はるはあけぼの ヨガDiary

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からっぽであること

初めてヨーガに触れたのは、バグワン・シュリ・ラジニーシの「存在の詩」という本だった。
なんと自由な世界!!
とっても憧れた。
これはタントラというインドの思想だと、あとから知った。
ハタ・ヨーガを始めて何年かして、ハタ・ヨーガ=体を使うヨーガの背景の思想はタントラだと知った。
でも、タントラをきちんと知る機会がほとんどないまま、長い年月が過ぎた。
アーサナはなんのためにするのだろう?
体が柔らかくなった、難しいポーズが出来るようになった、・・・・。
周囲ではそんな会話が増えた。
でも、それがどうしたと言うのだろうか?
〇〇先生のポーズがきれい、あの先生のアーサナが好き・・・・。
そんな声も聞こえてきた。
でも、それってアイドルに憧れてるみたい。
ヨーガってそんなことなの?
アーサナは単に健康維持のため?
「ヨーガスートラ」のアシュタンガ・ヨーガに書いてあるように、長時間瞑想のために
坐る体を創るため?
そして、この「アシュタンガ・ヨーガ」の中に、最初に出てくるヤマ・ニヤマというもの。
これってなんか馴染めない、そう思った。
あの、「存在の詩」にある、自由な世界は一体どこにあるのだろう?


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ヤマ・ニヤマを実践しようと提唱してる多くの人たちが、実践出来てるのを見たことがない。
徳の高い特別な人は出来るのだろうけれど。
無理に伸ばしたりねじったり、体を痛めつけるようなアーサナをしてる・・・
それって自分への(ア)ヒムサ=暴力を行っているのではないの?
なんだかんだ言って、人が苦労して作ったテキストを無断でコピーしてしまう人・・・
それってアステーヤ=「不盗」を犯してる。
そして、ヤマ・ニヤマを口にしながらそうしたことを行うとき、サティヤ=「真実を話す」をしていない。
なぜそうなってしまうのか?
そこには識別する能力が育っていないから。
識別能力が不十分な人は、ヤマ・ニヤマを実践するのは不可能に近いのだ。

≪もし人格内に調和が育まれていなければ、自己制御や自己規律(ヤマ・ニヤマ)は、心の平和より
 もむしろ闘争を生じさせることでしょう。≫・・・・スワミ・サティヤーナンダ

この現象世界は、すべて『起こる=Happen』ことの連続だ。
それを、人間が頭で考えた規律で押さえつけようとすれば、
そこには『ゆがみ』や『ひずみ』、『憎しみ』や『怒り』が生まれてくる。
ヤマ・ニヤマを口にする人たち特有の、せせこましさやちょっと棘のある眼差しや口調が
それを証明している。

ハタ・ヨーガの背景であるタントラはヤマ・ニヤマとは反対。
全てを肯定している。
起こることには、実は何の意味づけもない。
唯、起こるだけなのだ。
そこに、善悪や幸不幸を持ち込むのは人間のエゴだ。
それに気づいて、見方をひっくり返したら・・・?
悲しみは喜びに、地獄は天国に、変わってしまうのだ。
『見方』を創ってるエゴという存在に気づいたら・・・?
エゴではないわたしが実は真実の自分で、
この現象は大きな存在からの贈り物だと知るだろう。

ハタ・ヨーガの背景であるタントラは体を使い、至高の意識とエネルギーの結合を目指している。


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≪見かけを落としなさい  偽善を落としなさい  
  自分の自然な実存のまわりに培ってきたあらゆるものを落としなさい
  自然になるのだ・・・・・
  からっぽで 自由で そして自然でありなさい 
  それをあなたの生の最も根本的な原理にするといい≫・・・存在の詩(マハームドラーの詩)
                                             シュリ・ラジニーシ タントラを語るより                                  
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by haru-ha-akebono | 2012-05-13 01:02 | シャクティの力

瞑想は具体的な行為です

気づきを伴うアーサナを行うとき、体の奥から開放感があります。
その開放感は、心の開放感につながります。
体と心、そしてもっと深い意識のレベルは一つの全体だと理解できるようになります。
ヨーガは単なる肉体の健康法ではないのです。
そして、瞑想もとても具体的な肉体内の体験をを伴ったものなのです。
瞑想、というと急に退いてしまう人が多いのではないでしょうか?
長いこと坐っているのは、はじめは確かに大変です。

初めて、「タットワシュディの瞑想」を行ったあと、しばらくすると
猛烈に眠くなって、帰宅して昏々と眠りました。
目覚めた時のスカッとした気持ちの良さ!!なんとも言えませんでした。
その後、タットワシュディを行うと、数時間後に肉体の変化が起き、
それと共に心理的開放感を体験しました。
続けるうちに、粗大な変化は少しずつ微細になっていきました。
時間差もなくなっていきました。
(体験は個人個人で違います)

「瞑想」には具体的な技法が必要です。
坐って目を閉じてみると、心に浮かんでくることはネガティブな雑念です。
それをいくら観察しても、どうにもならないし、
悪くするとそこに飲み込まれてしまうこともあります。
人間の意識の領域ははかり知れないものだからです。
そこを甘く見てはなりません。
そして、誰か適切な導き人が必要です。

「瞑想」は、抽象的なことではありません。
心の空想ではないのです。
とても具体的な行為です。
でも、必ず向かう先をはっきりとさせておくことが大事です。
最も高い清らかなものを目指していく・・・・。
そうでないと、ただエゴが強くなったり危険な錯覚状態に陥ったり、
反対に何の効果もないまま時が過ぎるだけで終わってしまいます。
正しく瞑想練習が行われていれば、
日常生活の中での結果は自然に顕れてきますので、
そこ(日常生活でのご利益)を目的=向かう先にしないことです。
唯の教条主義にとどまってしまうからです。


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by haru-ha-akebono | 2012-05-11 12:17 | シャクティの力

5、6月のはるはあけぼのヨーガのお知らせ

はるはあけぼのヨーガの日程です

5月は・・・・18日(金) 23日(水) 31日(木)  10:00~11:45  
       
6月は・・・・ 8日(金) 11日(月) 19日(火)  10:00~11:45 

場所は阿佐ヶ谷地域区民センター  6月8、19日は軽運動室 他は第5和室

1回1000円  ヨガマットかそれに代わる敷物をご持参ください。
そして、食事は2~3時間前に済ませてきてください。
連絡は3日前までにお願いします。   メールまたは090-4745-7441へ。

体の開放感を味わって、気持ちを開放させましょう。
動きをゆっくり行って、体や心の変化に気づきましょう。
体が、心やもっと深い意識とつながっていることが理解できるようになります。
そうすると、自分の生命を肯定できるようになって、
活き活きとこの瞬間を生きることが出来るようになります。 


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by haru-ha-akebono | 2012-05-11 11:37 | ご挨拶

広い世界に

広島ヨガピースに行った時、ヨーガの雑誌によく載っている若い先生が来ていました。
モデルさんをしていたそうで、顔が小さくて手足が長くてすらりとしていて、パッと人目を惹く方です。
彼女と一緒に写真を撮りたいと、行列が出来ました。
わたしは初めて目にした光景でしたが、友人に話すと珍しくないそうです。
横浜で行われるヨガ・フェスタに行くと、有名な先生にヨガ・マットにサインをしてもらったり、
やはり一緒に写真を撮ったり、当たり前のようです。
ヨーガの先生もスター(古い表現かな?タレントや俳優並み)と同じなのですね!!

それもいいけれど、自分と同じ俗世間の人ではなく、聖者に学ぶ機会があると
ヨーガの世界は広く展開していきます。

これはスワミ・ヴィヴェーカーナンダの「シカゴ講演集」です。
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1983年9月、アメリカのシカゴ市で行われた、「世界宗教会議」での
講演をまとめた冊子です。
ヨーガを深めていく人が必要とするヒンドゥの思想について、わかり易く語られています。
厚みはわずか5mmほど、500円です。

今月27日14:00~18:00、九段下のインド大使館で、
「第150回 スワミ・ヴィヴェーカーナンダ生誕記念祝賀会」があります。
ヴィヴェーカーナンダは故人ですからサインはもらえませんが、
サットワな時間を過ごすことが出来ると思います。
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by haru-ha-akebono | 2012-05-09 22:50 | 聖典を学ぶ

スワミ・ヴィヴェーカーナンダの「ラージャ・ヨーガ」

スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著「ラージャ・ヨーガ」には、
パタンジャリのヨーガ格言集(ヨーガスートラの解説)が収められています。
先日広島ヨガピースに行きました。
若い方もそうでもない方も、ヴィヴェーカーナンダを知らない人がほとんどでした。
ヨーガを学ぶ人たちは、是非読んで欲しいと思います。
もう、10年以上前にヴィヴェーカーナンダの「カルマ・ヨーガ」を読んだのが、
スワミジとの出逢いでした。
続けて、「バクティ・ヨーガ」、「ラージャ・ヨーガ」と読みました。
その時も面白いと思いましたが、何回読んでも面白く読めるのです。
でも、今また読み返していて、このようなずば抜けた頭脳と愛に満ちたハートの持ち主が、
この世に存在していたことに驚きと感動を覚えたのは初めてです。
素晴らしい聖者の書物でも、時代を感じる物がある中、
ヴィヴェーカーナンダの語りにはいつも新しい感覚があります。
回りくどいことはいっさい言わず、簡潔明瞭。
そして勇気付けられるのです。



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by haru-ha-akebono | 2012-05-08 00:42 | 聖典を学ぶ

ハートこそあなたの名前

≪地上の重荷は、神が支えている。
  自我までがその重荷に耐えているような振りをするのは、
  塔に刻まれた彫刻が塔の重みを支えているように見えるのとかわらない。≫
                                 ・・・・ラマナ・マハルシ


    何かちょっとしたことがあると、深刻な顔になる人。
    何か言われると、反射的に反応してしまう人。
    何十年もヨーガをしてるはずなのに、何も変わらない。
    ヨーガって、自我から自由になることではないの?

                   自分の内面の探求はせずに、
                   ヤマ・ニヤマなどと言う宗教的道徳律に縛られている人が、なんと多いことか。
                   他者の中に弱点を見つけるのは上手なのに、
                   決して自分の内的世界を見ようとしない。                
                   それでは、ヨーガの修行にはならないよ。



≪唯一の障害物は 心である。
 それこそが家の中であろうと森の中であろうと 克服されねばならない。
 あなたの努力は、環境がどうであろうと、今できるはずである。 ≫
                                 ・・・・ラマナ・マハルシ



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by haru-ha-akebono | 2012-05-06 23:56 | わたしは誰か?Who am I?

広島ヨガピースへ

5月2、3日と「広島ヨガピース」に参加しました。
2日の朝、知り合いのヨーガを学ぶ人たちと数人で東京を出発。
お天気がはっきりとしませんでしたが、観光する予定の4日の帰京の日に降らなければいいよね、と
みんなで言っていました。
14時には広島に到着し、在来線で会場となっている太光寺のある西広島へ。

  西広島駅前「むさし」という食堂で食べた、清盛弁当
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そこからタクシーで10分ほど行った山の途中にお寺はありました。
すごい良い眺め!!
広い庭から海が一望出来るのです。

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夕方から、一緒に行った人たちのヨーガの先生であるM・Yさんのアーサナクラスがありました。
さっそく参加。
いつも私が行っているアーサナとは違うアプローチです。
それから、広い会場で沢山の人たちとするのは数年前の「ヨガフェスタ」以来かもしれません。
近視なので、後ろの方いたわたしは良く見えないうえに、進行の速度が速くて、
なんだかあっと言う間に終わってしまいました。

   狭く見えますが、実際はもっと広くて、おそらく定員40人位
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それが済むと、このヨガピースのためにはるばるリシケシから来日した
女性のスワミジ(以降マタジと書きます)によるプージャが本堂で行われました。
スワミ、つまり出家してサンニャシンとなった人は性別はないのです。
「マタジ」とは、インドで「お母さん」の意味で、
だいたい娘さんでない年齢の人を、こう呼びます。
マタジの出家名は、サドゥイ・アバ・サラスワティ。
リシケシではとても大きなアシュラム、パラマータ・ニケタンのスワミです。
太光寺では、マタジによる「ヨーガスートラ」の講義が1日~3日の3日間行われ、
初日に女神ガヤトリを招くプージャをしたそうです。
今日は2日目のプージャです。
プージャとは花やお米、水を撒き、マントラを唱えて火で清める儀式。
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この後夕食となって、1日目は終わりました。
食事もベジタリアンの和食で、野菜沢山の美味しいものです。
また、宿泊施設も簡素ですがきれいで、安らかに眠りに就くことが出来ました。


翌日は、朝5時起床。
6時から太光寺の本堂で行われる、住職による勤行に出ました。
副住職の東和空(ひがしわこ)さんによる法話もありました。
ばりっとした、素敵な方です。お話しもとても面白かったです。
太光寺は天台宗(密教)で、不動明王が御本尊です。
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その後、マタジのアーサナクラスがありました。
約1時間30分。
アーサナの前にプラーナーヤーマがあり、解説も実践も丁寧でした。
そして、準備運動。
私がいつも行っているパワンムクタ・アーサナをもっと早くしたようなものや、
反復するスクワットや、そしてスーリヤ・ナマスカーラも。
所謂アーサナは時間の都合でほんの少しになってしまったのです。
でも、反復の準備運動は結構激しくて、夕方から筋肉痛になりました。
マタジは、末期腎炎を薬を使わずにヨーガを行って治したそうです。
今はおそらく60歳は過ぎているでしょうし、がっちりとした体格なのですが、動きはとても軽やか。

朝食後、夕方まで「ヨーガ・スートラ」のレクチャーです。
1章と2章の抜粋でした。
毎日やってくる参加者がいますし、ヨーガの哲学(インド思想)を学ぶのが初めての方もいますので、
有名な1章2節の「ヨーガとは心の働きを止めること」とか、
ヤマ・ニヤマが中心でした。
日本語の資料が、あの難解な日本語の「ヨーガ根本教典」を元に作られているので、
マタジの話の方が分かりやすいのです。
でも、なんとなくつかみどころがない印象も受けました。

様々な質疑応答を受ける時間に、
「アーサナと哲学をどう結びつければいいのですか」とか、
「ここに書かれたことを実践していく目的=カイバリヤは何のためにするのですか?」
と言った、素朴で正直な質問がありました。

おそらく多くのヨガ教室はアーサナが中心で、ヨーガの思想を学ぶ機会がほとんどないのかもしれません。
リシケシに行くと、日本以外の国から来ている人々は英語が出来ますから、
英語の本を買って読んでいるのです。
このブログでたびたび紹介しているスワミ・サティヤーナンダ・ジの
「解放のための4章」(ヨーガスートラの解説書)を持っている外国人を沢山見かけました。
この広島ヨガピースは、そういう意味でとても貴重な場であるのかもしれません。
インドに行くことが出来ない事情の人にとっても、
マタジのような方に会えるのは素敵な機会だと感じました。

夕食前に、ガヤトリを見送るプージャがありました。

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沢山のキャンドルをお供えして終了です。
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近隣県や九州から来ている人が多いらしく、プージャが終わると
10名くらいの人数になって、静かに夜はふけていきました。

翌日、勤行と法話の後、庭で一人瞑想をしました。
早朝は、静かできれいな時間です。そして、理想的な瞑想環境。
9時に出発するマタジと通訳のTさんを見送って、私たちも広島観光へ向けてお寺をあとにしました。

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感想を一口で言うなら、「タントラ」でした。
全てが均衡を保って存在している。そして、突き抜けた明るさが残りました。
いつもブログで紹介しているヨーガ塾の「ヨーガスートラを学ぶ会」は、
とても詳しい資料と解説があって、それを聴講してきたので、
正直マタジの「ヨーガスートラ」は期待していませんでした。
それでも、行ってみようと思ったのは、いつもと違う環境でヨーガに触れてみることや、
いつもなら会うことがないだろう人たちと出逢ってみることはいいかな~という理由でした。
素晴らしいことのダントツは、この環境。
太光寺の環境と、
こういう場を創った住職+副住職+様々な方たちの気持ちと出会うことが出来たことに感謝です。
また、ヨガピース実行委員の方々が謙虚で、いつも笑顔で素晴らしかったです。
この会の発足にどれほどの労力がかかったか・・・スワミを招へいしたことがあるので、
さぞ大変だったろうと想像は難くありません。
気持ち良く過ごすことが出来たのは、委員長のひろみさんはじめ、スタッフの尽力のおかげです。
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by haru-ha-akebono | 2012-05-06 18:55 | シャクティの力

ヨーガ・アーサナとは・・・

昨日の夜・・・つい何時間か前に広島から帰ってきたところです。
5月2日から、「広島ヨガピース」に行っていました。

1日から、会場の太光寺で
リシケシのパラマト・ニケタンから来日した女性のスワミジによる「ヨーガスートラ」の講義が行われたのです。
最終日の3日の夕方のサット・サンガで、参加者の一人がこんな質問をしました。
「ヨーガのアーサナやプラーナーヤーマと、この哲学とどう結びつくのですか?」
とっても率直な質問だ、と思いました。
わたしもヨーガを始めてから、長いこと疑問に思ってきたことだからです。
女性のスワミジはこう答えました。
「アーサナは肉体の運動です。瞑想のために坐れる体を造ることが出来るのです。」
ラージャ・ヨーガについて書かれた「ヨーガスートラ」に書かれたとおりのことです。

しかし、ビハール・スクール・オブ・ヨーガの創設者である
スワミ・サティヤーナンダ・ジ(リシケシのディヴァイン・ライフ・ソサエティのスワミ・シヴァナンダ・ジの
直弟子の一人)は、こう言っています。

『ヨーガ・アーサナは運動ではなく、気づき・くつろぎ・集中や瞑想に熟知するために、肉体を
 ある状態に定める技法です。』

『ラージャ・ヨーガ(パタンジャリのヨーガスートラ)では、アーサナは坐るため=瞑想の姿勢を指す。
 しかし、ハタ・ヨーガ(体を使うヨーガ)では、それはエネルギーのチャンネルと霊性の中枢を
 開く、特定の身体の姿勢・状態である。それらは、より高度な気づきと、私たちの身体・呼吸・心、
 そして自我の超越の探求のために、堅固な基礎を供給する手段である。
 また、ハタ・ヨーギは、アーサナを通じて身体のコントロール(制御)を発展させることによって、
 心も制御されることを発見した。それゆえ、アーサナの練習は、ハタ・ヨーガにおいて最も
 重要なこことされる。』
*コントロール=制御とは、強制や我慢をすることではありません。

伝統的なラージャ・ヨーガでは、ハタ・ヨーガのアーサナについては全く考えられていません。
ラージャ・ヨーガの方法で真理に達することが難しいために、
とても具体的な肉体を使うヨーガが考え出されたと言われています。
そして、現代はハタ・ヨーガを行う人がとても多くなっています。
アーサナやプラーナーヤーマを行いながら、自分の中にインド思想に書かれていることを
発見していく、気づいていく、それがとても理にかなったやり方だと思います。

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by haru-ha-akebono | 2012-05-05 01:31 | わたしは誰か?Who am I?

カルマ・ヨーガ~行為の結果の果実を求めない

カルマ・ヨーガとは、そこにエゴが一切介在しない行為。
行為の結果の果実を期待しない行為。
唯、無報酬で働くからと言って、「カルマ・ヨーガ」にはならないのです。
形式的にやったり、結果を求めたり審判するのでは、通常の仕事と何ら変わりありません。

結果の果実を求めると、この行為のヨーガから逃げ出したくなるでしょう。
神様と自分との関係を築けない人、築こうとしない人には、カルマ・ヨーガは苦行でしかないと思います。
報酬が出るわけではない、誰も褒めてくれない、自分の中に気づきがない・・・。
自分の行為を捧げる神様(または自己)が存在しないのですから。

スワミ・ヴィシュワルーパナンダ・ジが来日して、しばし生活を共にしました。
ヨーガのリトリートが、この時のスワミ・ジの仕事でした。
(リシケシでも、ヨーガアーサナや哲学を教えていました。)
ヨーガを教えることを、「自分がやった」とは絶対に言わないし、思っていないのです。
また、結果を全く斟酌しません。
「すべては起きている」=Happen
これがスワミ・ジのいつも言う言葉です。
そして、スワミ・ジにとって、今さっき行った行為は今はもうないのです。
いつも今。
そこには、一切の執着がありません。
これが、真のカルマ・ヨーガです。

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by haru-ha-akebono | 2012-05-02 00:25 | インテグラル・ヨーガ

バランス ふたたび

美味しいとこだけ欲しい、自分が好きなことだけしたい、自分が気持ちのいいことだけしていたい・・・。
それって、小さな子供が思うことだ。
でも、体がいい大人になってもそう思っている人が結構いる。

ヨーガはバランスを理解することだ。
スワミ・ヴィシュワルーパナンダ・ジが帰国する前にわたしに言った。
「ヨーガの修行は、瞑想だけしていてもダメ。
 哲学(ギャーナ)も信愛(バクティ)も、カルマ・ヨーガも必要だ。全てはバランス。」

自分の好きなことだけやっていても、ヨーガの修行にはならないのだ。
バランスが整ったら、好き嫌いはたいして重要なことではないことに気がつくだろう。
なぜ、好きなことや気持ちのいいことだけに執着するのか?
そこに巨大なエゴがあるから。
自分を守って、他者を招き入れないよう城壁を築いている・・・。
そんなエゴがあるからだ。
自分だけを愛するナルシシズムがあるからだ。
「瞑想が気持ちがいい」と言うのは、バクティではない。
自分だけが可愛い、唯のナルシシズムなのだ。



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by haru-ha-akebono | 2012-05-01 01:25 | シャクティの力