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はるはあけぼの ヨガDiary

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反対のことを考える

異国にて、ある時、無意識に行っていました。
“今、ネガティブな感情が広がっていたら、
その反対のことを考える・・・。”
これは、『プラティパクシャ・バーヴァナ―』と言われる実践で、
「ヨーガスートラ」で有名なパタンジャリがそう呼んでいました。
滞在も後半、毎日がネガティブな思いに支配されていた時、
急に“反対のことを考えよう”と思いつき、トライしてみました。
大成功!!
気持ちが急速に楽に、ポジティブになっていきました。

帰国して間もなく、
インド大使館で行われている「バガヴァッド・ギーター」の勉強会に行きました。
その時、この『プラティパクシャ・バーヴァナ―』のことが話に出たのです。
以前も同じスワミジの講話でこの方法について聞いたことがありますが、
一つの技法の話、として聞いていたのです。
異国で実践してみた経験者の自分は、聖典や聖者の残したものは
やはり真実なのだと、この日痛感していました。

何か、もっと日常からかけ離れた聖典の話が高尚のように捉えている方がいます。
何年も、インド哲学やヨーガの勉強を続けてきた人に多い気がします。
(偏見かもしれませんが。)
一年に一回、少し難しいテーマのリトリートがあったとします。
私も参加したことがあります。
さて、その講話が、リトリートが終わって家に帰って、役に立っているのでしょうか?
何泊かして、集中的に瞑想に取り組んだとして、家に帰ってもずっと続けているのでしょうか?
聖典は、学んで、自分の生き方に結果として現れなければ単なる学問です。
瞑想も、毎日続けなくては意味がないのです。
数日、日常とかけ離れたことを学ぶためにお金と時間を使って、
それで終わりなら、それはリゾート、気晴らしに過ぎません。
気晴らしでも全く構わないのですが、本人は何か霊的なレベルが上がったと錯覚していると、
それはマーヤーの覆いが厚くなっていることで、目標が一層遠のいてしまいます。

すぐに実践できることから始め、徐々にそれを増やしていけば、
確実に心は清らかになり、マーヤーの束縛が薄くなっていくことでしょう。




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by haru-ha-akebono | 2015-04-11 00:16 | 聖典を学ぶ