身心に活力が湧いてくるのです。

求めれば!開かれる_b0237103_19393518.jpg


ヨーガを始めて10年位経った頃、ヨーガをすることが段々虚しくなってきたのです。
長くやっていると、難しいポーズがどれだけ出来るかが仲間うちの興味の的になって、
精神的なことがほとんど問題にされていない状況に疑問を持つようになりました。
いろんな教室に体験に行きましたが、どこも大差がなように思えました。
それから、武士道の歴史からか、辛いことや苦しいことを我慢することが美徳のような風潮が、
日本のヨーガにはあると思います。
無理なポーズを行って、身体を痛める人もいました。
始まる前に般若心経を読んだり、唯脈絡なくいくつかのアーサナをするだけだったり。
まして、きちんと自分一人でも続けられるように、瞑想を教えているところには出会えませんでした。

求めれば!開かれる_b0237103_1952165.jpg


そんな時に、気持ちは背水の陣でリシケシに行ったわけです。
リシケシで出会ったハタ・ヨーギのスワミジから
ヨーガは難しいポーズを行うことではなく、気づきに満ちてあることが大事、
自分が誰かを問いなさい、それがヨーガの練習だ、瞑想もしなさいと言われ、納得して帰国しました。
そこから、第二のヨーガ人生が始まったのです。
求めていると、求めるもの・人たちに出会うのでしょう。
今、それを強く実感しています。


求めれば!開かれる_b0237103_1939820.jpg

by haru-ha-akebono | 2012-03-03 20:04 | シャクティの力