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はるはあけぼの ヨガDiary

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ヨーガとは生き方~心に浮かぶ波の活動を止めること

ゴールデン・ウィークに行った広島ヨガピースの時の坐学の聖典「ヨーガスートラ」を、
もう一度詳細に読む機会を持つことになりました。
読んでいますと、ヨガピースで講義をしてくれたマタジ、
インドはリシケシのパラマト・ニケタンからいらした女性スワミのお顔が度々思い出されました。

マタジは、スワミ・サダヴィ・アバ・サラスワティというお名前の女性のお坊さんです。
時折見せる、ニコッと言うよりはニカッとして見える笑顔が印象的で、気さくな雰囲気の女性です。
60歳は超えているようですが、ヨーガアーサナをする時はとても動きが機敏で力強く、
こちらはついていくのに息切れがするほどでした。
マタジは、結婚をし3人のお子さんを儲けたあとに出家したそうです。
20代の時に重い腎臓病を治すために始めたヨーガ・アーサナが
ヨーギ二ーとしての扉をひらいた、とおしゃっていました。
その重症の腎臓病は7~8ヶ月で治り、今もアーサナは続けておられるとか。
マタジのお母さまがカルマ・ヨーギニー(愛情深い主婦であり母親だった)で、
マタジは子供の時から義務やヤマ・ニヤマを果たすことは当たり前だったそうです。
サンニャシンとして生きるプランはいつから?という質問に「不明」との答え。
わたしは、「なぜパラマト・二ケタンを選ばれたのですか?」と質問をしました。
パラマト・ニケタンはリシケシでは一番大きなアシュラムで、シバナンダ・アシュラムの対岸、
スワルガ・アシュラムにあります。
大きな庭に、美しいとも派手とも見える神様の像が其処此処に置かれた、
ちょっと遊園地みたいな僧院で、何度か訪れたことがあります。
アシュラムの正門前には、ガンガーの中に出島があって、大きくて立派なシヴァ神が浮かんでいます。

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マタジは、ニカッと笑ってこう答えたのです。
「自分で、パラマト・ニケタンで出家しようなどと決めたのではありません。」
それは自然な導きだった、自分で決めたことなど何もなかった、そのようなお答えが続きました。
マタジのモナリザ風の微笑は、『何でも自分が決めている』、と思っている現代的思考の
私を初めとする現代人に向けられたのでしょう!?
その通りだな・・・、何もかも自分が決めていることなど無いのだ・・・・。
リシケシにいると、そのような考えが自然で当たり前になるのですが、
この時はマタジにサンニャシンになった動機を伺ってみたくて、
そのアシュラムの僧侶になった理由を知りたくて、率直に尋ねたのです。

マタジの「ヨーガスートラ」を読んでいますと、二元性を超える話しが何度か出てきます。
これはヴェーダの教えも同じで、好き嫌いや善悪などの相反する感情や評価を超えていくのが
ヨーガの修行の一つなのです。
どんなにポジティブなことでも、そのポジがある限りネガティブは存在します。
好きとか気持ちがいいということは、一見良さそうに思えますが、
その裏には、嫌いや不快が潜んでいるのです。
つまりポジティブな事柄でも、エゴには違いありません。
そのエゴをいかにしてなくして、心の波を静かにするか?
好きも快感も無くしていくか・・・。
その方法が、「ヨーガスートラ」には事細かに書いてあるのです。
広島ヨガピースの講義は初心者向けでしたから、内容はそう深くはありませんでした。
でも、あらためてマタジの正統なヨーギニーとしての生き方を思い出し、
わたしのチッタ(心)のヴリッティ(波)はわずかですが静まったのです。

「ヨーガは生き方・Yoga is way of Lifeと思えば、日常でヨーガを実践するのは簡単です」
                                                マタジからの言葉



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by haru-ha-akebono | 2012-06-13 00:32 | わたしは誰か?Who am I?