はるはあけぼの ヨガDiary

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無私は神様 

 世界はあなたや私の助けなど待っていません。
 それでもわれわれは、働いて絶えず善を行わなければならないのです。
 それがわれわれ自身へのお恵みなのですから。
 それが、われわれが完全になるための唯一の道なのです。
 われわれが助けた乞食で、たとえ1セントでもわれわれに借りのある者は一人もおりません。
 一切のことについて、われわれの方が彼に負うところがあるのです。
 なぜなら彼がわれわれに、彼に向かって慈善を行うことを許したのですから。
 自分は世界に向かって慈善を行った、とか、行うことができる、とか思うのは、
 または自分はこれこれの人々を助けた、などと思うのは、完全な間違いです。
 それは愚かな考えであり、すべての愚かな考えは不幸をもたらします。
                                  スワミ・ヴィヴェーカーナンダ「カルマ・ヨーガ」より



今日、日本ヴェーダーンタ協会の逗子例会に、横浜寿町でホームレスの支援を行っている、
近藤昇さんがみえ、支援活動について話をされました。
2年前から、協会は「ナラ・ナーラーヤナ活動」というホームレス支援活動を始めました。
近藤さんが行っている、寿町の公園でのホームレスへの給食支援活動「炊き出しの会」へ
人的+物資の協力をする活動です。

近藤さんの話の前に、協会のスワミ・メダサーナンダ・ジから、
協会が行っている「ナラ・ナーラーヤナ活動」は、赤十字やライオンズクラブなどが行っている
社会的奉仕とは違うという話がありました。
協会の奉仕は、神様のお世話をする霊的奉仕だということです。
霊的奉仕には二つあって、一つは寺院に祭壇を造り神様をお祭りして、花や供物を捧げ祈る行為。
もう一つは、社会的弱者を神様と見てお世話をするものです。
ホームレスであれば、お香や花はいらない代わりに、食事や衣類を与える(お供えする)ことが、
神様のお世話になり、私たちの霊的実践、心の浄化になるのだそうです。
この霊的実践は非利己的行為で、スワミ・ヴィヴェーカーナンダはそれを「無私は神様」と言ったそうです。


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さて、近藤さんが行っている仕事は、大きく分けて二つです。
一つは、24年前に寿町に来た時から始めた、
日雇い労働者組合の活動。
日雇い労働とは、日々雇用されて日々解雇される職業です。
建築現場の初期的労働力(現場の基礎造りなど)です。
住まいは主に寿町にある、ドヤと呼ばれる簡易宿泊施設です。
その人たちの賃金不払いや不利な労働などの、
雇用を守る支援をする仕事です。
しかし、1990年代のバブル崩壊後、日雇い雇用はほとんどなくなり、
路上生活者つまりホームレスが急速に増えたのだそうです。
そして、近藤さんのもう一つの活動である「炊き出しの会」は、
1993年に寿町の老人クラブ「くぬぎの会」が
増えるホームレスを見かねて
炊き出し給食をしようと始めたものが発展したものだそうです。
給食は毎週金曜日の1回です。
週1回なのは、就労意欲を持っていて欲しいから、
依存を防ぐ意味でだそうです。
先週の給食は650食、今週はおそらく700食を超えるだろうと話していました。
ただし、食事は一人1食ではなく、何回並んでもいいのです。

このあと、恐ろしい話しが二つありました。
まず、バブル崩壊後ほとんどなかった仕事が、昨年の3.11以降急に増えたそうです。
それは、福島の原発の事故処理に関わる仕事です。
大手ゼネコンが斡旋に来ると、命に係わる仕事とわかっていても、
お金が入るならと行く人が多いのだそうです。
放射能は7ミリシーベルト以上浴びると、100%死ぬそうです。
福島には10ミリシーベルト前後ある場所の仕事があり、係累の薄いホームレスは仕事に行くのだそうです。
路上生活よりはいい、死ぬといっても今すぐではないから、という理由で。
日当7万円になる危険地帯の仕事もあり、これは確実に被爆するそうです。

そして、もう一つの恐ろしいことは、子供たちによるホームレスの襲撃です。
路上生活者は「怠け者」と、近藤さんたちの炊き出しの活動が「怠け者支援」と言われることもあるそうです。
でも、近藤さんはこう話されました。
バブル崩壊(リーマンショックもありましたね)後、今まで一生懸命会社のために
家族のために働いてきた。
それが、或る日リストラとして解雇されてしまう。
新たな仕事が見つからず、所持金が尽きたらホームレスになるしかないのです。
家のローンがあればそれは手放さざるを得ないわけです。
日雇い雇用があったら、ドヤと呼ばれる簡易宿泊所に泊まれるのですが、
雇用がない今は路上生活者は増える一方です。
誰も好んで路上で生活しているのではありません。
それを、行政は「公園を占拠している」と立ち退かせ、「怠け者」と呼ぶのです。
そのようなホームレスへの対応を見ている子供たちが、
公園で寝ているホームレスに石を投げる、暴行を加えるなどの襲撃をするという話を
近藤さんの口から聞いた時、とても恐ろしく悲しくなりました。
最近も、暴行を加えて殺してしまったホームレスを公園のゴミ箱に捨て、
「ゴミを排除してやった。いいことをしたのだ。」と、加害者の子供たちが言った事件があったそうです。

「炊き出しのない日が来るように」と、「でも自分ももう若くないから、活動をしなくていい日が来るまで
これがつながっていくように」、と締めくくられました。

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このホームレスの現状を沢山の人たちに知って欲しいので、
1回でもいいから活動に参加して欲しい、沢山の場で話をしているとのことです。
人間の生きる基本は、≪仕事・食事・住居≫であるけれど、これが充たされない状況でありながら、
それをあきらかにしようとしない社会であるという現状。
現在、ホームレスの数は全国で万単位だそうです。
今日の話しを伺って、いつ誰がホームレスになってもおかしくない社会であると感じました。

協会のナラ・ナーラーヤナ活動について知りたい方はこちらから


 われわれは誰かを助けたと思うから、その人が自分に感謝することを期待します。
 そして彼が感謝しないというので、不幸になるのです。
 なぜ、自分がすることに対して、お返しに何かを期待しなければならないのですか。
 あなたが助ける相手に感謝をし、彼を神と思いなさい。
 われわれの仲間を助けることによって神を礼拝することを許されるのは、大きな特典ではありませんか。
 もし、われわれがほんとうに無執着であったなら、空しい期待という、
 すべてのこの苦痛を逃れ、この世で快活に、善い働きをすることができるでしょう。
 執着なしに行われた仕事を通じては決して、不快や不幸はやって来ません。
 世界は永遠に、それの幸福および不幸を抱えて行きつづけるでしょう。
                             スワミ・ヴィヴェーカーナンダ「カルマ・ヨーガ」より

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by haru-ha-akebono | 2012-05-21 00:21 | 炊き出しの会のこと