スワミ・ヨーガスワルパナンダ・ジと共に過ごした伊豆のリトリートから帰って、
「荷物は少しで・・・・」という題で記事を書きました。
それから間もなく、家の不用品の整理を始めました。
もうすぐ大掃除の季節だし、と思ってやってみると、これが大変。
長年住んでいる家なので、もう使わないどころか記憶になくなっていた物が沢山ありました。
それらを皆一様に捨てるのではなく、
リサイクルショップに販売を委託したり、男性用の衣類はナーラヤン活動に持って行ったり、
本はブック・オフへと、行き先は様々です。
長年仕舞ってあるために汚れてしまった物は潔くゴミに出しました。
何日もかけて整理をしていますと、
この『物』に、エネルギーを吸い取られるような感じがしてきました。
『物』はタマスです、動かないという点において。
物は用途があって成り立っているはずなのに、
それを購入した動機は、見てきれいだとか、物珍しいとか、魅了されたからとかで、
それによって生まれる所有欲が、その物を『自分の物』にするわけです。
必要性を感じて手に入れたのではない場合、
手に入れたことで満足して忘れられていくのです。
この忘れられていた物は、確かにきれいであるけれど、
自分を一時はその魅力で虜にしたけれど、
あってもなくてもいいものなのです。
なくてはならないなら使っていますし、存在を忘れることはありませんから。
その類の物を目にしていると、とても虚しくなりました。
我がエゴの滞積です。
必要でもない物を所有することで、大事な何かから逃げていた・・・。
自分と向き合うことを避けていた・・・。
一時、違う自分になれたと錯覚していた・・・。
少しの間、痛みや辛さを忘れたかった・・・。
片付けの最中、11月のナーラヤン活動がありました。
その日のことをブログに書きましたが、越年を前に越冬事業の話しが出たのです。
そしてそのすぐ後日、豪奢な漆の工芸品を創る作家の方と会いました。
何万円、何十万円もする品物がどんどん売れていくのです。
この現象界が理不尽なものなのは充分理解しているつもりでも、
その落差に何か釈然としないものを感じていました。
この物質の世界を超えたい・・・・!!