1日に、インド大使館で「バガヴァッド・ギーター」の勉強会がありました。
11月は先生であるスワミ・メダサーナンダ・ジがインドに里帰りされていて、勉強会はお休み。
しばらくぶり、新鮮な気持ちで講義を聴きました。
まず、「バガヴァッド・ギーター」をはじめとするする聖典を学ぶことは、
二つの種類があるとのお話しがありました。
まず、知識として哲学の内容を知りたいという、頭の中だけの勉強。
もう一つは、自分の人生の生活・目的として、哲学の内容を実践する学習。
聖典を実践することはとても面白く、安定した生活と智慧を得られるが、
突然に結果は出ない。
これはトレッキングと同じで、少し進んでは時々滑落し(堕落し)、また登っては進む、
という苦闘の連続いですが、他に楽な道はなく、方法はこれしかないそうです。
何が実践の邪魔をするのか?と言うと、私たちの心です。
わたしたち人間はいつも外の対象に感覚を向けています。
それによって、心はいつも落ち着かない状態になります。
心の中には沢山の欲望があり、感覚による刺激でその欲望が顕れるのだそうです。
ヨーガの識別の実践をしていないと、こういった心の働きに気づかないまま、
感覚に心が惹きつけられ、いつもあちこち彷徨っていなくてはなりません。
欲望の奴隷になって生きることになります。
苦しい・楽しいといった状況と、心は別なのですが、識別をしていかないとそれは分からないままです。
しかし、識別の実践をしていても、心を抑制することは難しい、
でもあきらめてはダメ!前に進む、あきらめずに立ち向かう!!
これが「バガヴァッド・ギーター」の教え。
とても前向き、ポジティブ、というお話しに、勇気づけられました。
実践が難しいのは、堕落したままになるからと言うよりは、
そんな自分はダメだ、とあきらめてしまうからではないかと、スワミ・ジのお話しを聴いていて思いました。
自分は弱い、出来ない、もうやめよう、と思ってしまいがちです。
でも、堕落してもまた立ち上がって、前に進みなさい、生きることは苦闘の連続、修行も苦闘の連続。
戦場を舞台にしているこの聖典の面白さが、段々感じられるようになってきました。