人気ブログランキング | 話題のタグを見る

はるはあけぼの ヨガDiary

haru2918.exblog.jp
ブログトップ

マントラ~障害を持つ子供たちの臨床美術の会

先週の土曜日、重度重複障害児童、健常児童、そしてその親御さんを対象とした
臨床美術の会がありました。
数年前から毎年夏に行われているのですが、今年は参加者さんが37名、
臨床美術士が25、6名の大きな会となりました。
春には日程が決まっていて、サブ臨床美術士として参加をさせていただこうと決めていました。
何度かチャンスがあったのですが、体調を崩したりアクシデントが起こったりして
スタッフ参加を見送ってきたのです。
今年の制作カリキュラムは粘土を使った立体、「土偶」です。
肢体不自由のお子さんが立体を創ることが出来るのか、
主宰したグループでは随分と検討されたようですが、
「指跡一つでも、その子の作品である」と、このテーマに決定したそうです。
マントラ~障害を持つ子供たちの臨床美術の会_b0237103_014474.jpg

わたしは、日頃は高齢者通所施設での臨床美術のお手伝いをしていますので、
臨床美術の現場で子供たちと接する機会がほとんどない上、
重度重複障害を持つお子さん方と、果たして意思の疎通が量れるのか、
当日朝になって、急に不安になりました。
想像もつかないことはやはり不安?
何が自分を不安にさせているのかわかりませんでした。
その時、2年前に行ったリシケシのシヴァナンダ・アシュラムで、
スワミ・アドヴァイタナンダ・ジから言われたことを思い出したのです。

アシュラムを訪れたのは秋のことでした。
以前数人のグループでスワミ・ジに講義を受けたことがあって、
到着した日のサット・サンガの後に、その時のお礼を言い、日本からの小さなお土産を渡しました。
すると幸運にも、スワミ・ジからダルシャン(質疑応答)をしていただけることになったのです。
何日目かの質疑応答の時間に、
「高齢者施設での仕事の時には、心の中で相手のためにお祈りの言葉=マントラを唱えなさい。」
と言われたのです。
「相手にサーブ(奉仕)をする力が大きなものになります、
 相手のためにも貴女自身のためにもいいことです。」
帰国して時折その言葉を思い出しましたが、施設での仕事中はその余裕がなく、
実際にしたことはありませんでした。
この朝、何も出来なくてもお祈りをしよう、と思ったら随分と気持ちが楽になりました。
やはり、臨床美術の時間が始まるとすることが次々とあって、
マントラを唱えることは出来ませんでした。
でも、意識の片隅にはスワミ・ジの言葉があって、わたしを励ましてくれていたのです。

マントラ~障害を持つ子供たちの臨床美術の会_b0237103_0131290.jpg


制作も鑑賞会も終わって、臨床美術士だけの反省会の時、
大勢のスタッフの力で行っていたことがあらためて実感され、
不安になったことは自分の思いあがりだな、と思い至りました。

自分に出来ないことは誰かがしてくれて、
誰かに出来ないことを自分がする。
一人でしているわけではないことを、もっと受け入れよう。
そして、障害があるからとか、子供だからとか、認知症だからとか、
線引きをすることで遠ざけようとしているものは何なのか、自分を点検してみよう。
肢体に障害があっても、言葉を発することが出来なくても、
思いを込めた作品を皆が創ったそのことに、
人の持つ可能性の大きさを感じたのです。
by haru-ha-akebono | 2012-08-13 01:26 | アートの時間