この頃ブログに登場しなくなった、リシケシのヨーガの師は、
わたしが、エゴを表す言葉を放つと、とっても嫌な顔をしました。
時には頭を叩かれることもありました。
「I・・・アイネス」、つまり自我というか自分意識は霊性の修行の大敵です。
ヨーガの師はスワミで、ハタ・ヨーガは肉体の制御または浄化のためにやっているので、
様々なポーズ(アーサナ)が出来るからと言って、決して自惚れたりはしませんでした。
「バガヴァッド・ギーター」には、人間の善、美徳について27ほどの性質を挙げています。
これに比して悪い性質はたったの6つ。
この6つの悪が、27の善をすべて滅ぼしてしまう、魔性に堕ちるものだと書かれています。
その中でも、ラーマクリシュナがこれだけは耐えられない、
と言ったのが自惚れです。
これが霊的に人を向上させない最大の障害なのです。
自惚れは人間誰もが持っています。
これがなぜによろしくないのか・・・。
考えてみました。
まず、自分は誰よりも何かに於いて優れている、と思うと、
他者は自分より当然劣っていると考えるでしょう。
これが自動的に意識の中で行われます。
すると、その他者を庇護、擁護しなくてはならないと考え、行動します。
しかし、これは全くの優越感に過ぎません。
その時、そこには支配と服従という関係が生まれます。
相手がそれを望んだならともかく、
そうでなければ、そんなことは全くして欲しくないでしょう。
相手は服従したくはないのですから、ここでその関係には不和が生じます。
しかし、被支配者の方が、何かに強いコンプレックスを持っていると、
この関係が成立してしまうこともあります。
また、優しさと支配を混同してしまう人もいます。
自惚れが肥大してくると、自分は一人の支配者から多くの人の支配になった、
もっと進むと自分は神だと、錯覚をおこすこともあります。
本来、人間同士は対等、平等と言われているのに、
実はそうではありません。
一般社会はこの支配と服従で成り立っています。
でも、霊性の世界にこれはあってはならない、霊(魂)は一つなのですから。
霊性の探究をする人たちの中で多いのが、難しい哲学の本を沢山読んだ、
英語で原書を読んだ、と言って自惚れるケースです。
でも、以前書きましたように、本を読んだだけでは、人間何も変わりません。
本に書いてあることを実践しなくては、唯の読書なのです。
自惚れを無くすため、カルマ・ヨーガがあります。
社会生活では弱者とされる、ホームレスや障害者、被災者などの手助けをします。
でも、これを「お世話をする機会を与えて貰って感謝する」気持ちで行うのです。
これには、大きな努力が必要です。
真剣に探究、道を歩く人は、自分をしっかりと見張っていなくてはなりません。