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はるはあけぼの ヨガDiary

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二元性を超える

「好き・嫌い」・・・久しく忘れていた言葉でした。
しかし、人の行動の多くをこの感情が決めているのではないでしょうか。
先日、「好き嫌い etc を少なくして云々」というお便りをいただきました。
私よりもずっと高い修行をされてる方からです。
好き・嫌い、良い・悪い、といったものは修行の邪魔になります。
当たり前のことが書いてあるな、と思い、すぐに
「どうしたら好き嫌いを少なく出来るの?」と思いました。
そこには言及していませんでした。

好き・嫌いの源は、自分への愛ではないでしょうか?
自分の体や心、と私たちは一々意識していませんが、
これが自分の本質であると思っていて、
それを何かによって浸食される、またはされそうになると危機を感じます。
その時、「嫌い」や「怒り」、「怖れ」といった感情が生まれます。
反対に、自分の体や心を心地よくしてくれるものは「好き」になるのです。
例えば、お世辞だって、褒められれば嬉しいものです。
自分への愛が満たされるわけですから。
この満たされた愛が壊れそうになると、人はそこに執着します。
自分の心地よさを失いたくないからです。
もし失われたら、怒りや悲しみが出現するでしょう。
その強弱の度合いは、自分への愛の強さによるのでしょう。

さて、「執着」と言いましたが、「心や体は自分」という誤った認識がある限り、
これは存在し続けます。
執着とは、無くなる恐れがあるものに対して抱く感情です。
肉体や心はいずれ無くなるもの、永遠ではありません。
寿命が尽きたら、それらは無くなるとわかっているから、
しがみつく、執着するのです。
もし、永遠のものがこの世にあるとしたら、執着は起きないのではないでしょうか。
ヴェーダーンタ哲学では、人の本性は「アートマン」だと説いています。
永遠に変わらない、死ぬことも生まれることもない存在。
私たちの肉体と心の背後には、このアートマンがいます。

このアートマンは、宇宙の意識であるブラフマンの反射なのですが、
大元のこのブラフマンから見たら、
人間の「自分への愛」なんて、幻のレベルです。
話は急に飛躍するのですが、
そうしたら、嫌いも好きもなくなります。
人間を含むすべての命あるものは、このブラフマンの中にあるのです。
無くならない、永遠に光輝く存在と言われるものの一部なら、
失うものは何も無いのだから、好きだの嫌いだのはどうでも良くなります。

このような図式を意識して、頭に描いて、瞑想してみることを繰り返すと、
執着は徐々に薄れていくと言われています。
唯、体・心意識はとっても強いそうです。
何世も生まれ変わってきたから、その思いを強く信じ込んでいるのです。
だから、「自分の本質は体でも心でもない」と、
繰り返し考えた方がいいのです。
やがては、認識の転換が起きる時がくるでしょうから。

「好き・嫌い」の感情は、瞑想の邪魔になります。
この感情を無くすために、「自分は肉体でも心でもない」と瞑想をするのに、
その感情が瞑想の邪魔をするなんて・・・。
どうやってすればいいのでしょうか?
まず、「好き・嫌い」の思いが瞑想中に湧いたら、それと闘わないことです。
放っておくと、流れて行ってしまいます。
しかし、根絶しないと、いつもやって来ては去って行くので、
執着を手放す実践、「自分はアートマンである」と、毎日内省をしましょう。
やがて、二つの対立する感情(実は一つの感情の表裏なのです)は減って、
平穏が訪れるのです。


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by haru-ha-akebono | 2015-04-25 00:32 | わたしは誰か?Who am I?