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はるはあけぼの ヨガDiary

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カテゴリ:シャクティの力( 65 )

聖なる幾何学図形

南インドのブーミナーテシュワラ寺院を訪れた時、
その広く薄暗い内部の天井の一角に、シュリー・チャクラが描かれているのを見ました。
ブーミナーテシュワラ寺院は、
シュリー・ラマナ・マハルシの生まれた家のすぐ近くにある古い寺院です。
大地の神ブーミナータと、サハーヤヴァリ女神を祭ってあると言う寺院は、
何処までも奥へ続くように広大に感じられました。
案内をしてくださった司祭が、そのシュリー・チャクラを指し示してくれた時、
非二元を説くラマナ・マハルシの旅に現れた二元=タントラの象徴に、
正直驚きました。
と同時に、暗闇に浮かぶその美しい図形を見て、
「シヴァとシャクティ・・・!」と胸のうちでつぶやいていました。
ラマナの説く非二元とは、
「シヴァとシャクティは二つにあらず」という意味だと勝手に解釈したのです。


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6月、しばらくお休みしていたヨーガ塾の瞑想クラスに参加しました。
その時はヨーガ・ニドラー(横になって行う瞑想)で、ぐっすり眠ってしまったのですが、
先週受けた『5つの鞘の瞑想』は、身体の空間と鞘(コーシャ)をイメージする瞑想で、
この身体内の空間をイメージすることが、わたしにはとても心地良いものでした。
一昨年、左手を骨折して以来、体の左側に不調が出やすく、
6月は特に不調だったのですが、
瞑想前のアーサナの時間に、先生がおしゃった言葉にヒントを得て、
昨夜眠る前に、身体の中に光が充満していることをイメージしてみました。
『この身体はエネルギーに満ちている・・・』
今日も、自分でアーサナをする時に、
身体内のエネルギーを光としてイメージしてみました。
すると、終わりの頃には、身体内を温かいエネルギーが満たし、
肉体という枠を超えて流れている、解放されているのが感じられました。

このエネルギー、シャクティがなければ、まばたき一つも出来ない、とタントラは言います。
肉体の筋肉をいくら鍛えても、
エネルギー(ヨーガではプラーナと言います)がなければ、
身体は、動かないただの肉と骨で出来た躯(むくろ)に過ぎません。
では、そのエネルギーは何処からやって来るのか?
普通は誰も考えてみないし、言いません。
ハタ・ヨーガ(身体を使うヨーガ)が、
単なる筋肉の曲げ伸ばしで、美容や健康が目的の体操なら、
5000年の時を経て、世界中に広まることはなかったでしょう。
『自分は今、無限のエネルギーと交流している』
そう思ってアーサナや瞑想を行う時、
肉体は限定を超えて、あらゆることを内包するシュリー・チャクラになる・・・。



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by haru-ha-akebono | 2013-07-20 00:57 | シャクティの力

ヴィヴェーカーナンダロック 2

ヴィヴェーカーナンダロックのことをブログに書いたら、
ナーラーヤナ活動のときに話題になりました。
もう30年も前に、どんな風にしてカニャクマリまで行ったのか、
一緒に昼食を摂った参加者の方たちから聞かれました。
その時、カメラは持って行きましたがほとんど撮らず、
ましてそんな有名な岩だとは知りませんので、
手元には入場の時のパンフレットしか残っていません。

ヴィーヴェーカーナンダロックで検索していたら、
とても綺麗な写真を見つけました。
by haru-ha-akebono | 2013-05-28 00:24 | シャクティの力

まず実践的であること

ヴィヴェーカーナンダ・ロックのことを書いたので、
再びヴィヴェーカーナンダについて書くことにします。
岩の話を書いた後に、日本ヴェーダーンタ協会のホームページを見たら、
6月の生誕祝賀会のことがアップされていました。

5年前の6月、まだインド大使館が新築中で、豊島公会堂で
ヴィヴェーカーナンダ生誕祝賀会が催されました。
当時通っていたヨーガ教室の掲示板にこのお知らせが貼られていて、
スワミ・ジの素敵なお姿のチラシに惹かれて行ってみました。
公会堂は古いために薄暗くて決してきれいではありません。
しかし、その会のなんとも言えないサットワな雰囲気に、
前年に初めて行った、リシケシのディヴァイン・ライフ・ソサエティを思い出しました。
どこから溢れてくるのか分からない、静謐な清らかな空気。
このような印象が、人(わたし)の中の良くない印象を消していくのでしょう。
そういうことを理解出来るようになったのはもう少し後ですが。

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さきほど、ヴィヴェーカーナンダの「カルマ・ヨーガ」をパラパラと読んでいました。
以前、ある小さな集まり(サット・サンガ)で、ご自分の身近の問題を話された方がいました。
もし、その方がスワミ・ジのこの本を読んだら、
気持ちが楽になったのでは?と思います。
日常生活にあまり実践的ではない知識のヨーガは、
今まさに混乱の只中にいる人にはピンとこないと思います。
また、知識のヨーガの識別を実生活に活かせるには、かなりの訓練が必要だと思います。
「只中にいると、聖典に書いてあるようなことを実践は出来ない」と意見を言う方がいましたが、
そんなことを言っていたら、いつになっても自由にはなれません。
生きることは、楽しい時間はほんのわずか、いつも何らかの困難、
つまり自分にとって望ましくないことが後から後から起きてくるものなのですから。
しかし、苦しみがなかったら、人は決してアートマンを希求したりはしないでしょう。
スワミ・ヴィヴェーカナンダの言葉はとても実践的で、簡潔、そして勇気と力を与えてくれます。
しかも、随所に至高のエッセンスがちりばめられているのです。

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さて余談ですが、
リシケシに行くためにデリーに到着すると、
翌朝まず行くのがラーマクリシュナ・ミッションです。
よく泊まるパハールガンジーのホテルの近くにあります。
運が良いと、聖所の中の祭壇が開いていますし、
閉まっていても聖所で座っている信者さんが沢山います。
新年に行った時、書籍売り場にあったヴィヴェーカーナンダのカレンダーを
買おうかどうしようか迷って、本を見ているうちに忘れてきたのが、
今も思い出す悔いの一つなのです。
by haru-ha-akebono | 2013-05-12 00:43 | シャクティの力

痛みはあなたの教師

リシケシのディヴァイン・ライフ・ソサエティを創設したスワミ・シヴァナンダは、
『痛みはあなたの敵ではない
 それは、神からの使者だ
 それは、目を開かせる、沈黙の教師だ』
このような言葉を残した。

昨日、グルディブ・スワミ・シヴァナンダの一番若い直弟子スワミ・サッテャーナンダの
講演集から、「スワミ・シヴァナンダ~聖人そして聖師(グル)」を読んだ。
以前通っていたヨーガ教室の先生が訳してくださったもの。

その中に、
『苦痛は自然が人間に投げつける厳しい試練だ、・・・』
サッテャーナンダはこのようにグルディブから言われたと言っている。
そして、サッテャーナンダはこう続ける。
『あなたが苦痛で苦しむ時、それが肉体的であれ感情的であれ、
 金銭や所有物、愛、嫌悪、敵意に関することであれ、
 あるいはあなたが気づかないことであれ、それらの苦痛はあなたが超人に変容し、
 その型に投じられるまさにその時、自然によって授与されるのだ。』

更に、マーヤーの強さの話は続く。
 安全なのはジーヴァン・ムクタ(解脱した魂)だけ。
 そうでなければ、高度に進歩した人であっても、
 熱情や執着、あらゆる種類の事柄に直面しなければならない。
『あなたがたは、自身の瞑想の霊的成果にだまされるべきではない。』

それほどに、マーヤーの力は強いのだ。
スワミ・サッテャーナンダはグルディブの下でカルマ・ヨーガを続けている、
その只中で解脱をする。
これは悟った人の経験した話である。

霊性の道を行こうと瞑想などを始め、怖い思いをした時は警戒をするだろう。
でも、美しいヴィジョンや知覚を得た時は、
『これが純粋意識だ』などと思う。
しかし、それもマーヤーに違いない。
自然が仕掛けたその美しさの虜になることだってあるのだ。
美しさの陰に潜む微かな妖しさを感じ取らないと、
そこに束縛されてしまう。
そのことに、気づかなくては!!


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             グルディブの大切にしたシュリー・クリシュナ
by haru-ha-akebono | 2013-05-02 23:51 | シャクティの力

人を惑わす宇宙の力

「シッダルータ」の再読が、同じ作家の「インドの履歴書」という小説に引き合わせてくれた。
これも舞台はインド、主人公ダーサが辿る人生の天国と地獄。
幼少期に、森の中で出会ったヨーギに心を惹かれ、
後々、その師の弟子となる。
転変する人生は、マーヤーであると師が見せてくれる場面が凄い。
一大絵巻物のよう。
スワミ・ヴィヴェーカーナンダの「ギャーナ・ヨーガ」の中に書かれた、
ナーラダが見るマーヤーを思い出した。

事象は唯起こっているだけで、それを見る者の心が創り出す幻惑を
わたしたちは実際に外側に起きていると錯覚をする。
努力で登り坂の人生になったと思う。しかし、それは自分の努力の結果ではなく、
大きな力の遊びなのだ。
だから、あっけなく壊れたりもする。
それは、誰かの責任ではなく、やはり大きな力の戯れなのだ。
ダーサの場合、王子から牧童に、そして王に、やがて捕らわれの身に、
と天国から奈落へ、を繰り返す。

『もうこんな苦しみは終らせたい』と思った時、
子供時代に出逢い憧れたヨーギは、自分の導師となる。
輪廻というものの捕らわれの身であったダーサは、自由を手に入れる修行者となるのだ。

作家の描くマーヤーのめくるめく恐ろしさと美しさ。
生きることの真の意味と目的は何か、それを理解することが出来る。



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by haru-ha-akebono | 2013-04-21 23:47 | シャクティの力

カーリー・プージャ

13日の夜、逗子にある日本ヴェーダーンタ協会(ラーマクリシュナミッション日本支部)で、
カーリー・プージャが行われました。
儀式は午後7時から10時頃まででしたが、インドでは、翌朝の4時頃まで儀式は行われるそうです。
プージャのあとにホーマがありました。
プージャとは礼拝のこと。
数名でほら貝を吹き、
協会長のスワミ・メダサーナンダ・ジが印(ムドラー)を結びながらマントラを唱えます。
その終わりには、参加者全員で祭壇に献花(プシュパンジャリ)をしました。

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少しの休憩のあとに、ホーマが始まりました。
ホーマは日本で護摩炊き(護摩とはホーマからきています)と言われるもので、
祈祷とか祈願の行為。
井桁に組んだ木に火をくべていきます。

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儀式の済んだ後のプラサード(お供物のお下がりをいただく夕食)の給仕のボランティアをするため、
ホーマが終わらないうちにキッチンの方へ行きました。
あとで聞いたところでは、参加者は140人ほどだったそうです。
夜の食事なので、主食はインドのおかゆ=キチュリです。

カーリーは恐ろしい顔の女神さまです。
でも、これはシヴァ神の妻パールバティの別な姿なのです。
3つの目と4本の手を持ち、黒い皮膚をして、片手の一つの手で生首を持っています。
カーリーは創造、保持、破壊、を表しています。
偉大な宇宙エネルギー、シャクティ。
聖者ラーマクリシュナの愛した母、マー・カーリーです。

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            布に描かれたカーリーの像 






 
by haru-ha-akebono | 2012-11-14 23:55 | シャクティの力

キールタンとインド舞踊のこと

今日から10月。
間もなく、インド・リシケシのシヴァナンダ・アシュラム=デヴァイン・ライフ・ソサエティから、
副総長のヨーガスワルパナンダ・ジが来日され、各地でリトリートが行われます。
わたしも、知人のヨーガ教室の2泊3日リトリートに参加させてもらうことになりました。

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  歩く太陽と呼ばれているスワミ・ヨーガスワルパナンダ・ジ

一昨日は、そこのスタッフの女性とカラオケボックスに行って、キールタンの練習をしました。
夜のサット・サンガで歌うキールタンの練習や進行の打ち合わせをしたのです。
日本の宗教は、お経は唱えますが、歌を歌うということはあまりないようです。
詳しい実情は分からないので、断言は出来ないのですが。
キリスト教は賛美歌がありますね。
キールタンはインド版賛美歌と言われますが、
もっとドンチャラとにぎやかです。
太鼓や、ハルモニュウムという鍵盤楽器を使いながら、歌います。
歌う人が一つの節なり区切りを歌い、そこをもう一度、参加して居合わせてる人全員で歌うのです。

ディヴァイン・ライフ・ソサエティでは、毎夕方、
グルディブ・スワミ・シヴァナンダ・ジのお住まいだった場所でキールタンの会があります。
リシケシ滞在中、よく通っていました。
時に、リードを歌わせてもらうこともありました。
アシュラムには、キールタンや楽器を習うことが出来る音楽教室もあるのです。
でも、ここの前総長だったスワミ・チダナンダ・ジがマハ・サマーディ(入滅)に入られた後のセレモニーでは、
歌われるキールタンや伴奏のエキサイト振りがすごくて、
もしやこれが本当のキールタンでは!?と思いました。


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 そのセレモニー 中央の白い服の男性が首から下げているのが、ドーラクという太鼓


それから、泊りがけのリトリートには私がヨーガを始めた教室の講師をしていた方が参加されることになり、
しばらくぶりの再会に心がトキメイテいるのです。
彼女はヨーガの先生以外に、人形使い(パペッター)という仕事や、
バラタナティヤムというインド舞踊もしているのです。
リトリートの最後の日、スワミジに奉納の舞いをすることになっています。
それもとても楽しみです。
キールタンも舞踊も、シャクティの顕れですね。



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 女性の弾いている鍵盤楽器がハルモニウム
by haru-ha-akebono | 2012-10-01 00:53 | シャクティの力

シヴァのダンス

自分にとって望ましくない不快な出来事が、
自分の行く道を指し示し、そこへと押し出してくれた。
すべての出来事は、コインの裏と表のように二つの側面がある。

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by haru-ha-akebono | 2012-09-11 00:01 | シャクティの力

女神 シャクティは踊る

毎日、いろんなことが起きています。
何かが起こると、つい、自分にとってそれが善い悪い、幸せ不幸せ、と審判をすることが先で、
「起こる」というそのことにはあまり関心が向かないのではないでしょうか。
「起こる」という自然には、気がつかないことが多いのです。

人間はマーヤーに惑わされているうちは無智で愚かです。
深刻に考えていることも、少し離れて見てみると、過去にしがみつく執着心が原因だったり、
いくつもの事柄が一つに絡まって、大きくなっているだけだったりします。

また、問題の中の他人は・・・こちらの価値観と大きくかけ離れた行為をするから非常識者だったり、
えげつない人だったりしますが、自分も価値観が違う他人から見たら、愚か者なのです。
一生懸命に力を尽くしてしても、他人や自然がそれを破壊する・・・。
幸せを追い求めてもそれは束の間、結局は不幸に変化し、何も手に入らない・・・。
ニヒリストなら、ここでもう救いがありません。
しかし、ヒンドゥー思想には救いがあるのです。
外界に求めてきた幸せと自由は、実は自分の内にあり、それは永遠で不滅という性質のものなのです。

そう、様々に起こることは、わたしたちが真の幸せに目覚めるために用意されたこと。
自分の心が外に求めるものを内側に求め、そこにあると知ったとき、
苦しみに満ちていると思ったこの現象界は
美しい遊園地になる・・・・。
マーヤーはリーラーになるのです。




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by haru-ha-akebono | 2012-09-08 01:15 | シャクティの力

これはシャクティの顕れ~体と心を知る

初めてロルフィングを受けたのは、4年前の冬から初夏にかけてでした。
ロルフィングは治療ではなく、受ける人も参加するボディ・ワークです。
ですから、体に特に気になる症状がなくても受けることは可能です。
15年近い介護が終わって、ホッとしたからか、度々ギックリ腰を起こすようになりました。
介護中は腰痛にはならなかったのですから不思議です。
溜まっている疲れが出ているのか・・・?
中断していたヨーガも、教室にまた通い始めたのですが。
当時ヨーガの指導員の勉強をしていたので、本屋では心身に関する本を見るのが常となっていました。
その時、「ゆるめてリセット・ロルフィング教室」という本に出会ったのです。
これには、自分で出来る範囲のロルフィングのノウハウが書かれています。
そこの巻末に、ロルフィングの施術の紹介が載っていて、
モデルとなっているロルファーさんが、中村直美さんでした。
整体を受けても繰り返す腰痛に、ロルフィングは良さそうに思えました。
また、若くてきれいな中村先生の写真は近寄りがたくなくて、つまり親しみ易くて、
思い切って予約の電話をかけました。
先生はとても明るく元気で、もう腰痛は治る、と思わせるものを感じました。

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ロルフィングは10回で1セットになっています。
その10回を受けると、体は自分で改善することを続けるということで、
よほどのことがない限り、度々通う必要はないのです。
依存性がない施術です。
その後訪れたのは、1年に1回位の割合です。
今年の5月、骨折の後遺症で左の背面全体がまだ硬いと感じ、
中村先生のところを訪れました。
リハビリ的なことは2回ほどで、その後、ヨーガの動きでやりにくくなっていることを中心に
体を見ていただき、使い方を変える、ロルフィング・ムーブメントを受けました。
これは自分で動きながら、ロルフィングを受けるような感じです。
すごく体は楽になり、ヨーガのポーズの動きも骨折後の影響を、ほとんど受けなくなりました。

初めてロルフィングを受けたとき、体は緩み、
ヨーガ教室の人から胴体が細長くなったと言われました。
そして、感情の解放が起こったのです。
長い介護で緊張していたのは、体だけではなく、気持ちもでした。
体が緩むと、心も緩む。
それを体感しました。

それから1年位して、ヨーガ教室で、数回目になるタットワ・シュッディという瞑想を行いました。
その日の夕方、まるであのロルフィングを受けた時のような、心身の解放が起こったのです。
心の解放感と同時に、体の拡大を感じました。
現実には体は大きくはなりませんが、体内の細胞が広がって体全体が緩んでいくのが感じられました。
瞑想実践中は座っているので、これは意識を使って心身が解放されたということなのでしょうか。
体と心は一つ、何処からが体で、何処からが心とは言えないものだと実感しました。
やがて、心身を動かす力、その背後にあるものを感じるようになっていきました。

また、ロルフィングを受けた後は、思考が停止していることに気がつきました。
(ロルフィングはあきらかに、沢山ある他のボディ・ワークとは違っています。)
ヨーガのポーズや瞑想の実践の後も、心身が解放された時は思考がなくなっています。
あれこれ余計な想念は消え、現在ここにある自分、なのです。
肉体と精神と意識とのつながりの不思議さ。
体は単に粗大な物質ではなく、その背後にあるスピリチュアルな世界への入り口なのです。




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by haru-ha-akebono | 2012-08-22 00:28 | シャクティの力