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はるはあけぼの ヨガDiary

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楽しいことは嫌い?

今月の初め、ヴァイオリンの発表会がありました。
始めて8年くらい経ちますが、ちょっとした事情で
発表会を機に、しばらくの間お休みすることにしました。
家の開かずの押入れから古いヴァイオリンが出てこなかったら、
一生弾かなかっただろう憧れの楽器です。
しかし、大人になって始めたのを言い訳に、
上達はしない、と決め込んで、練習もあまり熱心ではありませんでした。
ところが、一年に2回ほどある発表会(1回は年末の、ヴァイオリンを弾いた後にケーキを食べる会)に
毎回来てくれている友人が、
『昨年より音が力強くなった気がする』と言ってくれました。

習い始めて間もなく、先生が『上手に弾く必要はないのよ』と、
音楽は楽しむものだと教えてくれました。
みんながプロの演奏家になるために音楽を学ぶのではなく、
上手く弾くために練習するのではなく、
家族や友人と演奏し楽しむことが『音楽』であると知ったのです。


楽しいことは嫌い?_b0237103_1845586.jpg



わたしは美術の学校を出てデザインの仕事をしたり、
今は誰もが楽しめる美術の現場にかかわっています。
でも、学校時代、絵を描くことが苦手でした。
学校では絵に点数が付けられ、
本物そっくりにデッサン画を描ける人は「優秀」な生徒と言われるからでした。
美術の学校に行きたいと思ったのは、
絵を描くことや、物を創ることが好きで、
学校でもそれをずっとやっていたかったからです。
でも、学校は、プロの絵描きやデザイナーを養成するところで、
美術を楽しむところではありませんでした。

美術や音楽は、とかく仕事に結びつける、つまりプロになるものだという
固定観念が蔓延していることに気が付いたのは、
ヴァイオリンの先生の言葉を聞いた時でした。
自分の思考の中にも、その観念は育っていました。

音楽も美術も、誰もが楽しむためにあり、
上手・下手は関係ないものだと思います。
何かをクリエイトすることは、楽しむことは、
人間の生きる力を生み出すのではないでしょうか。
その中で、プロになる人は自然になるでしょう。
「稼げないから、そんなものは子供にやらせない」
と言った方がいます。
でも、そうじゃなくて・・・・・。


高齢者施設での、誰もが楽しめる造形のプログラムの時間に
お手伝いに行くようになってから5年が経ち、息苦しさを感じるようになりました。
「プログラム」という制約は描くきっかけには必要ですから問題はそこではありません。
施設で造形を提供する側から参加する方々への、ある種「上から目線」や、
このプログラムを実施するための人を養成する際に作られた
「級」という制度を盾に、同業者の中で上下関係を作り出している現状に、
疑問を抱くようになったのです。
「級」が上になったらと言って、感性まで一緒に上になるわけではありません。
これはセンスを常に磨く努力が必要です。
そして、「級」が設けられる理由は、養成校にお金が入るという事情も絡んでいます。

また、「プログラムを滞りなくこなせればいい」という気配。
それはアートプログラムを提供する側の勝手な都合であって、
絵を描く側の気持ちや、それを行う目的は無視されているわけです。
施設には様々な制約があって、
プログラムを実施させてもらうためには、
「滞りない」ことや、施設の規則に従わなくてはならないのですが、
肝心の参加者の方々の心が置き去りにされているのでは、本末転倒です。
高齢者施設で行われている、
お仕着せの手工芸に疑問があって始まったこのアートプログラムも、
見せかけだけのものになってしまうのです。

そこに在る人の気持ちより、
実施する側の規則や時間、お金や肩書を大事にすると、
クリエイティブなことからは遠ざかってしまうのです。
みんな、楽しむのが嫌いなのかな?



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by haru-ha-akebono | 2014-08-15 18:02 | アートの時間