ヴァーサーンシ ジールナニ ヤター ヴィハーヤ
ナヴァーニ グリフナーティ ナローパラーニ
タター シャリーラーニ ヴィハーヤ ジールナーン
ヤンヤーニ サムヤーティ ナヴァーニ デヒー
まさに、人が着古した衣服を捨て去り、新しい衣服をまとうのと同様に、
魂は、古くなった肉体を脱ぎ捨て、別な新しい肉体に入る
「バガヴァッド・ギーター」第2章22節
ナイナム チンダンティ シャストラーニ ナイナム ダハティ パーヴァカハ
ナ チャイナム クローダヤンティヤーポー ナ ショーシャヤティ マールタハ
どんな武器もそれを切ることは出来ない、 火はそれを焼くことは出来ない
水はそれをぬらすことは出来ないし、風はそれを乾かすことは出来ない
「バガヴァッド・ギーター」第2章23節
23節の「それ」はやはり「魂」のことです。
日本語訳は、グルディブ・シヴァナンダ・ジがコメントされた本(ディヴァイン・ライフ・ソサエティ出版)
の英語訳から、わたしがしました。
20・22・23節を、以前サンスクリット語から訳しましたところ、
原文には主語がないのです。
ヒンドゥの思想を知らないと、何について書いた節(スローカー)なのかほとんど分からないでしょう。
肉体の背後に魂という不変の存在があって、それは肉体が滅びてもなくならない。
新しい肉体を見つけてまた生まれ変わる、輪廻転生の思想はいつからか知っていましたが、
この「バガヴァッド・ギーター」を読み、母親の死に直面して初めて真剣に考えました。
この転変する現象界に欲望を残したまま肉体が死ぬと、
また生まれ変わってくるということを、後に本やスワミ・ジたちから聞いて知りました。
ほとんどの人が、一度生まれて、死んだらそれでおしまいだと思っているのでしょうか。
それなら、何のために生まれてくるのでしょう。
自分の欲望を充たすために生まれて来たとしたら、それが叶えば幸運だし、
叶わなかったら失敗の人生と言うわけです。
それで1回きりの生ならば、まるで人生はギャンブルです。
わたしも以前(ヨーガを始める前)は、自分の願望(欲望)を達成するために努力し、
それを叶えることが生きることだと思っていました。
でも、どんなに頑張ってもそれは叶うことはありませんでした。
叶っても、すぐにまた変化するからです。
一度到達しても、また更に上を目指して頑張るのです。
転げ落ちたりしたら大変と思っていました。
達成の喜びのあとはすぐに、それを失うまいとする恐れが待っていました。
その繰り返しに神経を擦り減らして、生きることがとても辛くなっていきました。
「魂」が人の本質であって、生まれ変わりを繰り返していつかは本性を悟る、
それが生まれてきた理由と知れば、生き方は変わるのです。